15 生きるべき場所と調べ物と腑に落ちない別れ
「……放っておいた方が良くない?」
雨の中、捨てられた子犬を前にしての
「……なんだって?」
思わず聞き返すと切那さんは静かに答えた。
「放っておくべき。私はそう思う」
「どうして?」
「動物というのは本来人の枠の外で生きるものだから。
そして、私はこの子の生きる道を縛りたくはない」
「……」
切那さんの言葉は的を射ていると思う。
野良犬はこの世に数え切れない程に……というと大袈裟かもしれないけど、きっと数えるのが難しいほどに存在しているだろう。
それがこの世に一匹増えた所で、おそらく誰も気に止める事はない。
それでも、そんな犬を増やさない為にこの子犬を飼う事にしたとする。
それはこの子犬の
子供とは言い難い年齢になって来たとは思うけれど、大人から見ればきっと僕達はまだまだ子供なんだろう。
そんな僕らが子犬のこれからを勝手に縛って――決めつけていいのだろうか。
「――うーん……」
もう一度、最善策を考えようと頭を俯き加減にした時、視界に入った子犬の様子がおかしい事に気付いた。
なんというか……動きが弱々しい。
傘を持ったまましゃがみこんで、その様子をまじまじと見詰めた。
僕は獣医でもなんでもない、ただの学生なので、何かが分かるはずもない。
でも、そんな僕にはその子犬が弱っているようにしか見えなかった。
……当たり前だ。
いくらタオルを被っているとはいっても、この雨の中に暫くいたら子犬や子猫はたまったものじゃないはずだ。
切那さんの言葉は正しい。
自分で責任の取れない事はするべきではないし、この子犬も人に飼われるよりはこのまま野良として暮らした方がいいのかもしれない。
でもそれは――――――あくまで、先があれば、の話だ。
「……ふう」
僕は傘を畳んで手首の辺りに引っ掛けてから、ダンボールの中の子犬を拾い上げた。
子犬は思っていたよりも軽く、少しびっくりさせられる。
「ふーくん」
切那さんはそう言って、細めた眼を僕に向けた。
ほんの少し咎めるような、そんな視線だ――ちょっと辛くなる。
でも、だからと言って一度決めた事を翻す事は出来ない。
「言いたい事は分かるよ。
でも、このまま放っておいたらこの犬は死ぬかもしれない。
死んだら、元も子もないよ」
そう、死んでしまえば取り返しがつかない。
だから、このまま見過ごしてしまうのは嫌だった――例え切那さんにどう思われたとしても。
――いや、うん、辛いんだけどね。
「……どうするの?」
「うーん……とりあえずは家に連れ帰って……身体を拭いてから、温めてやればいいと思う」
テレビや漫画では大体そうしているし、それに間違いはないと思う。
人間も犬も同じ哺乳類なんだし、弱っている原因が想像どおり風邪ならその対処法や予防法も同じ、とは言わないが大差はないはずだ。
「それで、まだ弱るようなら獣医の所に連れて行く。
んで調子が良くなるまでは面倒をみる。
この子を飼うとか飼わないとかはその後で決めればいい――って考えてる」
「……」
「じゃあ、その。悪いけど、行くね。また月曜日に」
そろそろ別れ道だし、子犬の為にも急いだ方が良いだろう。
――こんな別れ方はモヤモヤしてしまうけれど……それでもだ。
そうして、切那さんに手を振ってから駆け出そうとした時――彼女が口を開いた。
「待って」
「?」
「ここからだと、ふーくんの家まで結構ある。
その間に状況が悪くなるかもしれないから、とりあえず私の家に運んだ方がいいと思う」
「……いいの?」
少し前の言葉を思うと予想外の提案だった。
思わず僕が尋ねると、切那さんは目を逸らして呟いた。
「私の意見を曲げるつもりはないけど、今はふーくんが正しいと思うから。
それにふーくんの家はご家族がいらっしゃるんでしょう?
