第3話 小公爵様、取引しましょう(3)
公爵令嬢ロベリア・アヴリーヌは、何事にも慎重で、真面目。慎ましく控えめな模範的な娘――だった。けれどそれはちょっと前までの話。前世の記憶を取り戻した彼女は、ひと味違う。
(ようし。ユーリ様に特注防刃チョッキは差し入れるとして、そんなものを差し入れても不自然ではない関係値に持っていくのが今の課題ね)
――防刃チョッキを差し入れても不自然ではない関係。……果たしてそれは、一体どんな関係か。けれど、彼女にツッコミを入れる者はいない。
ロベリアは顎に手を添えて真面目な顔をし、うーんと思案する。
(ユーリ様はそもそも、令嬢を一切寄せ付けないお方だから……。そうね……ひとまずは――彼女に接近しましょう。行動あるのみ! 猪突猛進よ! 私ならやれる!)
前世のロベリアは、大雑把で短絡的、勝ち気な性格だった。つまり、現世とは真逆。同じ人間でも、育つ環境が違えばこうも性質が変わるものだから不思議だ。二人の人格が融合した今、どちらかというと前世の方が強く影響している。
ロベリアは、淑やかさをすっかり置き去りにした大股歩きで学園内の中庭をどしどしと歩いた。公爵令嬢ともあろう娘が、なんというていたらくか。
(ナターシャが昼食をとっていたのは確か――)
色調豊かな花々が植えられた花壇の奥に、彼女の姿が見えた。
ふわりとした絹糸のような銀髪をなびかせ、一人で食事をしているのは、当物語の主人公――ナターシャ・エヴァンズその人だ。中庭のテラス席が、彼女のお気に入りであることは小説を読んで知っている。ロベリアはこほんと咳払いした後で、彼女の元に足を進めた。
「ごきげんよう、ナターシャさん」
「……えっと……あなたは……」
ナターシャは困惑した様子でロベリアを見上げた。近くに寄ると、はっきりとその顔を確認できる。大きな瑠璃色の瞳は、夕刻の紫がかった深い空を彷彿とさせる。白く滑らかな肌も、血色の良いふっくらとした唇も、全てのパーツが整い、バランス良く配置されている。
「突然話しかけて、驚かせてしまったわね。私はロベリア・アヴリーヌと申します。……ご迷惑でなければ、私もお昼ご飯、ご一緒していいかしら?」
「……! は、はい。私でよければ……どうぞ」
ナターシャは不審感を滲ませながらも、控えめに頷き、向かいの席へ促してくれた。ロベリアは、椅子に腰かけて昼食の包みを開いた。
「そう萎縮しないでちょうだい。あなたが嫌がることは決してしないと誓うわ」
「……はっはい」
ナターシャは、不安そうにちらちらとロベリアの様子を伺っている。瑠璃色の瞳が儚げに揺れ、庇護欲を掻き立てられた。
ロベリアとナターシャは、取るに足らない会話を交わした。
ロベリアは基本的に気さくで裏表のない人間だ。ナターシャの疑心も少しずつ薄れていき、打ち解けはじめたところで彼女がおもむろに尋ねる。
「あの……ロベリア様。どうして私なんかに声をかけてくださったのですか?」
「それは……」
(あなたの妹が一年後に人殺しになるから、それを防ぎたいと思って☆)
……とは、口が裂けても言えない。舌先まで出かかった言葉を飲み込む。
「……実はね、あなたが学園内で不自由にされている様子を見て、ずっと気の毒に思っていたの。……なかなか勇気が出なくてこれまでは話しかけられなかったのだけれど、あなたの力になりたくて……」
「……!」
ロベリアは、主演女優賞ものの名演技で、しおらしくそう伝えた。すると、ナターシャは元々大きな目を更に見開いて、ぼろぼろと大粒の涙を流しはじめた。白い肌が、とめどなく溢れる雫に濡れていく。
「嬉しいです……っ。私、こんなにあったかくて優しい言葉をかけていただいたのは、初めてです……。その気持ちだけで、どんなにか私が救われたことか……。ありがとうございます、ロベリア様」
(なっ…………んて――良い子なの!?)
ズキューンと胸を撃ち抜かれたような感覚。彼女の純粋無垢さに当てられ、ロベリアは口を片手で抑えながら肩を震わせた。ついには、ナターシャよりもロベリアの方が感涙にむせぶ始末。ロベリアは、情に弱く単純だった。
「ロ、ロベリア様!? どうしてあなたが泣いて……」
「あんまり良い子に育っていて感動してるのよ……うう」
「お、お母さん!?」
ナターシャは急に泣き出したロベリアを見て、すっかり当惑している。ロベリアは手をかざし、大丈夫だと彼女をたしなめる。
「気にしないでちょうだい。癖みたいなものだから」
「く、癖……?」
ロベリアはちょっとしたことでもすぐに感動して泣く癖があるのだ。ぐすぐす鼻をすすりながら、彼女に言った。
「これから、仲良くしてくれると嬉しいわ。よろしくね、ナターシャ」
ロベリアがそう告げると、彼女は潤んだ瞳を細め、満面の笑みで答えた。
「はい……! ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします……っ」
「ふ。結婚の挨拶みたいね」
照れくさそうにはにかむ彼女を見て、微笑ましい気持ちになるのと同時に、改めて決意を固めた。
(私、きっとあなたの力になるからね)
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