第1話 少年とタマゴ 16 ―連れ込まれた廃工場―

16


 工場に入った少年は、男に促されシャッターから僅かばかり右側に設置された階段を登らされていた。


 工場の中は暗い。


 天井を見上げると、微かに輪郭だけが見える窓がトタン板なのか何なのか、デコボコした何かに封じられていて、壁面にも窓があるようだが、それも同様にナニモノかに光を遮られている。

 まさに暗闇の世界。


 どこかから、ポタン……ポタン……と水の落ちる音が聞こえる。


 人ひとり通れるだけの狭い階段を、さっきまでと違って少年は男の先を行かされて、横腹には『言うことを聞け』とナイフの刃が突き付けられていた。両手はハリウッドのアクション映画の様に天に向かって上げさせられて、間隔の分からない階段を登らされているのに手摺を持つ事も出来ない。

 男が灯した足元を照らすスマホのライトだけが頼りだ。


 暗闇の中で、カン……カン……と鉄骨の階段を叩く少年と男の足音だけが響く。


 すると突然、男が少年の背中を押した。

「あっ……!!」

 上げようとしていた右足の甲が段差にぶつかり少年は躓いてしまった。


 ドンッ……と両手を着いたら、そこは階段じゃなかった。どうやら二階に着いたんだ。

 ざらついた地面がヒンヤリと冷たい。


 そんな少年を男は再び腕を掴んで強引に立たせた。

 少年が立ち上げると、男は今度はスマホのライトで階段のすぐ目の前の壁を照らした。


 少年が眩しさに目を細め男が照らす先を見ると、そこにあったのは錆色の無機質な扉。


 男はその扉の前に立ち止まり、

「入るぞ」

 そうボソリと呟き、扉を開けた。


 開けた瞬間に部屋の中から目映い明かりが漏れる。

 同時にムッとする熱い空気が流れ出て、くしゃみが出そうな程濃いタバコの臭いが少年と男の周りを漂った。


「蒸すな……サボりやがって……」

 男がまたボソリと呟く。


 その言葉で少年はさっき男が発した『入るぞ』という言葉が自分に向けられたものではない事に気が付いた。

 また別の誰かに向けられた言葉だと。


 扉を全開にすると男は少年の腕から手を離し、部屋に押し入れる様にその肩を強く押した。

 躓く様に部屋に足を踏み入れた少年は、さっきの自分の読みが当たっていた事を知った。


 男の仲間がそこには居た。

 二人の男が。


 そいつ等は男がさっきボソリと呟いた言葉が聞こえたのだろうか、それともギギギッ……と軋む扉の音で気が付いたのだろうか、背中を向けたボロボロで汚ならしいソファから立ち上がってこちらを振り返った。


