第39話恐怖・ズンドコ

 女神の魂を揺さぶる声が響き渡る。歌は前奏の段階。弦楽器の様な人間の音域を超えた声がビブラートを利かせ躍動する。


 この歌を聞くと楽しくなる。テンポが良く、自然と身体でリズムを取りたくなる。道で歩みを止め、ゆらゆら揺れるサラリーマンやOL。リズムをお互い取りながら目が合うも、照れながらリズムを取る。抗い様のない楽しい気持ちに逆らう事などできない。


 赤子も泣き止み、動物たちが声を上げる。楽しい、楽しいよ、って一生懸命鳴いている。めぇめぇ。わんわん。こけっこっこ、と。


 揺れる揺れる、皆、揺れる。リズムを刻むことを辞められない。揺れる揺れる、皆揺れる。楽しむことを辞められない。


 ――ズンドコ~ズンドコ。


 子供も老人もリズムが取りやすいゆっくりとしたテンポがとっても優しい。女神が歌うには少し古臭い気もするが楽しいのだから問題ない。


 家に帰れば両親がいつも喧嘩をしている、思春期真っただ中の少女は家のドアを潜る。――ズンドコズンドコ。


 両親が肩を組んで踊っていた。先程から、頭に響いて来る楽しい歌だ。少女も踊りたかったのだが、両親の事が気になっていたのだ。だが、もう関係ない。折り合いが悪かった両親と手を繋ぐと円になり踊り出す。――ズンドコズンドコ。


 ――ズンドコズンドコ。


 ヤクザの事務所にカチコミがあって銃撃戦が起きた、拳銃の玉はも残っていない。だが、頭の中に歌が流れてきた。楽しい。最高だ。敵も味方を拳銃を放り投げて手を取り合った。――ズンドコズンドコ。


 ――ズンドコズンドコ。


 風俗店へ来店した男性がパネルマジックの被害にあい、クレイジーレディがやって来た。全裸バトルで圧倒されるも頭の中に楽しい歌が流れて来る。一気に形勢逆転だ。――ズコバコズコバコ。


 ――ズコバコズコバ……ズンドコズンドコ。


 ハブとマングースが戦いに明け暮れていた、隙を見せれば食われちまう。これが、野生の掟ってやつなのよね。もう体力が残っていない。これまでか……。頭の中に歌が聞こえて来る。憎いあのハブ野郎が踊り狂ってやがる。俺っちも踊り狂っちまった。なんだこれ、楽しいな。――ズンドコズンドコ。


 ――ズンドコズンドコ。


 人間の細胞が嘆いている。細胞分裂なんてしたくないんだ、僕の末路は分裂による老化。ああ、死にたくない……。おや、力が湧いて来る歌が響いて来るぞ。身体が震えかつての僕へと戻っていく。やったぁ、ミトコンドリア君も喜んでるぞ。――ズンドコズンドコ。


 日本中のありとあらゆる魂が宿るモノを震わせるズンドコ。無差別に襲い掛かるズンドコウイルスは瞬く間に日本中へ広がっていった。


 天にはオーロラが発生し人間達を祝福しているようだ。


「これが……これが、女神の力というのか……だが――」


 ――なんでズンドコなんだ……?


 んなこと気にしちゃ踊れねえッ! 今は踊らにゃソンソンッ! ズンドコズンドコ! と狂ったように総理大臣も、退魔士協会局長も踊り出す。ここに、日本国内全ての人間の意思が一つとなった。


 慈愛の女神はほくそ笑む。『種は蒔いた』と。大いなる力による思想の統一、これは民衆を支配下に置く為の前段階だ。決して強制的ではない。えるしぃちゃんの前夜祭に便乗して自らが君臨する土壌を育てているだけなのだ。


