第6話 黒百足のバハト=ニシュカ

 どんな怪しげなところに連れて行かれるのか……と想像していたら、行く先は予想に反して豪華なお屋敷だった。

 高い塀で囲まれ、門番までいる。それだけ見れば貴族の屋敷と一緒だが、周辺に建っているのはいつ崩れてもおかしくないようなボロボロの家ばかりなのが異様である。


 男は門番に何やら告げると、私たちを中へ通した。玄関を入ってすぐの大広間で待つように言われる。そして、男は吹き抜けの螺旋階段を登って2階に消えていった。


 屋敷の内装も豪勢だ。壁紙にはシミひとつないし、そこかしこに彫像や壺などの美術品が飾られている。照明も魚油を燃やすランタンなどではなく、魔道具を使っているようで嫌な臭いもしない。これらを見るだけで、黒百足くろむかでという人物の権勢が伝わってくるようである。


「おう、お頭がお会いになるそうだ。2階に上がってこい」


 階段の上から男が声をかけてきた。

 私の感覚では、下まで降りてきてエスコートするのが普通なのだが……こういうところが本物の貴族とは違うということか。拗ねたところで仕方がないので、素直に階段を上っていく。

 それから男の案内に従って広い廊下を進み、突き当りの扉の前までやってきた。


「この中だ。念を押すが、くれぐれも妙な真似をするんじゃねえぞ!」

「ふふふ、心配性さんなのね。お気遣いありがとう。でも、礼儀はわきまえていますからご安心なさって」

「お、お嬢様何をされてるんですか!?」


 私が人差し指で男の顎を軽く撫でてやると、パルレが血相を変えて止めてきた。

 いかん、悪の女幹部ムーブに入り込みすぎていた。さすがに貴族令嬢としてはしたなかった。お父様には報告しないようパルレには口止めしておこう。

 当の顎を撫でた男はといえば――


「い、いいからさっさと中に入れ! お頭をお待たせするな!」


 顔を真っ赤にしてうろたえていた。

 うむ、存外にうぶでかわいい男なのかもしれない。


 * * *


「入りな」


 ノックをすると、ぶっきらぼうな女の声が返ってきた。

 厚い樫で出来た重い扉を押し開けると、文机の横に足を組んで座る大柄な女がいる。赤褐色のベリーショートに、浅黒い肌。南方の出身だろうか? その左頬には目尻から顎まで届く大きな傷跡が走っており、まるで百足が這っているように見える。なるほど、それで黒百足ってわけだ。


「よう、あっしはバハト=ニシュカってもんだ。こっちとは違って、バハトが姓で、ニシュカが名って順番だ。黒百足って呼ぶやつもいる。この裏町じゃ、一応顔役で通ってる」


 バハト=ニシュカと名乗ったその女は、葉巻をくゆらせながらもこちらの様子を油断なく伺っている。その鋭い眼光と、筋肉質でしなやかな長身は大型の猫科動物を連想させた。

 部屋の隅には護衛の男たちが数人、剣呑な殺気を放っている。さすがにボスだけでは会わせてくれないか。


「はじめまして。わたくしはキルレインと申すもの。いまは・・・さる貴人より遣わされたもの……としか言えませんわ」

「わ、私はお嬢様の侍女です!」


 私がゆったりと見せつけるようなカーテシーを披露すると、それに続いてパルレがちょこんとお辞儀する。


「ふん、どんなドラ猫が迷い込んできたのかと思えば、とんだ血統書付きみてえだな。怪しいったらしょうがねえが、捨てっちまうにはもったいねえ」


 ニシュカは値踏みするような視線をこちらに向けてくる。

 率直に言って、凄まじい迫力だ。お父様に本気で叱られたときの圧力に近いものを感じる。雰囲気だけなら武力88ってところか。もちろん、私は達人ではないので戦ってもいない相手の実力など測れない。あくまでも予想である。


「あら、天下の黒百足様ともあろう御方が、ドラ猫風情にずいぶんと警戒をなさっているのね。猫は臆病なのですよ? こうも剣呑な雰囲気では、毛並みをでることもできませんわ」


 私は部屋の隅に立っている護衛たちに目配せをした。

 それを察したニシュカが唇の端だけを歪めて笑みを浮かべる。


「おう、オメェら、ちょいと外してろ。こちらの仔猫ちゃんはむさい男がお嫌いだとよ」

「しかしお頭、こんな得体の知れねえやつらとお頭だけにするわけには……」

「ああン? あっしが喧嘩ゴロでこんな仔猫ちゃんたちにどうこうされると思うのかい?」

「いっ、いえ! とんでもねえっす! 失礼しやす!」


 護衛たちが泡を食って部屋から出ていく。

 暗がりにいたからはっきり確認できていなかったが、全員体格がよく、なんらかの武術を身に着けているだろうことが想像できる。そんな男たちを恐れさせるのだから、ニシュカの実力は本物なのだろう。


 男たちが出ていくと、ニシュカは改めて凶相をこちらに向けた。

 ニィと笑うその口元からは猛獣の牙を思わせる白い歯が覗いている。


「汗臭ぇ男どもはいなくなった。それで、仔猫ちゃんたち、血統書は見せてくれンのかい?」

「お気遣いありがとうございます。改めて、ご挨拶致しますわ」


 私はもう一度カーテシーをして、胸元から紋章つきのペンダントを取り出した。

 ペンダントトップに刻まれているのは太陽を喰らう竜の紋章――ヴラドクロウ家の家紋である。

 これをよく見えるように掲げながら、告げる。


「はじめまして、黒百足むろむかでのバハト=ニシュカ様。わたくしは建国よりこの王国を支えし蒼き血脈がひとつ、ヴラドクロウ公爵家の長女、イザベラ・ヴラドクロウと申しますわ」

「なっ、イザベラ・ヴラドクロウだと!?」


 それまで値踏みするようだったニシュカの双眸そうぼうが、丸く見開かれた。

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