第1話 少年とタマゴ 12 ―突然ッ!―

12


 脇道へと入っていくと、男は一言も話さなくなった。


 それは少年も同じで、彼も又ただ前を見据えて押し黙っている。

 明るい笑顔の似合う彼は今はここにはいない、その目付きは鋭く尖っている。


 現在いま彼は何を考えているのだろうか?


 彼の左手はダウンジャケットのポケットの上に添えられていて、ポケットに入れた『ダンボールジョーカー』の人形をポンポンとリズムよく叩いていた。

 それは眠る赤子をあやす母の様に。


 男が歯軋りをしているのかゴリゴリという鈍い音が少年の耳に届く。


 少年がチラリと男を見ると、ハンドルを握った手は指先だけが紅く染まり、手首を見ればぼっこりと筋が浮かんでいて、男が強い力でハンドルを握っているのがよく分かった。


 少年はそんな男の変化を不思議に思わないのか、何も言わず車の外へと視線を移した。

 車外は薄暗い、それは快晴の空を木々が隠してしまったから。


 男が車を進めた脇道はアスファルトで舗装されていない砂利道で、車が進む度に木が周りを囲み始め、快晴の空を隠していった。

 車一台通るのがやっとのその道は人気ひとけも無く、不気味な雰囲気が漂い始めていた。


 だが、少年はそんな事も意に介さない。

 ただ冷静に車外の様子を眺めているだけ、まるで『予定通り』とでも言うように。


 その時、ゴソゴソ……

 少年が抱くリュックが動いた。

 少年がほんの少しだけ開けていたリュックの口を見下ろすと、その中からタマゴが少年の顔を見詰めていた。


『大丈夫なのか?』


 タマゴが声を出さずにパクパクと動かした嘴からはそう読み取れた。


 少年はそんなタマゴに向かってコクリと頷くと、二本あるファスナーの引き手のうち一本を手に取った。

 現在ファスナーの引き手は二本共天辺に持ってきていて、指四本程入るくらいに離していた。

 少年とタマゴはその少し開いた隙間からコンタクトを取っていたのだが、少年は運転席とは反対の左側の一本をゆっくりと左下部まで引き下ろした。


「おい……何やってんだ」


 ガタン……

 車が揺れた。


 少年が一瞬視線を前方へと移すと、フロントガラスの向こうは木々の群れが薄くなり、車から左斜め向こうには何やら拓けた場所が見えた。


「おい……」


 男が車を止めてもう一度声をかける。


「いえ、へへ……別に何も」


 少年が作り笑いを浮かべながら男に振り向くと、




 突然………




 男の拳が少年の顔面を襲った。




「うっ………!!!」


 突然の暴力、

 痛みよりも驚きの方がでかかった。

 だが、少年の決して低くはない鼻に熱い感覚が込み上がってくる。そして、着古したデニムの上にタラリと血が落ちた。

 少年は殴られた衝撃と、吹き出た血を抑えようする反射的な行動で右手で顔を押さえながら頭を下げた。


 すると、その首筋に何か冷たいものが当たった。


 刃物だ……


「動くな……動いたら、分かるな?」


 男の問い掛けは少年に答えなど求めていない。


 ゴソッ……

 再び少年のリュックが動く。

 タマゴが少年の危険を察知したんだ。だが、少年は開いたリュックの口を左手でギュッと握って閉じてしまった。


「まだだ……まだ動くな」


 少年は呟いた。


「なにぃ?」


 その言葉が自分に向かって発せられたと思った男はその刃を更に少年の首に押し当てた。


「やめましょうよ……」


「はぁあ?」


 男の顔が醜く歪む。


「俺……抵抗しませんから、だから……そのナイフ仕舞って下さい」


 囁く様に言った少年を男が醜い顔で笑う。


「ハハッ……あぁ? お前、何言ってんだよ? お前が俺に命令出来る立場だと思ってんのか?」


 男はナイフで少年の首筋を二度叩いた。


「どっちが上か分かってんだよな!!」


 男は少年に怒鳴った。怒鳴りながら、ナイフの柄を持った手で少年の右のこめかみを打った。


「うっ……」


 漏らしたくも無い声が漏れ、鈍くて響く痛みが流したくもない涙を流させた。

 殴られた衝撃で、押さえていた右手は外れて血だらけの顔が露になる。


「ハハッ!!」


 一発目の殴打で出血した鼻血が少年の下半分の顔を真っ赤に濡らし、口の周りは吐血した様に赤く染まっている。そんな少年を男が馬鹿にした様に笑った。

 そして少し離れた少年の顔を、髪を掴んで引き戻すと再び首筋にナイフの刃を当てた。


「おい……どうなんだよ?」


「分かってますよ……分かってます……」


 喋ると少年の口に血が流れ込んでくる。

 少年は伏せていた顔を男へ向けた。


「だから、本当に……」


 少年は、願いを最後まで言葉にせず 『ナイフを持つ手を離してくれ……』と男へ視線を合わし、眼差しで訴えた。


「言うこと聞くんで……お願いします……」


 消え入るような少年の声。


 ゴクリ……と男が生唾を飲み込んだ。

 男は一瞬考える様子を見せ、舌打ちをすると、少年の首筋にナイフを置いたまま少年が持つリュックを無理矢理奪い取った。


「とりあえず、このリュックは渡してもらう……」


 少年は男に向かって頷いた。


 男が雑に持ったリュックは開け口の前方をダラリと垂らし、再び口を大きく開けた。

 その中からタマゴの顔が見える。


 タマゴに援護を頼めば助かるかもしれない。

 しかし、タマゴと目が合った少年は"何かを訴えかける様に"左の瞼をパチンっと一回閉じただけ。

するとタマゴは、少年を助けるどころか怒りの表情を消し、"人形"へと戻ってしまった。


「なんだよコレ、意外と重いな…」


 男はリュックを見下ろした。

「ハハッ!」すると、男はまた馬鹿にする様に笑った。


「おいおい、大事そうに抱えてるから何か良い物でも入ってるかと思ったら、ただの玩具かよ……ガキくせぇ」


 目線を下げたまま吐き捨てる様に言った男の顔を少年は睨んでいた。


 しかし、少年の瞳には怯えなど無い、そこにあるのは精悍さそのもの……

 少年はダウンジャケットの上から『ダンボールジョーカー』の人形を強くギュッと握った。

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