第35話 私のために争わないでください(2)

 

「――この騒ぎは一体何事ですか」

「そ、それは……」


 ニアは、ユーリとマティアスの姿を交互に眺め、畏怖の念に顔を蒼くした。黙して語らないニアの代わりに、タイスが答える。


「この令嬢方が、ロベリア様に対する侮辱を言ったのよ」

「なるほど。――だそうです、マティアス様。私……凄く悲しいです。ロベリア様は私の大好きな大好きな友人ですから」


 ナターシャは物憂げにため息をつき、マティアスを見上げた。


「ああ、分かっている。そなたは確か――チェンス家の令嬢……だったか」

「マティアス様。ニア・チェンス嬢です。私にも、よくよく聞き馴染みのあるお名前です。その節はどうも、ニア様」


 含みのある言い方だった。きっと、ニアはロベリアに対してだけではなく、ナターシャに対しても無礼を働いてきたのだろう。その辺りはこれまでの振る舞いを見て容易に想像できる。


「そうか、よく覚えておこう」


 ニアはマティアスの言葉に、元々蒼白だった顔を更に青白くさせ、震え出した。


「も、申し訳ありません。王太子殿下。ど、どうかご慈悲を……っ」

「君が詫びる相手は、殿下じゃないでしょ?」


 ユーリは穏やかな表情でそう言った。彼の笑顔も、どこか不穏さを漂わせている。

 ニアは友人たちとその場に立ち上がり、人目もはばからずロベリアに対して深く腰を折った。


「申し訳ございませんでした。ロベリア様。……どうか、私たちの無礼をお許しください……っ」

「……ええ。あなた方を許します」


 ニアは先程までと百八十度態度を変え、何度もこちらに頭を下げ、転がるように食堂を出ていった。事の顛末を傍観していた学生たちは唖然としている。しかし、その中で最も唖然としたのはロベリアだった。あんぐりである。


(物凄く錚々そうそうたる面々に庇ってもらっちゃったわ……)


 食堂に居合わせた生徒たちは、「ロベリア様を敵にしたらやばい」とか「ロベリア嬢が学内の覇権を握ってる」などと恐ろしい噂話をしている。


 小説のただのモブが、よくもここまで出世したものである。いつの間にか、小説の主要キャラクターたちと親密な関係になり、守ってもらうような立場になっていた。この場合、完全に悪目立ちだが。恐れ多さにロベリアが天を仰いできると、ナターシャがロベリアの両手を包んだ。


「大丈夫ですか……っ? ロベリア様、あの方たちに酷いことを言われたのでしょう?」

「う、ううん全然。大したことじゃないの。あなたが助けてくれたから平気よ。ナターシャこそ……手がまだ震えてる。怖かったでしょう?」

「バレちゃいました? やっぱり私、臆病で情けないです。でも、あんな風に堂々と振る舞えるようになったのは、進歩なんですよ! ロベリア様のおかげです」


 ナターシャは、頬を緩めて、へへと笑った。いつもの無邪気な表情だ。


「ありがとうナターシャ。私、とても嬉しかったわ。あなたが助けに来てくれて」


 ナターシャのおかげで事態に収集がついた。彼女が来なかったらどうなっていたか分からない。ロベリアだけでは、すったもんだして厄介な状態になっていたかもしれない。


 それにしても、ニアたちにはほんの些細な悪口を言われていた程度だったので、このような大衆の面前で、頭を下げさせられるという大恥をかいた心の傷は深いだろう。自業自得ではあるが……。


「当たり前のことをしたまでです。私たちはいつも、あなたの味方ですから! ロベリア様がピンチのときは、世界の果てでも駆けつけますからね! 困ったときはお互い様、でしょう?」

「…………!」

(世界の果てなんて……スケールが大きすぎよ)


 タイスとポリーナも、ナターシャの後ろで力強く頷いている。


「……ありがとう、みんな……」


 つんと鼻の奥が痛くなる。ナターシャの言葉に、友人たちのひたむきな想いに、ロベリアの頬に涙が伝った。


(なんて幸せなのかしら。こんなに素晴らしい人に巡り会えて、私は幸運だわ。優しさが心に染みて、あったかい気持ち……)


 ロベリアがほろほろと涙を流しながら立ち尽くしていると、ユーリが人目に晒されないようにそっと抱き寄せて身体で隠した。


「ああもう、ロベリア様は本当によく泣くわね。世話が焼けるんだから」


 タイスからはハンカチを差し出され、もう本当に、至れり尽くせりだ。


 ふと、前世のことを思い出した。病に伏せって部屋に閉じこもり、ひとりきりで寂しくて、惨めだったころのことを。当時は、友達と楽しい日々を送ることを叶わない夢のように思っていた。前世の自分が思い描いていたのとは違うけれど、今は新しいロベリアという人間で、こんな豊かな人間関係を取り戻すことができた。


 長らく頑張ってきたことが、報われたような気分になった。過去の自分と同じように病で苦しんできたアリーシャもどうか幸せになれますように。ロベリアはそう願った。

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