第5話 魔法

 ニグレドの背後から、いきなり黒い影が襲いかかってきた。

 影はまるで刃物のように、何の容赦も泣く僕の胸に突き刺さった。

「――」

 目の前が真っ暗になった。

 頭を打った時と同じだった。

 何が起こったのか分からずに混乱していると――ふと視線を感じた。

 背筋がぞくっとして、慌てて後ろを振り返ると……そこにいる〝何か〟と目が合った。

 すぐにハッと我に返った。

 すると、視界も元通りになった。

 い、今のは……?

 周囲はもう、暗闇ではなかった。何だかよく分からず、黒い影が突き刺さった自分の胸を見下ろした。

 さっき、確かに胸に穴が空いたような気がしたが……もちろんそんなことはなかった。血も出てないし、痛みもまったくない。

 首を捻っていると、ドラゴンが大口を開けてヨダレをまき散らしながら僕に飛びかかってきた。

「グギャアアアアアッ!」

「うわぁッ!?」

 驚いて両手を突き出すと――そこから眩い光が放たれて、今にも噛みつこうとしていたドラゴンの姿が消し飛んでしまった。

そう、本当に消し飛んだのだ。さっき見ていたようにどろりと溶けて消えるのではなく、細かい光の粒子になって激しく消し飛んだのである。

「――へ?」

 ちょっと混乱してしまった。

 ……な、なんだいまの?

 思わず自分の右手を眺めてしまった。確かに、この手から光みたいなものが出たような気がしたが……何だったんだ?

「って、そうだ!? もう一匹は!?」

 慌てて周囲を見回した。

 しかし、もう一匹のドラゴンはすでに影も形もなかった。

「……あ、あれ? もう一匹いなかったっけ?」

「そいつも消し飛んだよ。というか近くにいたドラゴンも、その根源である瘴気も、お前の使った〝魔法〟で全て消し飛んじまったから安心しろ」

 スッ、とニグレドが仁王立ちで僕の横に立った。

 だから四足歩行なのか二足歩行なのかはっきりしろ。

 ってまぁそんなことはどうでもいい。

「……魔法? え? 僕いま魔法使ったの?」

「ああ、そうだ。お前はオレ様と契約したからな」

「契約ってなに?」

「契約は契約さ。これでお前はオレ様の〝眷属〟だ。あんなザコじゃあ、相手にはならねえってことだな」

「眷属……? よくわかんないけど……じゃあ、もしかして僕は力をもらっちゃったわけ?」

「まぁそういうこったな」

「なるほど……でもまぁとりあえず危機も去ったし、とりあえずクーリングオフで」

「……ん? 〝くーりんぐおふ〟って何だ?」

「受け取った商品が不良品だったりした場合、返品することができる制度だよ。七日以内なら全て返品可能なんだ。だから力も返すね☆」

「いやできねえよ!?」

「は!? てめぇ悪徳業者かよ!? 警察に連絡するぞ!?」

「うるせえ! ケーサツが何だか知らねえが、言っとくけど例え神でもオレ様は止められねえぞ!?」

「お前さっき自分で神の遣いみたいなこと言ってただろ! その設定はどうした!? 自分で言った設定くらいちゃんと遵守しろ!」

 僕がそう言うと、ニグレドはちっちっち、とキザったらしく指を揺らした。猛烈にイラッとする仕草だった。

「確かに初めはそうだったがな。だが、そんなのはもう昔の話なんだよ。なんせオレ様はもう〝裏切り者〟なんだからな」

「……裏切り者? いったい何の話――」

「そこの茂みに誰かいるのか!?」

 ニグレドとあれやこれや言い合っていると、茂みの向こうから声が飛んできた。

 ギクリとしてすぐに口を噤んだ。

 茂みに隠れたままこっそり向こうの様子を窺った。

すると……騎士の人たちが馬を下りて、こっちにランスを向けているのが見えた。

 他のドラゴンたちの姿もすでになかったし、ブラックホールみたいなやつもない。

 ……本当にさっきの光で全部消し飛んでしまったのか? だとしたら驚きの洗浄力だ。

「……まずい。見つかったみたいだ。逃げなきゃ」

 四つん這いのままそそくさと逃げようとした。

 が、ニグレドにスカートの裾を引っ張られた。

「おい!? どこ引っ張ってんだ!?」(小声)

「まぁ待てよ。別に逃げる必要はねえだろ?」(ぐいぐい)

「分かった! 分かったからいったん手離せ! 見える! 見えちゃうから!」(小声)

 ニグレドが手を離した。

 慌ててスカートの裾を手で押さえた。いや、まぁ下は男物の下着だし見られて困るようなものじゃないんだけども……スカートをめくられるのって何か心理的な抵抗あるじゃん?

「お前が助けてやったんだぜ? だったら堂々と出て行けばいいじゃねえか」

「いや、だって向こう武器持ってるじゃん。武器持ってる相手に近づくとか普通に無理でしょ。怖すぎでしょ。銃刀法違反どころじゃないよ。見なよあのランスの先っちょをさ。完全に命を刈り取ろうとしてるじゃん」

「大丈夫だよ。堂々としてりゃいい」

 ニヤリ、とニグレドは再びあの妖しい笑みを見せた。

「とりあえず適当に話を合わせておけ。なあに、その姿なら問題ねえさ。余計なことを言わなかったら、向こうが勝手に色々と〝勘違い〟してくれるだろうよ」

「勘違い……? どういうこと?」

「このパターンは初めてだが……ふむ、試してみる価値はあるな。場合によっては非常に都合がいい立場を得られるかもしれねえ」

「おい、人の話聞けよ! 一人でなにぶつくさ言ってんだ!?」(もちろん小声)

「ああ、悪い悪い。まぁとにかくだ。余計なことは言うなよ? 身の上のことは話すな。記憶がないとでも言っとけ。気が付いたらここにいた――ってな感じでな」

「いや、そう言われても……」

「とにかく行け!」

「うぎゃー!?」

 ニグレドにぶん投げられた。

 猫の手(キャットハンド)のくせにものすごい力だった。

 茂みから投げ出された僕は「ぐえー」と無様に地面に転がった。

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