待ち伏せ

木々の枝に寄りかかりながら、俺は目を閉じた。すぐ近くの川岸には大蛇の肉が放置されている。目を瞑りながら木葉の匂いに包まれていた俺は、ふいに人間時代の家族のことを思い出した。


俺の母親は地元の病院につとめる看護師だった。母はその病院で副院長を任せられていたようで、毎日朝早くから夜の遅くまで働きづめであった。ただ、本人はそれがなによりもの生き甲斐であったようだ。


だから俺は母親がガンで死ぬまで、母の手料理は一度も食べたことがなかった。中学の時だって、陸上の大会に出る時も、母親は冷凍食品の弁当すら作ってくれなかった。当然中学の卒業式のときも来てくれたのは親父だけだった。


その親父も元々は大工だったようだが、住宅の需要が変化していく中で仕事を失い、俺が専門学校を卒業するまでずっと無職だった。そのくせ家の中では腕の組んで大黒柱のように振る舞っていた。


そんな家で俺を育ててくれたのは祖母だけだった。祖父は俺がまだ幼少のときに、認知症を患ってしまい、近所の笹を食って喉を詰まらせ死んでしまった。


母親は副院長をしていたから金には困っていなかったが、母から小遣いを貰ったことはほとんどなかった。だから俺はよく祖母の財布から金を盗んでいた。祖母は絶対俺が金を盗んでいることに気が付いていただろうが、なにも言わずに知らないふりをし続けてくれていた。


だがそんな優しい祖母も、自分の父親であり、俺のひいお爺ちゃんの頭をよくぶっ叩いていた。ひいお爺ちゃんは若い頃に兵隊として中国に行き、帰ってきたころには精神を刷り切って放心状態となっていたようだ。それから家の畑仕事も手伝わず、娘である祖母によく迷惑をかけていた。


だが俺にとってはたまにお小遣いをくれるよいひいお爺ちゃんだった。


いい家族だった。姉は今頃どうしているだろう。中学の時に付き合っていた、ヤクザの息子のところに嫁いでから、姉とは音信不通だ。姉は俺の地元の中学で一位を争う程の美人だった。ヤクザの息子と付き合ってころは、電車の中でヤクザの息子の舎弟たちに囲まれながら、その息子のチンコをしゃぶらされていたらしい。


しかもみんな中学でタバコ吸ってたし、そのタバコの煙でフェラしてるところを隠していたと姉から聞いた。そんなことが許される時代があったんだ。


いい時代だった。今ではそんなこと許されなくなったけど、でも俺はゴブリンとして生まれ変わった。あの時と同じか、それ以上に俺は自由を謳歌している。何をしたって力が有れば許される。


俺みたいな人間にとっては住みやすい世界だ。神経質で女々しい奴らにとっては生きにくい時代かもしれないがな。だがそんな奴らは現実じゃ何も言えずしまいだ。


SNSが発展してからメディアも社会全体も急速にリテラシーが高まり、つまらなくなったのも、学校の教室でいつも端っこにいて、なにも喋れないやつらが発言権を持てるようになった結果だろう。それはそれで良い事でもあるんだろうが、そのせいで詰まらない世の中になってしまった。


小さい頃はよくオタマジャクシを捕まえて、枝で串刺しにして遊んでいてもなにも言われなかったが、今じゃもしそれを誰かに見つかって、SNSでも拡散されたら大炎上だ。でもこの世界なら蛇を捕まえて木に叩きつけて遊んでも、だれも文句は言われない。


最初は呪ったものだが、今ではこの世界に来れて心底良かったと思っている。俺が昔の思い出に花を咲かせていると、木下からなにか音がした。嗅いだこともない臭いもする。


俺はゆっくりと起き上がると、俺の真下を通り過ぎていったなにかを探した。木葉の陰に隠れながら、川岸の方に眼をやる。するとそこには巨大な蜘蛛がいた。


蛇の次は蜘蛛ですかい。


しかもでけぇな。

たぶん一メートル以上はある。

全身毛むくじゃらでキモイ。

人間時代にこんな蜘蛛にであったら卒倒してる自身があるな。


巨大蜘蛛は大きな脚をちょこちょこと動かしながら、川岸に捨てられた大蛇の肉のほうまで寄っていく。そして何度か脚や口元で大蛇の肉を触ったあと、大蛇の肉を脚で包み込むようにして食べ始めた。


随分と食いつきがいいねぇ。

もしかしてあの蛇とはライバル関係なのか?