 一人は小柄で、首筋に刺青の見える坊主頭の男、刈った頭がチクチクと伸び始めていて、まばらに薄くなった頭が不健康そうに見える。

 もう一人は細身で色白の長身の男、血走って焦点の合わないギョロっした目が気持ち悪い。


 坊主の男も長身の男もどちらもニヤニヤとした嫌な笑いを浮かべて、少年を見た。


「えへっ……二人目ぇ? 兄貴ぃ、今日は威勢が良いじゃん!」

 長身の方だ。

 そいつは間延びしたまぬけな口調で、ニョロニョロと蛇のように揺れながらソファを回って少年に近付いてきた。


「まだアイツの処理も終わってないのにッ、二人も抱えて良いんすかッ? 兄貴ッ」

 今度は坊主の方だ。こっちは長身の男とは正反対に語尾を切る様にハキハキと喋る。

 窺う様な言葉とは裏腹にニヤニヤと嬉しそうだ。


 少年を拐ってきた男は、坊主と長身の二人に『兄貴』と呼ばれた。

 三人は顔も身長もバラバラ、本当の兄弟では無いだろう。

 どうやらこの男がコイツ等のリーダー格らしい。


 長身の男は少年の目の前に立つと

「男かぁ?」

 そう言いながら、俯く少年の顔を覗き込んだ。

 男の顔がグッと近付くと、男の口から漏れる吐息がツン……と臭った。

 タバコの臭いと、腐った果物の様な独特の甘い臭いが混じった感じ。

 リーダー格の男に後ろ手に両手を掴まれて身動きが思うように取れない少年は、その臭い息に耐えきれず長身の男から素早く顔を反らした。


「なんだぁ?」


「お前の口が臭いってさ……ハハッ」


 馬鹿にする口調で坊主の男が笑った。


「あ~ん? 俺がぁ?」

「おう、お前がッ!」

 坊主の男が振り向いた長身の男を指差す。

「はぁ~あ?」


 長身の男が間延びした口調で首を傾げた瞬間、少年の顔に鈍い痛みが走った。


 長身の男が少年の顔も見ずに拳の裏で殴ったのだ。


 それを見た坊主の男は

「ハハハハハハハッ!!」

 跳び跳ねて喜んだ。


「俺の口のどこが臭いって言うんだよぉ~」

 長身の男はまるで子供みたいに腕を振り回して坊主の男に近付いていく……


「おい……静かにしろ!!」


 リーダー格の男だ。

 リーダー格の男が怒鳴ると二人は、ビクリ……

押し黙った。


 空気が張り詰める。


 リーダー格の男は二人の男を睨み付け、目線で圧しながら目の前のソファに向かって少年を突き飛ばした。


「ガキの遊びのつもりかよ……騒いでんじゃねぇよ」

 リーダー格の男は肩にかけていた少年のリュックを乱暴に床に落とした。

 ドカッともガチンッともとれる重い音が部屋の中に響く。


「おい! このガキ縛れ……」

 リーダー格の男が坊主の男に命令した。

 坊主の男はまたビクリッと肩を震わせると

「ヘイッ!」

 威勢良く返事を返し、後ろに立つ長細いロッカーから縄を取り出した。

 そのままソファのすぐ前でへたり込む様に座る少年に近付き後ろ手に縛る。


 少年は大人しい。

 自分から手を差し出す程だ。


 腕を縛られながら少年はこの部屋の中を目線だけで見回していた。


― なんだここは、事務所……か?


 少年が考える通り、きっとここは工場が稼働時には事務所にでも使われていたのだろう。

 真四角の部屋の中にはソファやロッカー他にテーブル、テレビ、冷蔵庫もある。

 その家具類はもしかしたら男達が何処かから調達してきた物かも分からないが、在りし日の姿がそのまま存在している様にも見える。

 男達が通電でもしたのだろうか、電灯も明々と点いている。

 さっきまでの寂れて真っ暗な工場と同じ場所とは思えない程だ。


「お前……先に捕まえたアイツの世話はちゃんとやったんだろうな?」


 リーダー格の男は凄味を効かせるように、腹の底の底から溢れ出した様な低い声で長身の男に詰め寄った。

「あ……やばっ……あの……」

 長身の男はガリガリと腕を掻きむしった。その姿は明らかに焦っている。

「あ……あの……」


「チッ……」

 リーダー格の男はその姿を狂暴な目付きで睨んだ。男が持ったナイフが手の中でクルクルと回る。

「あっ……あぁ……待って、やめてぇ」

 長身の男はガクガクと震えながら、今にも切りかかりそうなリーダーを制止しようと両手を前に突き出した。


 バンッ……


 リーダー格の男はそんな長身の震える足を側面から蹴り上げた。

「うぅ……」

 長身の男はガクリと膝を落とす。

 リーダー格の男は屈み込んで、その首を掴んだ。

「あ……兄貴ぃ……ごめん……ごめんよぅ……」

 甘えん坊な声で長身は泣いた。

 情けなく泣くその姿は、少年よりも頭ひとつ分飛び出る程の身長のリーダー格の男がチビに見える程の体格を持っている筈なのに、それが嘘のように思える。まるで子供だ。


「謝るんだったら……始めからちゃんとやれよ。な?」

 リーダー格の男は長身の顎をクイッと指先で持ち上げて、ニコリ……と笑った。

「あ……はは……うん! やる!」

 きっと長身にはリーダー格のその笑顔は菩薩の微笑みと重なった事だろう。

 嘆きの涙も、安堵の涙へと変わ………



 ……るその前に長身の顔面は血飛沫をあげた。



 少年と一緒だ。


 リーダー格の男の拳が突き刺さり、色白の顔が鼻血で真っ赤に染まった。


「馬鹿が……」

 顔面を押さえて倒れ込んだ長身の男をリーダー格の男はゴミを見るような目で見下した。


「おい、ボン……そいつを縛ったらチョウの介抱してやれ。またギャーギャー騒がれたら困る」


「へ……ヘイッ!」

 少年の足首を縛りながら坊主の男はドギマギとキョドりながら答えた。


「俺はアイツの世話をしてくる……」リーダー格の男はそう言って立ち上がった「……飯くらいはちゃんとやったよな?」


「へ……ヘイッ!」

 坊主の返事はまるでリピート再生だ。


「そうか、アイツは大事な道具だからな……これからは用が済むまではちゃんと世話しろよ。な?チョウ……」

 リーダー格の男は泣いてうずくまる長身の男の尻を足でちょん……とつつくと、そのまま部屋を出ていった。



 その時、少年は男達の会話を一語一句聞き逃すまいと耳をそばだてていた。

 手足を縛られて無惨な姿ながらもその瞳からは輝きは消えていない。


 何故なら、奴等の言動は少年の予想通りだったから。


 奴等が言う『二人目』『先に捕まえたアイツ』という言葉は明らかに少年以外の誰かが捕まっている事を言っていた。

 実はこの事、少年は既に気付いていたんだ。

 この場所に連れ込まれるその前から。


 そして、少年の瞳の輝きは増した。

 何故なら、


― 間に合った……


 彼は希望を掴んだのだ。


 とある理由で『自分以外にも捕まった人がいるのでは?』と思っていた少年は、生死不明だったもう一人の誰かが男達の言動を頼りにすれば確実に生きていると知った。

 だから、少年は男達に気付かれぬ様に微笑んだ。


― 『用が済むまではちゃんと世話をしろ……』アイツはそう言ってた。……って事はまだ殺すなんて事はしない筈だ。どうやるか? あぁするか? こうするか? いや………


 少年は部屋の扉の上にかかった時計を見た。

 チクチクと動く時計。

 時刻は13時12分を指している。


― 一番の問題は約束の時間までに終わらせられるかどうか……だな


 少年は微笑みを消して、残された男二人を見た。

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