第29話 誘導尋問
「静粛に! 静粛に!」
コーン、コーンと木槌が鳴る。
やや間があって、ようやく議場を満たす笑いがおさまった。なんだかぷるぷる震えている人も多いが……これ、私のせいなの? ものすっごくもらい事故な気分なんだけど。
「ジャークダーを名乗る不定の輩が現れたのが、婚約破棄の3ヶ月後だったということはわかった。しかし、告訴人はこれを以って何の
セントリオン閣下は、真顔に戻って裁判の進行を再開した。
長年議長を務めるだけはある。ちょっとしたアクシデントで動揺はしないようだ。
「ふん、説明するまでもないだろう。あの夜からイザベラは学園にも登校しなくなった。その間に、犯行の準備を整えていたんだ」
「では、なぜ3ヶ月もの期間が空いたと?」
「そんなこともわからないのか? すぐにやれば疑いがかかるからだ。怪しまれないよう、わざと時間を空けたんだよ」
「なるほど。では半年や、1年を待たなかった理由は?」
「そんなものは知るか! 我慢がきかなくなっただけだろう!」
イログールイの返答に、セントリオン閣下が言葉に詰まっている。
あまりにもめちゃくちゃな主張に、困惑してしまっているようだ。人間、頭の出来が違いすぎると会話が成立しないって言うからな……。どうも、その実例が眼の前で繰り広げられているようだ。
「議長閣下、わたくしからも発言してよろしいでしょうか?」
「被告人、許可する」
閣下の顔が一瞬ほっとしたように見えた。
まあ、イログールイの相手は疲れるよな……。私も婚約者として接してきた経験がなければ、何から言ったらいいのか途方に暮れていたところだろう。
「イログールイ殿下、先ほど空いた期間は『犯行の準備』をしていた、とおっしゃいましたね?」
「ああ、そうだ」
「具体的には、どんな準備をしていたとお考えですの?」
「あの奇矯な変装を用意してたんだろう。犯人の正体を隠すためにな」
よっし、誘導尋問に引っかかった。
チョロいなあ。こんな調子でネトリーにも引っかかったんだろうか。
横目でネトリーを見ると、余裕の表情で座っている。
どう考えても雲行きが怪しいだろうに、まるで勝ちを確信しているようだ。状況にそぐわないその態度に、なんとも表現し難い気持ち悪さをおぼえる。
ま、それはひとまず置いておくとして、イログールイへ返答をしなくては。
「なるほど。それでは殿下はジャークダーの正体は何だとお考えなのですか?」
「いま言ったばかりだろう! ジャークダーの黒幕はヴラドクロウだ!」
「ええと、その主張は承知しておりますわ。わたくしがお聞きしたいのは、もっと具体的なことです。先ほど殿下もおっしゃいましたが、ジャークダーは奇妙な変装をしているそうですね。その中身の人間はいったい誰なのでしょう?」
「ふん、答えるまでもないが、答えてやろう。ヴラドクロウの郎党ども以外には考えられないだろうが」
「そうですか。すると奇妙なことがありますね……」
そうつぶやくと、セントリオン閣下が豊かな顎髭を撫でながら尋ねてきた。
「被告人、奇妙なこととは何か、具体的に答えなさい」
「はい。告発を受けてジャークダーの犯行履歴はわたくしも事前に確認してきましたが……3回目の事件が起きた日。日没直後にジャークダーによる落書き事件がありましたの。そしてこれは、
議場にざわめきが走る。
イログールイの主張はめちゃくちゃで、それ自体を真に受けるものはいなかっただろうが、ジャークダーの黒幕はヴラドクロウ家だと疑っていたものは少なくないだろう。なにしろ狙われる相手は王族や王党派の貴族のみなのだから。
これだけでも議会派貴族が疑われる理由になるのに、ヴラドクロウ家には婚約破棄の恨みもある。動機の面だけなら、議会派の筆頭たるヴラドクロウ家が疑われて当然なのだ。
「これは説明するまでもありませんが、
少々難しい、なんて言ったが当然物理的に不可能である。
ヴラドクロウ家とジャークダーのつながりに疑いを持たれるのはわかりきっていた。なので事前にアリバイ工作を仕込んでいたのだ。ジャークダーの戦闘員に、我が家の私兵を一切採用しなかったのはこういうときに備えてのことである。
「ど、どうせ数をごまかしたんだろう!
「では、それはどうやって?
「なっ!?」
各貴族家が王都に詰める兵数は厳密に管理されている。
少なければ王都の守りに不安が生じるし、多ければ今度は反乱の危険性が高まる。だからこそ年に一度の閲兵式は万全の体制で行われるし、記録もしっかり残される。
仮にカウントミスをすれば、担当の官僚の首が物理的に飛ぶレベルである。貴族学校の甘々な管理とは別次元なのだ。まあ、イログールイの代返はバレバレで、生徒も教師も空気を読んで指摘しなかっただけなのだが。
「書記よ、閲兵式の記録をここへ」
「はっ、ただいま!」
セントリオン閣下が補佐官に命じ、至急資料を用意させる。
官僚たちも必死の形相だ。文字通り、命がかかっているのである。こんな愚にもつかない裁判でミスを捏造され、断頭台の
セントリオン閣下は資料をめくって丹念に確認すると、補佐官に尋ねた。
「ふむ……念のために確認する。記録に
「
「そうか。では改めて尋ねよう。ヴラドクロウ家が率いる兵に、員数不足があったかね?」
「ありません! 人数、装備、いずれも一切の不足はありませんでした」
閣下はふうとため息をついて、イログールイに向き直った。
「ということのようだ。第一の告発について、告訴人イログールイ・ハレムの主張には論理的な
「トリックだ! 何かトリックを使ったに違いない!」
「では、その画期的な方法がわかり次第、意見するように。第一の告発についてはこれにて詮議を中断し、次の告発へ移ることとする」
「なっ、もう終えるだと!? イザベラの言い逃れを認めるのか!」
「評決は最後に行う。それとも、次の告発はもう不要かね?」
温厚な閣下の片眉が、ぴくぴくと引きつっている。
普段怒らない人が怒ると怖いというが……うーむ、これはなかなかの迫力だ。イログールイ君、それくらいにしておきなさいよ。
「ぐっ……ならば次の告発だ。ヴラドクロウ家は、不正な密輸によって私服を肥やしている! 証拠の品を持って来い!」
イログールイがそう叫ぶと、従者たちが白布で覆われたワゴンを押して議場に入ってきた。
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