巨大蜘蛛は無心になって大蛇を貪っていく。

周りの様子を気にしている素振りはない。


今がチャンスだ。

俺は短刀を握ると、川岸の近くに生えた木から飛び上がった。

一瞬だけ木々が揺れる音が聞こえる。

だが巨大蜘蛛は俺の存在に気づいていない。


俺は放物線を描きながら巨大蜘蛛の真下へと降下していく。

すると巨大蜘蛛の頭にある小さな目と俺の目があった。

蜘蛛の頭がピクリと動く。

だがもう遅い。

蜘蛛が上空から迫った俺に反応する前に、俺は重力と共に腕を振りかぶって短刀を巨大蜘蛛の眉間に突き刺した。


そしてそのまま突き刺したナイフの柄を握りしめる拳で、巨大蜘蛛の頭を叩きつける。蜘蛛の頭は地面に激突し、その反動で大きく膨れた蜘蛛の腹が跳ね上がった。


薄い砂埃が舞う。


俺の体全身に黄色い体液が降りかかった。巨大蜘蛛の頭は俺の拳と地面に挟まれ、木っ端みじんに四散していた。頭を失った蜘蛛の胴体から大量の体液と吐瀉物があふれでてくる。


「うえっ」


ゴブリンになってから吐き気を催すような臭いも平気になった。だけど人間時代の記憶に引っ張られている俺は気分は良くない。


ナイフを握りしめている俺の拳の半分は地面に突き刺さっていた。川岸の砂利も、俺の拳があるところだけ粉々になっている。


巨大蜘蛛から流れ出てくる汚物が手にかからないよう、俺はすぐに地面に刺さったナイフと拳を抜いた。拳やナイフに挟まっていた土や砂利が飛び跳ねる。握りしめていた短刀を見ると、刃の剣先が擦り切れて、根本も折れ曲がっていた。


「ありゃぁ、これじゃあ使えんな」


俺はナイフや腰巻をそこらへんに捨てると、体中に降りかかった汚物を洗うために川に飛び込んだ。そしてそのまま向こう岸まで泳ぎ切ると、もう一度ダイブして巨大蜘蛛の居る方まで泳いでいく。


川から這い上がった俺は水を振るい落とすため何回かジャンプをする。そして手で体に流れる水をはじいた俺は、腰巻をはいた。


ナイフは使えないからもういい。

それに二体との戦いで、もう俺の身体能力なら素手でも十分に戦えることが分かった。まだ相手の攻撃を食らったことがないため、油断はできないが、少なくとも俺の攻撃に耐える術はもっていないようだ。


むこうのレベルが低いってのもあるだろうがな。ある程度知能の高いゴブリンでも、レベル上げの為にモンスターを殺すという発想には至らないし、至ったとしてもダリアの様子からは忌避している感じがした。


本能でいきる野生モンスターならなおさらだろう。腹が減った時か、敵に襲われたときにした戦わない。だからモンスターが殺す相手など多くても一日に一体ほどだ。だから簡単にレベルは上がらない。


この状況で高レベルのモンスターがいるとしたら、積極的にレベルを上げている特殊個体か、単純に長生きしている個体だろう。でも生存競争が激しく、不衛生で摂取できる栄養も不安定な自然界で、長生きできる個体はすくない。


地球でも、動物園で十年以上生きれる生物が、野生化では数年しか寿命がないことなんてザラだ。そうすると大体の個体はレベルを大きく上げる前に死亡し、世代交代するしかない。今の俺たちゴブリンも同じだ。


そうなると益々、人間の脅威は高くなるな。人間は集団で生活し、文明を築いているだろう。農業によって比較的に安定してカロリーを摂取できるし、自然界よりは寄生虫などのリスクを下げられる。病気になっても医療をうけられるから、長生きする個体が多い。


そしてなにより、長い年月をかけて培ってきたその知恵や経験を、書物などで後世に託すことが出来る。知能の低い個体はその恩恵を自ら放棄するだろうがな。


ほかの生物は世代交代のサイクルが早く、頻繁にレベルリセットが起きてしまうが、人間の場合は子供が生まれても親世代はすぐに死ぬわけじゃない。つまり他の生物よりも世代交代は緩やかだ。だから一個体が強くなれる時間的余裕がおおい。


もちろん現代日本と比べたら早死にだろうが、この世界の自然界と比べてたら何十倍も長生きできるはずだ。


そして後から生まれてきた個体ほど、本来なら自分が何十年かけて培わなくてはならい技術や知恵、教訓などを数年で習得できる。

つまりは強くてニューゲームが可能になる。


スタート地点から先に進んでいて、尚且つ駒を進める回数も多い。ただ唯一弱点があるとすれば、経験は積めてもレベル上げはそう簡単ではないと言うことだ。レベル自体がそんな簡単に上がるものではないが、もし人間がレベルを上げるためにモンスターの存在へ頼っているとしたら、そんな簡単にレベルは上げられないだろう。


なにせ野生モンスターは人間と違って自給自足の生活。そもそも個体数が人間に比べて少ない。レベルアップの為にやみくもに殺せばすぐに個体数を減らしてしまう。そうなればレベルを上げるためにモンスターを殺すことはできない。


ゲームみたいに画面が切り替われば、また勝手に現れるような都合のいい代物ではないのだから。だけど人間なら俺と同じようにレベルを上げようとする奴らも多いだろう。


そうなってくると、領土や宗教、政治問題だけでなく、レベル上げのために人間同士で争うこともあるかもしれん。


今はまだ捕らぬ狸の皮算用だけど、いずれ人間たちと接触する機会が増えれば、その隙をつけば勝機はあるかもしれん。




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