10 風邪とおかゆとばか者二人

「ふーくん」


 僕をそう呼ぶのは一人しかない。

 確認するまでもなく、季節外れの転入生――境乃さかいの切那きりなさんこと切那せつなさん、その人だった。


 切那さんがうちの台所にいる……しかも、ピンクのエプロンを装備している。

 いや、なんというか……良い。滅茶苦茶に似合ってて可愛い。


 って、そうじゃなくて。


 熱暴走気味な頭を諌めつつ、僕は切那さんに尋ねる事にした。


「切那さん。どうして、ここに?」

「……ふーくんが風邪を引いたから」

「え?」

「今日学園に行ったら、ふーくんが風邪を引いて休んだって、聞いて。

 それは昨日探させた私の責任だから。

 その責任を取りに来たの」

「……切那さんの責任じゃないよ。

 来てくれたのは、その、すごく嬉しいけど。

 しかし、よく家が分かったね……というか、家の中にはどうやって?」

「家の場所については、この近くだってふーくんが言ってたの思い出して、なんとか探し当てたの。

 家の中に入れたのは……私が家に来た所でお兄様に会って、事情を説明したら入れてもらえたわ」


(…………………兄さん、ナイス判断)


 心の内で兄さんに多大なる感謝を贈る。

 今度何か買い物のついでに差し入れのデザートでも買っておこう。

 

 しかし、昨日の僕と同じように探し回る状況でも切那さんは全然気持ち悪くないなぁ。

 そもそも色々不純だったかもしれない僕と切那さんを比較すべきじゃないんだけどね、うん。


「あ……でも、学園は?」

「早退させてもらったわ」

「え……」


 あっさり言われて、僕は言葉を失った。


 それは、僕の為に……いや違う。

 熱のせいか、くだらない、自惚れた事を考えてしまった。

 訂正して、言葉を紡ぐ。


「僕のせいで……ごめん」


 昨日あんな馬鹿な事をしたストーキング野郎にさえ、ちゃんと向き合ってくれた切那さんなのだ。

 その馬鹿が風邪を引いたと聞けば、余計な心配をさせてしまう可能性は決して低くない。

 つくづく自分のやった事が申し訳ないやら情けないやらだった。


「……元々は私のせいよ。

 それに……いえ、なんでもないわ。

 とにかく、ご家族が返って来るまで世話をさせて。お願い」


 そう言って、彼女は頭を下げた。

 僕はどうしていいか分からず、頭を抱えるように掻き毟った。


「ちょ………あ、頭を上げて――!

 あれは僕の勝手でやった事だし………」

「なら、私の勝手でお世話させてくれる?」

「ぐぅ」


 僕の行動を逆手に取った言葉と上目遣いな視線――それらを向けられると、最早僕に成す術はなかった。


「わ、分かりました……その、よろしくお願いします」

「……ありがとう、ふーくん」


 あれ?

 この場合、礼を言うのは僕じゃないのだろうか?


 それとも、彼女が言うのが正しいのか?

 よくわからなくなってきた……


 ともかく、了解を得て納得したのか。

 ウンウン、と数度頷いた切那さんは再び何かに取り掛かりだした。


 その前にはガスコンロ。

 どうやら、なんらかの加熱作業を行っているらしい。


 フラフラしながらそれに近付く。

 おとなしくした方がいいのだろうが、彼女が何を作っているのか知りたいという好奇心がそれを超えていた。


 待っていてもいずれ分かる事は分かっていたが、今知りたかったのである。

 ひょいっと顔を覗かせる。


 しかし。


「う」

「……」


 切那さんの手で視界が遮られて見えなくなる。

 しかもその手に鍋掴みをつけているのでなおの事見えない。


「……その……見るだけだから」

「すぐ済むから座ってて」


 ちゃんとした返事にはなっていないが、それだけに有無を言わせない響きがあった。


「でも……」

「……」

「はひ」


 それでも納得いかない僕に無言のプレッシャーを解き放つ切那さん。

 その前では、僕は蛇に睨まれた蛙、象に立ち塞がろうとする虫けら、レベル1・スキル無しでラスボスに挑む雑兵に過ぎない。

 

