13.

「どう、かな……? やっぱ、変、かな……」


「全然、すごく、いいんじゃないかな」


「まったくうちの孫は。そういう時は『可愛いね』ってスマートに言うもんだべ」


「初々しくていいじゃない。若い頃思い出すわあ」


 ばあちゃんたちに茶化されて恥ずかしさがこみ上げた。だけど、人混みの中でもすぐに見つけられるくらい、美咲は可愛かった。紺地に白やえんじ色の朝顔が咲いた浴衣を身に纏い、長い髪の毛を緩くまとめている姿はとても大人っぽかった。肩にかけている水色の保冷バックは邪魔だったが。


「優斗くんも、似合ってる」


「あ、ありがとう」


「優斗くん、誠さんの若い頃そっくりねえ」


「まごにも衣装だわ、ほんと」


「なんてこと言いやがる……」


 誠、というのは俺のじいちゃんの名前だ。黒地に縦縞のこの浴衣は、じいちゃんのものらしい。浴衣を着るのは初めてで、なんとも落ち着かない。


 今日は夏の終わりの風物詩、花火大会だ。普段はガラガラな海沿いの道が、人で溢れかえっている。家族連れや、若いカップルなんかは浴衣を着ている人もいた。


 俺たちは海へ向かう人の流れとは反対方向の、別の人の波に任せて歩いていた。道中、あちこちの商店が店先に商品を並べて、ビールや串焼きなんかを売っている。活気のある声が飛び交い、街全体がウキウキと揺れているようだ。


 焼けたソースの匂いや、甘ったるい生クリームの匂いを抜けて目指すは、打ち上げ会場の砂浜から少し離れたところにある公園。そこから海は臨めないが、空は遮るものが何もなく、地元民には人気のスポットらしい。


「荷物、持つよ」


 慣れない浴衣と人混みで歩きにくそうにしている美咲に声をかけた。


「え、でも重いし」


「いいから」


 保冷バックを持ち上げて、自分の肩にかついだ。


「ありがとう」


 軽やかにカラコロと聞こえる下駄の音が涼しげだった。


「へえ、優斗、やるじゃないか」


「優しい子ねえ、ちーちゃんも鼻が高いでしょう」


 後ろをついてくるばあちゃんたちがまた言ってくるけど俺は無視を決め込んだ。


「わ、いっぱい……」


 思わず声を上げたのは美咲だった。辿り着いた公園のだだっ広い芝生は、カラフルなビニールシートでぎゅうぎゅうに埋め尽くされていた。あちこちで花火が上がるのを楽しみに話す声がしている。それぞれのビニールシートの上には自宅から持ち寄った料理や酒、出店のパック詰めされた焼きそばやたこ焼きなどが積み上がっている。


「おーい、こっちこっち」


 人の多さに圧倒されていると、海側の方から声が聞こえた。


「いや~、賢三さん、いつも悪いねえ」


 ばあちゃんが返しながら近づく。どうやら場所取りを賢三さんに任せていたらしい。


「美咲ちゃんも優斗も、よーぐ似合ってんじゃないか」


 賢三さんはいつもの、グレーのポロシャツにくたびれたズボンで言った。


「やっぱり着せ甲斐があるね」


「箪笥の肥やしじゃしょうがないから、たまには出さないとね」


 賢三さんがとっておいてくれたビニールシートに座りながらばあちゃんたちは言った。


 最近知ったのだが、うちのばあちゃんと、美咲のばあちゃん、賢三さんは同級生らしい。これはプチ同窓会のようなものなんだろうか。でもほとんど毎日会ってるから関係ないか。


 持って来た荷物をシートの上に置き、足を投げ出して座る。大した重さではなかったが、久しぶりの人混みに少し疲れてしまった。東京じゃ、もっとたくさんの人間の波間で生きていたのに。


