第41話 言いがかりと醜聞
「さすがはクロエ様。淑女の鑑ですわ」
「お美しいだけでなくマナーも完璧ですもの。セルジュ殿下がクロエ様に心を傾けていらっしゃるのが良く分かりますわ」
口々に称賛する令嬢たちの言葉にクロエは礼を言って、木陰で休む風に装って席を外した。
(僅か一月でこうも態度が変わるものね)
うんざりしながらも口元の笑みを崩さずに内心ため息を吐く。最初はクロエを軽んじるような視線や囁き声が多かったが、それでもお茶会に参加し続けた結果、敵に回すより味方につけた方が得策だと考え直した令嬢たちがクロエの周囲に集まってきた。
そんな中クロエは態度を変えず侯爵令嬢として、セルジュの婚約者として振舞っていると、特定の派閥に属していない令嬢たちの態度が少しずつ軟化してきたのだ。中立というべき彼女たちは家格が高いか能力に秀でているかのいずれかのため、クロエとしては良好な関係を築いていきたい。
情勢で態度を変えるのは仕方ないことだが、それでも将来王子妃となった時に信頼できる相手がいるかいないかでは公務にも大きく影響するだろう。
(そろそろアネットにもちゃんと話をしておいたほうがいい頃合いなのかもしれないわ)
あの日アネットがクロエの自室を訪れて以降、少しだけ距離が開いてしまったのだ。すぐに事情を話せばアネットは理解してくれると分かっていながらも、自分一人の力で頑張りたかった。
いつまでもアネットに甘えるわけにはいかないし、大丈夫だと胸を張って伝えたかったからだが、遠慮するように一歩引いてしまったその距離感を寂しく思ってしまう。
近いうちにアネットとカフェにでも誘おうと考えていたクロエだが、こちらに向かってくる令嬢の姿を見て少しだけ気を引き締める。
「――御機嫌よう。エミリア・トルイユ子爵令嬢、だったかしら」
「ええ、その通りですわ。直接面識がないのに私の名前を覚えていてくださるなんて光栄です、クロエ様」
エミリアの固い表情が僅かに崩れ、笑みが浮かぶ。
ここ最近アネットの周りで見かけるようになったエミリアをクロエは密かに警戒していた。
それを気にしたセルジュが密かにエミリアならびにトルイユ子爵家を調べてくれ、特段問題もないという結果が出たのだが、クロエの気持ちは晴れなかった。
エミリアの言動にどことなく違和感を覚えてしまうのだ。
今回もお茶会の出席者は伯爵家以上というのが暗黙の了解であったのだが、子爵令嬢であるエミリアがこの場にいるのは何かしらの意図があるのではないか。
「勿論よ。わたくしの妹と親しくしてくれているようね」
差し障りのない会話を省略して、様子見のための質問を投げる。目的を探るのは勿論だが、まずはアネットに害のない人物かどうか確かめなくてはならない。
「――クロエ様、実はアネット様のことでお話ししたいことがございますの」
胸の前で手を組み緊張した面持ちでこちらを見上げるエミリアに、嫌な予感がした。
「どうかアネット様を解放してあげてください」
「……わたくしがあの子の自由を奪っているとでも言うの?」
かっと全身が沸騰しそうなほどの感情を心の奥底に沈めながら、クロエはいつもの口調を意識しながらエミリアを見据えた。クロエからすればエミリアの言葉は侮辱だと感じられるほど不愉快なものであったのに、エミリアは怯えたように肩を震わせる。まるで被害者のように振舞うエミリアの態度に苛立ちが増した。
「わたくしはあの子に何も強制していないわ。あの子は確かにわたくしを慕ってくれているけれど、人の心を縛ることなんてできないもの」
これ以上話すことはないとエミリアの横をすり抜けようとした時、囁くような声が聞こえた。
「幼い頃からずっと虐げられれば、その方の言葉を盲目的に信じるようになりますわ」
ピシッと鋭い音が響くと和やかな空気が霧散し、会場は水を打ったように静まりかえった。
地面に座り込んだエミリアが赤くなった手の甲を反対側の手で押さえているのを見て、クロエは自分の失敗を悟った。反射的に伸ばされた手を払いのけたのは、感情的になっていた証拠だ。
そして王子妃候補であり侯爵令嬢であるクロエが下位貴族であるエミリアに乱暴な振る舞いをすれば、それは醜聞に他ならない。
「……クロエ様、申し訳ございません!!」
泣きそうな声で謝罪するエミリアに密やかな囁き声があちこちで聞こえてくる。どんな理由があろうと暴力行為を働いたのはクロエなのだから、謝罪をすべきはエミリアではなくクロエだ。
(だけど私が謝れば、エミリア様の言葉を肯定したと捉えられかねないわ)
それだけはどうしても嫌だった。
「それはわたくしだけでなく妹に対する侮辱でもあるわ。今後わたくし達に関わらないでちょうだい」
毅然とした態度でエミリアに告げると、クロエは主催者に退席する旨を伝えて会場を後にする。あの場にはロザリーの取り巻きである令嬢や政敵相手の伯爵家の令嬢もいたため、今回の件が大きな痛手となることは想像に難くない。
それでもあれ以上の言葉に耳を傾けることなど出来なかった。
ため息を飲み込みつつ、クロエはこれからのことを考えるために表面上は平常心を装って自室へと急いだ。
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