 まぁた悪い事をしてやがる、と闘神はキレそうになる。だが、お互い自分自身なのだ。邪悪な側面に対して自己嫌悪からくる憤りが湧いてくるようだ。


 この狂騒も終わってしまう。歌を歌い終え光の巨人は天へ登っていく、大きく手を振りながら。


『――聞いてくれてありがと~! 前夜祭はここまでっ!! ちゃんねる登録もよろしくね~! えるしぃでしたっ! ば~いび~』


 今までは世界中のユアチューブユーザの認識は、なんかすっげー奴がいるぜ? えるしぃちゃんって言うんだけどさ。程度の認識が、とんでもねえ“光の巨人”が日本って国に降臨したんだッ! それが、えるしぃちゃんって奴なんだッ! 今すぐ【えるしぃちゃんねる】を要チェックだぜ!? になってしまった。


 ついに【えるしぃちゃんねる】の登録者数が一億人を突破し今も増え続けている。山をぶった切ったり超絶美少女ゲロインでも、フェイク映像や芸人だろうと見向きもしなかった人間達が“女神の偶像”と認識してしまったのだ。







 スタジオ内の儀式術式陣の光が収まるとえるしぃちゃんは溜息を吐いた。


「おつかれさん。これ飲んだほうがええで? 汗一杯掻いとるやろ」


 スポーツ飲料とハンドタオルを渡してくる蓮ちゃん。ありがとぉ、と言い顔を拭いてゴッキュゴッキュと飲み干していく。儀式術式を展開する事自体は難しくはないが都内の大結界を構築する事に思考能力をかなり割いていたのだ。慈愛の女神が担当していたともいう。


「ふぃ~。ちかれた……」


「今ならぷにぷにのお膝が空いてるネ? ほらほら、こっちに来るアルヨ」


 鈴ちゃんに誘惑されホイホイ膝枕をして貰うえるしぃちゃん、今は疲れ切っていて思考能力がスライム並みになってしまっている。蓮ときららは鈴にしてやられたという顔を向けるも勝ち誇ったようなツラを拝まされるだけだ。


 雷蔵は退魔士協会との事後処理に走り、ウィザー丼はとんでもないほどの問い合わせとちゃんねる登録者数の激増に目を回している。


 その社員以外は後片づけが終わり次第お菓子とお茶を楽しんでいる。


 スヨスヨと眠るえるしぃちゃんを横目に、蓮ちゃんはウィザー丼へ話しかける。


「どないや? 恐らくとんでもない事になっとるやろうな」


「ええ、もう少し小規模な前夜祭を想定して動いていたので……サーバーを強化しないといけなさそうですね。それと登録者数が現在一億一千万人となっており世界一になりました……おめでとうございます。と言いたいのですが今後の方針を会議しなければなりませんね」


「うっわぁ……案件のギャラの金額決めたばっかやん。まぁ、十倍以上も登録者が跳ね上がればそうなるわな、身元が確かな社員っつーか臨時の人員増やさなあかんな。――雷蔵ー? 退魔士んとこからいい人材派遣できへんか? って忙しそうやな……曾我部さーん、誰かいい人おる?」


 雷蔵に声をかけるも通話をしながら携帯デバイスを忙しそうに操作していた。その様子を見ていた切り抜き爺は蓮ちゃんの言う追加の人員に心当たりがあった。


「そうだね……主に護衛と情報を両方熟せる人に声をかけてみるよ。提案なんだけどどこの事務所の上下の階層も借りないかい? サーバールームや人員の待機所も欲しいんだ」


「エル・アラメスプロダクション開設から一ヵ月経たんでもう事務所の拡張かいな。たしかに予算は問題あらへんな……後々困るよりも先に手を打っといた方がええか」


 事務所は高層ビルの中階層にあり、たしか他のフロアーも空いていたはずやな、と不動産へ至急連絡を取り始めた。ウィザー丼も急ぎで高性能な機器を発注して自らの手でパソコンやサーバーを組んでいくつもりらしい。


