第12話 謹慎中の訪問者
「アネット様!?何てこと……」
部屋に戻るとジョゼが泣きそうな顔でアネットの手当てをしてくれた。
「恐らく傷痕は残らないかと思いますが…」
念のため医者を呼ぼうとするジョゼを止めて、代わりにお茶の支度を頼んだ。事を荒立てればクロエにも迷惑を掛けてしまうかもしれない。納得できないという態度を露わにしたジョゼを説得してほっとしたのは束の間だった。
「クロエ様のお部屋に押しかけて暴言を吐いたというのは本当ですか?」
淡々とした口調のシリルからは何を考えているのか読めない。ただ一方的にアネットを疑っているのではない、そんな気がした。
「誰から聞いた話なの?」
肯定も否定もせずに質問で返すと、あっさりと情報源を明かしてくれた。
「奥様です。それからミリーとクロエ様も肯定されました」
ミリーというのは恐らくあの場にいたメイドのことだろう。
(恐らく脅されたんだろうな)
傷の手当てをしてくれようとしたのは、身を挺してクロエを守ったからだろう。デルフィーヌから必死に庇おうとした姿からクロエの味方だと推測できた。だが女主人に逆らうことが出来ず、口裏を合わせるように強要されたようだ。
(私に怪我をさせたことについては、何て言い訳したのかしらね?)
アネットの疑問を読み取ったかのようにシリルが補足する。
「勝手に足を滑らせて机の角で頭を打ったのに、奥様のせいにしようとしたそうですね」
なかなか無茶のある話だが、アネットの味方をしてくれる目撃者はいない。否定したところで平行線だが、言い争って勝てる見込みもなさそうだ。
「お姉様には何もしていないわ。怪我はちょっとした事故よ」
「それでよろしいのですか?」
すっと目を細めたシリルの雰囲気が少し冷たさを帯びた。アネットの言葉は嘘ではないが、真実でもないことを見抜いているかのようだ。この件でデルフィーヌと対立すれば、間に挟まれたクロエに嫌なことを思い出させることになる。
(それにこれ以上お姉様に嫌われたくないわ)
「構わないわ」
きっぱりと告げるアネットにシリルはそれ以上何も言わなかった。
一週間の自室謹慎、それがカミーユの下したアネットへの処分だった。
その晩シリルから伝えられたアネットは食欲もなく、そのまま眠りについたが目が覚めると酷い頭痛と身体の節々の痛みに襲われていた。
ジョゼが来るまで一人ベッドの中で震えるしなかったが、その後は医者が呼ばれて疲労による風邪だと診断された。
(熱いし寒いし気持ち悪い)
薬や滋養のある食べ物を与えられ、温かいベッドに寝かされているのに何かが足りない。
前回風邪を引いた時は母が看病してくれた。寒い時期で隙間風が入り込む部屋だったが、毛布の上から抱きしめてくれた温もりが心地よく、何の心配もいらないのだと心から安心することができたのだ。
そんな記憶が蘇って余計にたまらない気持ちになった。
ジョゼが傍で控えているが、あくまでも使用人として適切な距離を保っている。心細さにアネットは自分の身体をぎゅっと丸めることしかできなかった。
浅い眠りと覚醒を繰り返すアネットの耳に扉が開く音が聞こえた。先ほど出て行く音が聞こえたからジョゼが戻ってきたのだろうと思っていたが、やけに静かなことが気になって重い瞼を開く。
「……おねえさま?」
涼やかなマリンブルーの瞳がアネットを静かに見下ろしている。だがクロエがアネットの部屋に来たことなど一度もない。
(夢なのかな。まあ、どっちでもいいや)
熱のせいで頭がまともに働かない。
「かぜ、うつるから、だめ、です」
口を開くのも億劫だったが、もしも本当にこの場にクロエがいるなら絶対に言わなきゃいけないことだった。
冷たいものが指先に触れて、顔を向けると細くて白い指がアネットの手に重ねられている。
「……怪我をさせてごめんなさい」
その言葉にアネットは目を見開いた。いつもは凛としたクロエがアネットから目を逸らしながらも泣きそうな表情を浮かべていたからだ。
「おねえさまの、せいじゃないです。おけががなくて、よかった」
無理やり笑みを浮かべたが、上手くいったか分からない。ますます表情をゆがめたクロエが吐き出すように言った。
「貴女がもっと嫌な子だったら、そして優秀でなければ私は苦しまなくて済むのに……」
アネットは自分の失敗にようやく気づいた。アネットが頑張れば頑張るほど、クロエを追い詰めていたことに。
侯爵令嬢として王子の婚約者としてずっと努力を重ねてきたのに、後からやってきた妹にあっさりと追いつかれた。それはクロエの自尊心を踏みにじる行為だったのだろう。
普通に考えればクロエは優秀なのだが、アネットは過去の記憶を持っているのでズルをしているのは否めない。勉強の仕方も知っているし、大人と同じ考え方ができるのだ。計算方法や文法なども元の世界と類似したものもあり、難しいとは思っていなかった。
「おねえさま……きらわないで」
ごめんなさいとは言えなかった。それはクロエの自尊心を傷つけるからだ。
「どうしてそうなの?私は貴女に好かれるようなことをしていないわ」
「だっておねえさまだもの。きれいで、やさしくて、どりょくかで、じまんのおねえさま」
掠れそうな声で必死に伝えると咳き込んでしまい、最後まで言葉にならない。だがぎこちない手が背中を撫でてくれると苦しさが和らぐようだった。
「長居して悪かったわ。貴女のことは……嫌いになりたくないから、もう構わないで」
すぅっと冷たい風が心に吹き込むような感覚に、アネットは思わずベッドから跳ね起きた。眩暈がしてふらつくアネットにクロエの制止する声が聞こえたが、構わず抱きついてクロエを引き留める。
「おねえさま、いかないで。なかよくなりたい。さびしいの」
熱とショックで自分でも何を言っているのか分からず、泣きながらクロエに縋っているとジョゼの声が響いた。
クロエから引き離されてベッドに押し込まれたアネットには、クロエがどんな表情を浮かべているのか見えなかった。
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