ご家族にわざわざ説明するより、一人暮らしの私のアパートに運ぶ方が面倒がないわ」
「そっか。そうだね」
家には、いたとしても兄さんぐらいしかいないだろうし、その兄さんにしても基本的に放任気味なので問題は無いと思う。
だけど今は……切那さんの気持ちを大切に受け取りたいと思った。
「そう言ってもらえると助かるよ。ありがとう」
「……別に」
そう呟いて視線を逸らす切那さんの表情は――いつもと変わらないようにも、何処か照れているようにも見える。
もし晴れていたら、雨天ゆえの暗さでなかったら、どちらかハッキリ分かったんじゃないかなと、僕は少し残念に思った。
「ただいまー」
そう言って、僕はドタドタと玄関に上がった。
兄さんは仕事に出掛けているようなので、家の中には誰もいない。
あの後、どうするかをもう一度話し合った結果、とりあえず切那さんが子犬を自分の家まで連れて行き、その間に僕は家に戻り、子犬の食事その他を買ってくる事となった。
別に急ぐ必要はないが、切那さんを待たせたくはない。
僕は私服に着替えて、兄さんの部屋に向かった。
兄さんの部屋には、兄弟共用で使わせてもらっているパソコンが置いてある。
ネットで少し犬について調べれば、買い物の参考になるだろうし、今後どんな事に気をつければいいかがわかるだろう。
携帯でも調べられるけど、場合によっては画像や動画を見るかもなので、携帯のデータ量が気になる僕としては調べられるならここである程度調べ終えておきたかった。
――通信制限かけられたくないのです、うん。
そんな思考をしつつ誰もいない部屋に入り、その奥にあるパソコンの前に座る。
何気に椅子が上質なのが、凝り性の兄さんらしい。
「さてと」
呟きながら起動させる。
ここ最近は触った事がなかったな……とか思いながらユーザーアカウントを入力する。
何の文字表記もない画面が立ち上がる。
兄さんは有名なイラストレーターさんの壁紙を使っているらしいが、僕にしてみれば用途さえ果たせればいいので、壁紙に拘りはなかった。
無事に立ち上がったのを確認して、青い画面の右端に映るネットブラウザのショートカットをダブルクリック。
そして、起動と同時に検索系サイトに文字を入力して、エンター。[
『風邪の犬の治療法』……すごく引っかかったなぁ。
情報がたくさんなのはありがたいと感謝しつつ、該当しそうな情報を携帯のテキストに入力しておく。
そうして情報をまとめ終えた僕は、自分の部屋で机の奥に仕舞い込み貯めていたお金の一部を財布に入れ、家を出た。
外はまだ曇り空ではあったが――いつの間にか雨が止んでいた。
「先走ったかな?」
これなら子犬を拾う必要はなかったのかもしれない。
……でも、晴れるなんて保障もなかったし、風邪が自然治癒出来るかも分からないしなぁ。
自分の判断の是非について少し考えつつ、僕は雨上がりの街を駆けていった――。
「うーむ、買い過ぎたかも……」
買い物を済ませて、切那さんのアパートに向かう途中でぼやいてみる。
色々考えて買い回った結果、荷物が想定よりも多くなってしまった。
そのおかげで財布の中身は僅かになってしまったが、止むを得ないだろう――うう、後悔はしてないけど、ちょっと悲しい。
何はともあれ、少しでも早く切那さんと子犬の所に行かないと……
「っとっ?!」
「お……っと」
そうして足早に進んでいると、前方不注意で誰かとぶつかってしまった。
最近、こんな事ばかり起こっている様な気がする。
その上。
「すみません……」
「いえ……って君か」
「あ」
それが二度目だったりする相手だった日には「気がする」では済まない……反省しておこう、となんとなく思う。
僕の目の前にいたのは以前も衝突した、最近学園で実習を行っている教育実習生さんだった。
「君とはどうも縁があるみたいだね」
「そうみたい、ですね」
衝突は二度目だが、会うのは三回目になる。
こうもエンカウントすると、その言葉を否定するのは難しい。
――申し訳ないけど、正直こういう縁の形なら切那さんと遭遇したいです、はい。
「だが、それも今日までだと思うよ」
「え?」
「月曜日で教育実習が終わるんでね。
さすがに、四度目は無いだろうから。それに………」
そこで教育実習生さんは、視線をあらぬ方向へと向けた。