 慌ただしく動き始めたエル・アラメスプロダクション。そんな中、鈴ちゃんの膝でスヨスヨ寝ているえるしぃちゃんはとっても幸せそうでした。







 えるしぃちゃん前夜祭なるイベントのデータ観測を退魔士協会は夜通し行っている。あの歌が終了するとすぐさま観測員は都内の霊的スポットを駆け巡る。そして、どの地点でも妖怪や魔の類の敵性存在は認められなかった。


 都内数百ヵ所にも及ぶ白い石柱が聖属性の大結界を展開し続けているようだ。その効果はテキメンで侵入しようと結界に触れるもすぐさま消滅していたことが確認できた。


「局長。大結界の効果予測と現在都内のLCEG濃度です。やはり、異常数値を出し続けているものの人体に影響はないようです。――ですが、これは短期的な予測であり長期的ともなると継続してデータを取るしか……」


 手元にあるデバイスのモニターに突出している数値を指し示しながら説明をする術式研究員。あの光の巨人を形作っていた物質は一体どこへいってしまったのか、と疑問を呈する。


「そう、ですか。引き続き観測を続けて下さい。何もかも異常なできごとなのですからそうなるのもしょうがないですよ。今は、都内が大結界に守られ一匹たりとも妖魔がいないことを喜びましょう」


 そう研究員を宥めるも局長は人体に多少の影響が出ようと大結界の展開を辞めるつもりは毛頭なかった。それほどあの女神に感謝しているし。退魔士たちの拠点として本部が優秀だからだ。


「あの石柱が解析出来たらいいのですが、女神が解析をすると自壊する術式を組み込んでいると言っていましたからねぇ……。国内にも儀式術式陣が展開できれば日ノ本は平和になるのですが、そう甘くはないようですね」


「はぁ、あのえるしぃと言う女神様はとんでもないお方の様だ。このような大規模な術式……神の領域だ」


 局長と研究員はあの女神に対して同じ結論を出していた。――触れられない領域にいる、と。


「おかげさまで他県の支部もあの今回のデータの共有と大結界の催促がうるさくなってきています。まぁ、気持ちはわかりますが局長としてこの本部を守り都内の詳細な状況の調査が必要です。それと――前夜祭の事をあの女神は勘違いしていたようですが今回のようなことを明日もしないでしょうねぇ……?」


「どう……でしょうか。技術屋としては嬉しいのですが人手が足りませんよ」


「雷蔵からも護衛と情報処理の人員の派遣要請がありましたね。ここも忙しいんですが……少しは協力しないと罰が当たりそうです。技術班からも誰かいないかリストアップしてください」


「ええ、分かりました。守護の護符の件でも世話になってますからね、あの女神様には」


 えるしぃちゃんは退魔士協会を騒がせはしているがかなりの恩を売っている。退魔関連の死亡事故や怪我をする件数がここ数か月グッと下がり続けている。


「では日本政府に詳細なデータの報告をしておきます」


 そういうとそそくさ儀式術式の解析をしに研究所へ戻っていく技術オタク。スキップするその姿は喜びを隠せていないらしい。そう考える久世局長も先程から鼻歌を歌っている。オペレーターにふふふと優しい眼差しで笑われるも気にしていない。







 大結界を展開されてしまい呪術家として有名だった家は存亡の危機に瀕していた。妖怪共を使役し戦わせ蟲毒と言う呪法を用いて強力な大妖怪を製作していたのだが、大結界に巻き込まれ塵と化してしまったからだ。


「クソックソックソッ!! あの忌々しい魔人めッ! この儂にズンドコなど踊らせおってぇっ!」


 避難先の屋敷の家具を蹴り飛ばし破壊していく。収まらない怒りを周囲へぶつけて行く老人。

 