 というわけで、おとなしく台所に置かれているテーブルの一席に座る。

 正直、少し立っているのが辛くなったので丁度よかったのかもしれない。


 そこには、兄さんが用意してくれたらしい風邪薬が無造作に置いてあった。


 感謝する事がまた一つ増えたなぁ……食後の薬なので、食べられたら飲む事にしよう。

 そんなことを考えつつの数分間の後に。


「……ごめんなさい」


 そう言って頭を下げる切那さんと僕に挟まれる形で、それはあった。


 黒いおかゆ。


 そのおかゆはおかゆでありながら、殆どが焦げるという離れ業をやってのけていた。

 水の量が少なすぎたのか……いやそれでも普通こうはならないと思うなぁ、うん。

 ある意味奇跡の領域だと思う。


「……料理、苦手なの?」

「おかゆは初めて作るから……ミートスパゲティなら上手くいったはず」


 だが、残念な事にこれはミートスパではない。

 チャーハンでもなければ、ドライカレーでもない。

 おかゆだ。


 とはいえ彼女の誠意を無碍には出来ない。というか出来るわけがない。

 ここは男の、いや漢の見せ所だ。


「……いただきます」

「いいの? ご飯は私の家で炊いたものの余りがまだあるから、作り直すけど……」


 幾分優しげな声に決心が揺らぎそうになる。

 だが口にした以上、意志を曲げる事は許されない。

 それが……男というものなのです――うん、多分。


「いただきます」


 改めて言い直して、僕はスプーンを伸ばし黒くなり果てたそれを一掬いする。

 そして、迷い無く口の中に放り込んだ。


 こ、これは………………………………味がしない。


 焦げたような匂いがするが、味そのものが感じられない。

 一体どう工夫したらこうなるのだろうか。


 美味しいなら美味しい、そうでないならそうでないでリアクションの取りようもあるが、まさか無味だとは。

 ある意味美味しくない方がまだよかったかも――いやいや、それは折角作ってもらったのに失礼が過ぎる。


 しかし、このまま黙っているわけにも行かない。

 その時間が長ければが長いほど、不信感を切那さんに与えてしまう。


「……どう?」


 問い掛ける切那さんの表情は、いつもと同じく感情の色が薄く見える。

 でも、なんとなくだけど、それはいつもよりも熱を、感情を帯びているような……そんな風に僕は思えた。


 これは……経緯や結果はともかく、切那さんが僕に作ってくれたものだ。

 だから、美味しいと言いたい。言ってあげたい。


 でも、切那さんはそう言って喜ぶとは思えない。

 確信はないけど、そんな気がする。


 なにより、嘘をつきたくない。

 切那さんだから、つきたくなかった。


 そうして様々に考え込んだ末に、僕は意を決して口を開いた。


「うん、美味しくない、わけじゃないけど……味がしないみたいだ」

「……そうなの」


 はっきりとは分からない。

 だが、その声は落胆していると僕は感じた。


 それを、その事実をフォローしたりはしない。

 どうせ僕は口下手だ、ロクな言葉なんか浮かばない。 

 その代わりに、やるべきことをやるだけだ。


「でも、食べるよ」

「……え……」

「切那さんが作ってくれたものだから、食べたいんだ」


 言って、元々熱かった顔がさらに熱くなるのを感じた。

 元々熱があるからか、程度が分からずとんでもなく恥ずかしい事を言っているような気はしている。


 それでも、嘘じゃない。

 本当の事だから、否定の言葉を上げたりはしない。


 僕は切那さんが作ってくれたこのおかゆを食べたいんだから。


 切那さんの視線を感じる――けど、僕はあまりにも照れくさすぎて、おかゆに意識を集中して、とにかく食べた。

 ……気付けば、いつの間にか器の中身は奇麗に消えてしまっていた。


「ご、ごちそうさま」

「………」


 切那さんはかなり呆然とした顔をしていた。

 うう、どう思われてるか心配だなぁ。


 ともかく、お腹は膨れた。

 これで食後の薬を飲むことが出来る。

 いろんな意味で、まだ少しぼーっとした頭を持て余しながらも、錠剤を一粒とって席を立った。


「ふーくん」


 フラフラと流し場に辿り着き、蛇口に手を伸ばしたところで、切那さんの声が背中から聞こえてきた。

 コップを持った手が少し汗ばむ。

 それに微かな不快感を感じながらも、僕は言葉を待った。


 怒っているだろうか?

 悲しんでいるのだろうか?

 それとも、まさか泣いたりしていないだろうか?

 そう思うと、すごく落ち着かなかった。


 まるで時間が停まったような感覚に陥る。


 やがて。

 そんな停止と焦燥の中で、その言葉が響いた。


「……の、ばか」

「う」

「美味しくないなら、食べなくたっても……無理しなくってもいいのに」

「馬鹿かもしれないけど、無理は……してないよ」


 時間が動き出した事を感じながら、僕は蛇口を捻った。

 流れ出る水の束をコップの半分まで入れ、蛇口を閉めてから呟く。


「僕は、したいことをしたんだ。

 食べたかったんだよ、切那さんが作ってくれたおかゆを。

 だから、無理なんかじゃない」


 顔半分だけ、切那さんに向ける。

 向けた顔側の口の端が上がっていた。


「………………ばか。

 昨日だって、今日だって……そんなに気にしなくていい事を気にして、私なんかを心配してくれて――それで風邪引いたり、美味しくないものを食べて……それでも、笑ってくれて」

「……」

「どうして、そんなに……そんなに、優しいの……?」


 僕は……優しくなんかない。

 もし仮に優しいのだとしても――多分、純粋な優しさじゃない。


 そう否定するのは簡単だ。

 でも、それを否定するよりも伝えたい事があった。


(恥ずかしさの、ついでだ)


 心で呟いて決意を固めて――僕は思いきって伝えたい事を伝える事にした。

 それが僕らしからぬ事だと思いながらも、そうせずにはいられなかった。


「それは、お互い様だよ」

「え?」

「そんな馬鹿の世話をする切那さんだって、馬鹿だよ。

 馬鹿で、優しいよ」

「私は……馬鹿かもしれない。でも優しくなんか――」

「駄目だよ。馬鹿を認めたんなら、もう一つも認めないと。

 雨の中僕を探し回らせたっていうのが君の責任って言い張るなら―――それも、君の責任だ」


 自分の屁理屈がおかしかった。思わず笑みを浮かべてしまうくらいに。

 でも、きっとそれは正しい屁理屈だ。


 少なくとも、今はそう確信出来る。

 切那さんを見ていると――そう思えた。


「……ふーくんって、結構滅茶苦茶」


 ややあって。

 呆れたような、それでいて優しい声音が僕の耳に響いた。


「まあ、ばか、だからね」


 僕は、もう一度笑って答えて、薬と水を一気に喉の奥に流し込んだ。

 それは思っていたよりもずっと冷たくて、その場の空気を冷ましていくような錯覚を僕に与えた。


 けれど、今感じるあたたかな雰囲気は決して消えないような、そんな気がした。

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