僕も視線を贈ってみるが、そちらに何があるという訳でもなかったので思わず首を傾げた。
「?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
いずれにせよ、君と話すのはこれで最後になるだろうね」
「ならなかったら?」
「その時は、私達の間に有る運命でも信じてみるかい?」
「いえいえ、ご遠慮させていただきます」
表情で冗談だと分かっているが、それはとりあえずノーサンキューでお願いします。
……男同士だから緊張もしないし冷静に見れるから分かりやすくて助かる。
主に自分の無駄な緊張のせいとはいえ、女の子の心の機微もこの位分かり易いと助かるんだけどなぁ。
「……それはそれとして、その荷物から察するに夕食の買い物帰りなのかな?」
「え? あ、これは……違いますよ」
そうして僕は、簡単に子犬を拾った事を話した。
別に話す必要は無いが、話さない理由も無いので、ちょっとした世間話ぐらいの気分で語る。
「そうか……そういう事なら一つ二つ助言していいかな」
「へ?」
「いや、なに。私も似た様な事をした事があってね。
これも何かの縁だろう」
「あ、はい。助かります」
似た経験があるのなら、その意見はありがたい。
そう考えた返事に、彼は頷き返してから、語り出した。
「そうだね……一番気をつけるのは、体温の維持かな。
人間に限らず、子供の抵抗力というのはそんなに高くないからね。
ちょっとした事ですぐに身体を弱らせてしまう。
体温の変化には特に注意しないと」
「なるほど」
「それから、小さな変化を見逃さない事。
人間と違って言葉が使えない以上、動きの一つ一つが動物の状態を表しているからね。
逆に言えば、それを見逃す事で簡単に状況が悪化する事もあるから、注意は必要だ」
「……なるほど」
「後は……そうだね。
本当にその子犬の事を考えるのであれば、多少大袈裟でもいいから、何かあったらすぐに獣医に診せる事。
取り返しがつかない事態になってからじゃ遅いからね。
――そんなところかな」
「ありがとうございます。気を付けます」
家で調べた内容と被っている箇所もあったけど、それはそれ、体験からの意見はありがたいです。
ネットの情報は時に間違っている場合もあるので、すり合わせた上で調べた内容の真偽を確認できる。
「急いでいたようなのに済まないね。
結果として、少し長く呼び止めてしまった」
「いえ、すごく参考になりました。助かりましたよ」
「そう言ってもらえると嬉しいね。
それじゃ、行きなよ。この間の彼女が待ってるんだろう?」
「――――ええ、まぁ」
「あはは、仲が良くていいね」
「そうだといいんですけどね――それじゃ失礼します。……あの」
「ん?」
「いい先生になってくださいね」
これが最後ならと、せめてものお礼代わりにそう告げる――すると、彼は苦笑した。
はにかむように――それでいて、何故かどこか苦々しさも漂わせながら。
「それは、難しいな。約束は出来ないね。
でも、記憶には留めておくよ」
そんな曖昧な――不思議な表情を浮かべたままで、彼は言った。
「残念だな。
君みたいな人間は嫌いじゃないんだが……悪く思わないでくれよ」
「……??」
「気にしないでくれ。ただの言葉遊びだよ」
「はあ」
「ともかく、心遣いには感謝してるよ。ありがとう」
なんだろうか――不快感ではないけれど、どこかスッキリとしない。
何かが喉につかえたような、何とも言えない……そんな感覚があった。
でも、それを解決する方法も、わざわざそれをここで口にする理由も思いつかない――。
「……こちらこそ、ありがとうございました。では」
そんなモヤモヤした感情、思考を、深く頭を下げて強引に踏ん切りをつける。
そうして僕は教育実習生さんに背を向けて、ある意味性懲りもなく駆け出した。
――今度は誰かに衝突しないよう気をつけますので、ええ。
少し進んだ先で、なんとなく振り返ってみる。
もうそこに、あの男の人の姿は見当たらなかった。
「変な感じだな――」
小さく首を傾げて最後の心の整理を終えた僕は、今度こそはと切那さん達の元へと駆け出した――。
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