「御屋形様。他の拠点に妖怪を使役している分家の人間がまだ存在しております。再起を図りましょう」


「――うるさいっ! 儂に口答えをするんじゃない!」


 才能をこの老人に見いだされ体中に呪詛を埋め込まれモルモットの様に扱われた少女が腹を蹴とばされ壁にぶつかる。彼女は幼き頃からこの呪術家に忠誠を誓わされ、ただただこの家の為を想い献策した。


 だがそれが老人の気に障ったのだろう。収まらない怒りは床に倒れる少女へのストンピングに変わる。


「このっ、このっ、このぉッ!! はぁっ、はぁっ、はぁっ」


 いつもはここまでの暴行は行われないのだが彼らの言う魔人に踊らされた事がよほど腹に据えかねたようだ。


 少女は口から血を吐き身体が痙攣している。恐らく内臓が破裂しているのだろう。だが、埋め込まれた呪詛が異形の存在として強制的に再生させていく。


「ッチ。汚した床を片付けて置け。儂は取引先と会議にでる――蜉蝣カゲロウ。貴様の存在意義は儂が決める。勝手なことはするでないぞ」


「――かはぁッ」


 蜉蝣と呼ばれる少女はとても身体が弱かった。今でこそ呪詛による再生力で丈夫になったものの身体能力は低い。


 老人は蜉蝣の頭部を蹴り上げると会議へ向かい部屋を出て行く。部屋に残された蜉蝣は弱々しく立ち上がると。掃除道具を使って床を掃除する。


 黒く濁った自らの血液を眺めながら呟く。


「私は、私は……なんなのですか……女神様……いや、魔人様。どうか、どうかお答え下さい……」


 都心から遠く離れた屋敷では少女の声は届かない。届かいないはずなのだが。慈愛の濁った笑顔が一瞬だけ幻視された。


 少女の内部にある呪詛が大きく蠢いた。ぐちゅぐちゅと、内臓を掻きまわし少女の無事だった人間の部位までを浸食していく。


「――あえ? がっ、あ゛あ゛ぁぁぁぁああぁぁッ!」


 想像を絶する激痛が走る。身体の内側から虫に食い千切られ焼き鏝で熱されているような感覚だ。その感覚は脊髄を走り、眼球を蝕み、脳髄へ到達した。


 全身の毛穴から赤黒い血液が噴き出し部屋中が血色で彩られた。先程の吐血とは比べ物にならない程の致命的な出血量だ。


 何度も身体が痙攣した後、静まり返った。血の海に沈む少女の手がピクリと動くと床材を指先で毟り取った。手にした木材をおもむろに口へ運ぶとむしゃむしゃと食べ始める。


 身体を動かすにはエネルギーが必要だ。


 本能が身体を動かし木材だろうと摂取する。しまいには絨毯やソファーに齧りつき見境なく食べ始める。恐らく、歯や胃袋なども完全に異形と化しているのだろう。人間ならばも木材や絨毯を摂取する事はできない。


「がふっがふっがふっ――。…………おえぇぇぇぇっ。わ、私は何を、何を食べているん、だ……?」


 無意識に食していた物を認識し嗚咽感が湧き上がるも吐き出せない。すでに吸収が終わっておりようやく意識して行動ができたのだから。


 そこでようやく気付いた。自らの身体に秘められたポテンシャルに。強大な力に。


「は、はははは……これが、これが答えなのですねッ!! 魔人様……ありがとうございます……」


 屋敷の中で少女の高笑いが響く。


 頭髪は灰がった色に変色し瞳は血の色に染まった。


 天啓を得たと瞳をギラギラと輝かせ屋敷にあるモノを喰らい尽くす。館主である老人が帰宅した時には屋敷中の使用人や部下たちの無事な姿は見つからなかった。――しかし、好みではなかったのか数十人分の頭髪と男性の下半身だけの遺体が館には残されていた。


 すぐさま移動を開始した老人だが、とある忍者に背後から首を刎ねられるというなんとも悲しい最後であった。

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