第26話 君と、何度でも

 修学旅行2日目は、班別の自由行動で始まる。

 前日に興福寺、東大寺、薬師寺とメジャーなところはすでに回っているから、過ごし方は班によって違えど、多くの班はほかの有名スポット、例えば法隆寺や法華寺ほっけじ飛鳥寺あすかでら石舞台いしぶたい古墳、少し足を伸ばして浄瑠璃寺じょうるりじ談山たんざん神社へ行くことが多い。また、天理市のイチョウ並木や正暦寺しょうりゃくじの紅葉もいい。

 奈良観光はこの日で終わりで、夕方には集合してバスに乗車し、京都へ向かう。

 京都では2日目、3日目、4日目とホテルに連泊になる。幸太は中川、木村と、美咲は伊東、鈴木と同部屋になった。2日目の夜、幸太と美咲は受験対策の特別講習に出席した。ともに難関の国立大と私大を目指す二人にとってはもはや分かりきった内容ばかりだったが、基礎を復習しておくのも重要であるのと、限られた時間と環境でも意識を受験に向けておくのは悪いことではない。

 3日目、幸太の班は京都駅から蓮華王院れんげおういん三十三間堂さんじゅうさんげんどう六波羅蜜寺ろくはらみつじ、さらに坂をひたすらに上り、産寧坂さんねいざかなどをぶらぶらしつつ、清水寺までを歩いた。いわゆる清水の舞台から音羽おとわの滝などを巡り、昼食と休憩を挟んで、銀閣のある慈照寺へ向かう。

 幸太は、鏡のような湖の上に輝く金閣をようする鹿苑寺ろくおんじよりも、建物も庭園も小ぶりだが、いわゆるわび・さびという日本的な美的感覚を体現したような慈照寺が好きだ。京都の良さは、こういうところにある気がする。どうということのない木や石の配置、こけえ方、水のよどみや砂の流れ。

 こういうのでいいんだよ、こういうので。

 年をとると、分かる。

 幸太はまさかパワースポットなどというものを信じているわけではないが、何やら、それに近い体験を受け取れたような気がした。

 12年越しに来ると、また違った経験になる。

 訪れたスポットそれ自体はまったく同じわけだから、これは自分の感性や価値観が変わったということだろう。18歳のときに心に響かないものが、30歳になってから不思議と感動を覚えたりするということだ。

 京都御所に寄って、この日は観光を終えた。

 翌日は、幸太が待ちに待った4日目だ。

 朝、駅前のホテルから京都駅へ向かい、そこでそれぞれの班と別れて合流する。

「コータ、おはよう」

「美咲、おはよう。今日、けっこう冷えるね」

「大丈夫。手をつないでたら、寒くないよ」

 まぶしい笑顔とともに差し出された華奢きゃしゃな手は、少し冷たい。

 電車に乗り、改札を出ると、目の前にこぢんまりした赤い鳥居がそびえ立っている。緩やかな上り坂をまっすぐに進むと、伏見稲荷大社だ。観光客や修学旅行生がいっぱいで、同じ高校の制服もちらほらと見受けられる。

 時期も時期だけに、社務所では合格祈願のお守りを売り出している。

「ね、合格祈願と、それから縁結びのお守りとかもあるよ」

「んー縁結びはいらないかな」

「どうして?」

「もう、縁で結ばれてる人がいるから。結ばれた縁は自分で守る」

「うん……そうだね!」

 美咲はうれしそうな表情で大きくうなずいた。

 縁、などというものを幸太は信じてもいなければ頼りにもしていなかった。

 信じられるもの、行動の原動力になりうるもの、それは神様や運命なんかじゃない。そんな不確かなものに、幸太は自分の人生をささげるつもりはなかった。

 幸太と美咲の関係をつなぎとめるのは唯一、ふたりの心だけだ。一緒にいたい、その気持ち、その意志以外に彼らを結びつけられるものなど存在しないのだ。

 少なくとも幸太にとっては、今ここにある愛情こそが最もとうとい。この愛情だけが信じるに値するし、これさえあれば、神だとか運命だとかはただの雑音でしかない。

 参拝のあと、奥へ進んでゆくと、有名な千本鳥居だ。

 美咲は、この千本鳥居を、今回の修学旅行で一番楽しみにしていた。

 はしゃいでいる。

「すごく素敵! 私ずっとここ来てみたかったの!」

 両手を上げたり広げたり、幸太の前を踊るような軽快な足どりで歩いてゆく。幸太はただ、天使の導きに誘われるように、彼女の影を追った。

「鳥居がずっと続いてて、まるで異世界に続いてるみたい」

 と、美咲はそう言った。

 (異世界か……)

