第20話 努力の方向性……間違ってませんよね?

 

「ロベリア様、最近ファビウスに稽古つけてもらってるんだってな!」

「まぁ、よく知ってるわね」

「ファビウスから聞いたんだよ」


 ファビウスはシュベットの同期というのは知っていたが、それなりに親しい間柄らしい。


「彼、教えるのがとても上手くて、充実してるわ」

「へぇ。ロベリア様ってたまに突拍子もないことするよな。そういうとこ、面白くて好きだけどさ! ちょっと手、見せてよ」


 シュベットはロベリアの手を取り、へぇと呟いた。熱心に剣を振るっていたおかげで、ロベリアの白く滑らかだった手のひらには、豆ができて血が滲んでいる。護身術の範疇を越えた、本格的な剣の稽古に励んでいるロベリア。もはや、一体どこを目指しているのか分からなくなってきてはいる。


「結構頑張ってるじゃん。でもさ、なんでロベリア様が鍛える必要があるんだ? 護衛のことは衛兵に任せたらいいだろ? 貴族なんだし」

「そうだけどね、自分でもいざというときに備えて戦えた方がいいと思って」

「ふうん。あんたはなんつーか、努力の方向性がいっつもあさっての方を向いてるよな。稽古なら、ウチがつけてあげてもよかったのに」

「……シュベット、教えるのが下手すぎて後輩が誰一人師事してこないって散々嘆いてたじゃない」


 シュベットは、頭で考えるというより感覚重視の天才肌だ。また、どうにも口下手な彼女は、説明に「こう……しゅばっとだ!」とか、「そして……バババーーッとだ!」などと擬音ばかりを使うので誰も理解ができない。


 シュベットは苦い顔をして肩を竦めた。


「うっ……。まぁ、ファビウスに任せとくのが賢明……だな」


 二人のやり取りを隣で聞いていたナターシャが、おもむろに言った。


「あの、ロベリア様はファビウス様とお二人で稽古なさってるんですよね……?」

「ええ、そうだけど」

「ユリちゃんは、そのことについて何て言ってるんですか?」

「特には何も。稽古のこと、彼には詳しく話していないから」


 勿論、ファビウスとはお互い下心は微塵もなく、健全な友人関係だ。


「なら、ユリちゃんにはあまり話さない方がいいかと思います」

「え……どうして?」

「ユリちゃん、結構やきもち焼きだから」

「まさか、私に嫉妬なんて――」


 しかし、ロベリアの脳裏に、ファビウスと稽古の約束を取り付けた際のユーリの振る舞いが思い浮かんだ。あのときの彼の様子はまるで――ファビウスと親しげにしているロベリアに"嫉妬"しているようだった。


(いやいや、ユーリ様に限って、そんなことあるはずないわよね)


 ロベリアはくだらない推測を頭の端へ追い払った。



 ◇◇◇



 アリーシャが王立学園に編入してくるまで、二ヶ月を切っていた。努力する方向が正しいかどうかはさておき、ファビウスの体術稽古は佳境を迎えた。


 一ヶ月の期間を経て、遂にファビウスから短剣を取り上げられるようになったのである。


「いいんじゃないか? オレが教えてやれるのはもーこの辺りまでだな」


 修練場の床に転がった模擬剣を拾い上げて、ファビウスが笑う。


「本当に長いこと付き合ってくれてありがとう」

「はは、いいって」


 ファビウスはぐっと伸びをしてから、こちらに尋ねた。


「あんたさ、何をそんな焦ってんだ?」

「……」

「今まで何も言わずに付き合ってきたけど、刃物を持った相手と対峙したときの対処法を学びたい――なんて限定的すぎんだろ。あんたの本気ぶりを見てると……まるで未来にそれが起こるのを知ってるみてぇだ」

「それは……」

「答えたくねぇならいい。だが、いつかそういう危機が起こりうるのか?」


 ロベリアは少し躊躇ってから頷いた。


(別に、隠す理由もないわ)


 ロベリアが俯いていると、ファビウスは小さく息を吐いて、ロベリアの頭に手を乗せた。


「ま、あんま思い詰めんなよ? 状況っつーのは常に変わり続ける。必ずしも悪い方に動く訳じゃねぇよ。……にしても、刃物を持った相手に立ち向かおうなんて、たくましい女だよな、あんたは」


 ファビウスはへらへら笑いながら、ロベリアの頭を無造作に撫でた。ロベリアは、彼なりに励ましてくれたことが嬉しくて、頬を綻ばせた。


「ありがとう、ファビウス。…………ファビウス?」


 彼から反応が返ってこないので、そっと顔を上げると、彼は決まり悪そうな表情を浮かべて遠くに視線を向けていた、


「……ユーリ」

「君たち。一体何やってるの?」


 聞き慣れた、けれどいつもより低く冷たい声音。その声の主はユーリだった。


「ユーリ様、どうしてこちらに?」

「剣術学部の校舎に用事があって寄ったんだよ」


 彼はつかつかとこちらに歩いてきて、ファビウスから引き剥がすようにロベリアの手を引いた。


「そうなのね。私はファビウスに護身術を教えてもらっていたのよ。彼、教えるのが凄く上手で……」

「ふうん。夜近くに二人きりで?」

「……ユーリ様?」


 彼は見るからにいつもと様子が違った。凍えるような冷めた顔つきで、こちらを見据えている。


「なら、この手を振り払ってみなよ。ファビウスに学んでいたなら、それくらいできるだろ?」


 ロベリアは、ユーリに握られた手を振り解こうと身じろいだ。しかし、彼の力は思っていたよりも強く、ロベリアの力では振り解けない。


「ほら、全然だめじゃない。そんな様子で護身術なんて学ぶ意味ある? いっそファビウスに守ってもらえばいいんじゃない?」


 ユーリの口元に、氷のような嘲笑が掠めたのを見て、背筋がぞくっとした。


「は、離してちょうだい。ユーリ様、なんだか変よ……」


 精一杯懇願を口にしたものの、ユーリは解放してくれない。


「離して……っ。は、離してったら……!」


 どうして彼が突然こんなに怖い顔をしているのか、訳も分からず当惑する。そして、様子を見兼ねたファビウスがユーリの腕をそっと払った。


「おい、らしくねぇぞ。少し冷静になれ」

「……!」


 ユーリははっと我に返り、僅かに目を泳がせた。


「ごめんロベリア。……頭冷やしてくる」


  ユーリは申し訳なさそうに眉をひそめて、修練場を後にした。残されたロベリアは、すっかりショックを受けていた。


「……私、ユーリ様に嫌われてしまったのかしら」


 他でもないユーリを守りたい一心で慣れない体術の稽古をしていたのに。彼の機嫌を損ねてしまった。いつもは余裕たっぷりで、冷静な彼が、怒りに近いものを瞳に滲ませていた。


 落胆するロベリアに対して、ファビウスが優しく言った。


「いいや違う、むしろ――逆だろ。オレ、ユーリ様のあんな格好悪い姿を見る日が来るとは思わなかったぜ。いつも飄々としてるあいつも、あんたには感情的な一面を見せるんだな」

「それはつまり、どういう……?」

「ロベリア嬢って本当に鈍いよな。知りたいなら、自分で確かめるといいさ。……あいつは、地位のある人間だから色々抱えてるみてぇだけど、あんたみたいなのが傍にいてやってくれたら安心だ」


 ファビウスは呑気に「いいもんが見れた」などと笑っている。


 生暖かい夏の風がシャツ越しに身体を包み込む。気がつくと、日が落ちて辺りはすっかり暗くなりはじめていた。

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