 過去へと意識を送り込まれた経験のある幸太からすると、あながち夢のような話とも言いきれない。

 幸太は自身が体験したタイムリープと重ね合わせて、くるくると回りながら歩く美咲の横顔に尋ねた。

「美咲は、もし過去に戻れるなら、いつに戻りたい?」

「私、戻りたくない」

「どうして?」

「今が一番、幸せだから。何度やり直しても、今に戻ってくるよ」

 (俺と同じだ……)

 美咲は、幸太とまったく同じ想いでいるようだった。

「コータも、同じ?」

 そう、幸太も同じだった。

 もし今、あの男が現れて、さぁTake3だ、好きな過去から再開しようと言われても、幸太は拒否する。美咲が言うように、彼は何度でも、美咲と出会うし、美咲に彼のすべての愛を捧げる。

 必ず。

 幸太に必要なのは過去ではなかった。美咲とともにある現在、そしてふたりでともに歩む未来があればいい。

 それだけを求めて、精一杯、懸命に毎日を生きていきたい。

 幸太は美咲の影を追い、再び彼女の手を握った。

 今はただ、美咲とこうして手をつないで歩きたい。

 一度、京都駅に戻り、近くの定食屋で早めの昼食をとったあと、京都タワーの展望室に行ってみる。

 美咲は、景色のいいところが大好きだ。

「すごーい、京都の有名なとこ、こっから全部見えるんだ。ここから見てるだけでおなかいっぱいだね」

「ご飯食べたばかりだからおなかいっぱいなだけじゃない?」

「もーその話は禁止! コータと一緒にいると楽しくてついたくさん食べちゃうの」

 幸太と入った定食屋で、ご飯をおかわりしたことを気にしているらしい。

「俺はうれしいよ。美咲が笑顔でご飯たくさん食べてるの」

「そう?」

「うん、だってそれって美咲が幸せでいるってことじゃん。美咲が幸せなら俺も幸せだから」

「そうなんだぁ。じゃあ私がご飯たくさん食べるほど、幸せの倍々ゲームでふたりの幸せが増えるってこと?」

「うん、まぁ理論的にはそうなるね」

「あはは、コータの幸せ理論、好き!」

 謎理論だが、美咲が気に入ってくれたのはなによりだ。

 電車移動を挟んで、次は平安神宮だ。

 南側の大鳥居はやはり壮観に映る。そのまま南側から応天門をくぐると、だだっ広い境内けいだいが広がる。広々とした空間が、爽やかで気持ちがいい。

 神社前の岡崎公園に戻ってのんびりしていると、たちまち空の色が変わってゆく。

 美咲も、気づいたようだ。

「もう、一日、終わっちゃうね」

「ふたりでいると、あっという間だよ」

「なんで、こんなに早いんだろ」

「きっと、一緒にいる時間が大切で、楽しいからだよ」

「もっと一緒にいられたらいいのにね!」

 ことさらに明るい声を上げたのは、美咲なりに、さびしい思いを封じ込めようとしているのだ。美咲のそういう気配、息づかいを、幸太は聞かずとも分かるようになっていた。

 素直で、けなげなひとだ。

「もうちょっと時間あるから、最後に寄り道しよう」

「どこ行くの?」

「美咲と一緒に、見たいものがあるんだ」

 さびしい気持ちは、幸太も同じだ。

 だが、だからこそ、美咲と一緒にいられる時間は、彼女のためにできることをすべてしたい。美咲にためにできることはもうない、というくらいの状態で、一日を終えたい。

 それが幸太にとって、日々、限られた時間を、後悔のないように生きていくということだ。

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