「うちからは漬物と、味おこわ炊いて来たから」


 おもむろにばあちゃんが風呂敷を広げる。気合いを入れて朝から、いや、昨日の夜から準備していたものだ。


「ちよさんとこの味おこわは、天下一品だからな」


「うちからはポテトサラダと、アジフライね」


 美咲のばあちゃんが保冷バックからタッパーを取り出す。


「うちは角煮と飲み物な」


 賢三さんも発泡スチロールから取り出してきた。


 シートの上はたちまち料理で溢れ、宴会感が高まった。


 まだ明るい夕暮れの中、のんびりと花火を待つ時間も悪くない。時折吹いてくる涼しい風に、夏の終わりの寂しさを感じるのは俺だけだろうか。


「優斗、何飲むんだ」


 賢三さんから声をかけられ、振り向く。


「あ、ラムネがいいな」


「あいよ」


「はい、おこわね。他のものは好きによそって食べて」


「ありがとうございます」


「んじゃ、乾杯すっけ?」


「んだね。みんな持ったね?」


 ノンアルビールを持つジジババと、ラムネを持つ孫たち。不思議な光景だ。


「今年の夏も、よく生き延びました。かんぱーい」


 どんな挨拶だよ。そう思ったけど、はしゃいでいるばあちゃんたちを見たら口を挟むのは野暮だった。


「……うっま」


「そう言ってくれっと作った甲斐があるってもんだ」


「嬉しいねえ、ね、美咲」


「あれ、美咲ちゃんが作ったのかい?」


「そうなのよ、ポテトサラダを作るの手伝ってもらったの」


「そいつはいいなぁ、女っ子は何やらせても器用だな」


「優斗くんに食べてもらうのに頑張るんだーって」


「お、おばあちゃん」


 美咲が恥ずかしそうにおばあちゃんの袖を引っ張る。


「最近はお料理以外も、色々興味が出て来てくれて、本当に嬉しく思っているのよ」


「はあ、うちの孫がねえ。役に立ててんだべか」


「うふふ」


 にこにことよく話すばあちゃんたち。話題の中心になる俺たちの身にもなってほしい。隣に座る美咲の顔をなんとなく見れなくて、俺は食べることに集中した。


 アジフライはサクサクふわふわだし、角煮はごろっとしっかりな肉なのに、噛めばほろほろと溶けていく。もちろんばあちゃんの作った味おこわだってふつうに美味しいし、漬物でさっぱり口の中がリセットされて最高。どの料理も本当に美味しかった。でも、強いて言うならやっぱり、ポテトサラダが美味い。じゃがいもの素朴な味とブラックペッパーがベストマッチで、料理上手な女子っていいなと思う。


 ……いやいや、何を考えてんだ俺は。


「美味いよ、すごく」


「……よかった」


 美咲の顔は見ずに、ぼそりと呟く。美咲からもぽろりと静かに返事が返ってきた。


 ばあちゃんたちは今年の夏はああだったこうだったと、話に花を咲かせていく。ふと、ばあちゃんたちにとって、今年は去年とは違う夏になっているのか気になった。


 少なくとも俺にとっては、今までとはまるで違う夏を過ごしている。排気ガスの臭いも、押しつぶされそうな人混みも、流行の最先端に触れることもないけど、ここでは自由を感じた。東京から連れて来られた時はどうなることかと思ったけど、なんだかんだ上手くやれていると思う。


 少しずつ辺りが暗さを増していくにつれて、公園のあちこちに立てた仮設のライトがじわじわと点灯していった。そろそろ花火が上がるんだろうか。


「ばあちゃん、俺、煙草吸いたいんだけど」


 あらかた食べ終え、ゆっくりしているばあちゃんに声をかけた。


「いつもはどこで吸ったっていいけどね、今日ばっかりは喫煙所に行かにゃケンカになるわな」


「どの辺にある?」


「いつもだったら公園の入り口んとこと、あっちの打ち上げ会場の入り口んとこ、こっちの仮設トイレの後ろっかわにあっと思うけど」


「せっかくの祭りだ、打ち上げ会場の方も見てきたらいいべ」


「ああ、それがいいね。美咲ちゃんも一緒に行って来たらどうだい?」


「えっ、わた、私は」


「あら、いいじゃない。せっかくのお祭りだもの。それじゃあおつかいも頼もうかしら。帰りに焼きそば買ってきてくれる?」


「あたしゃりんご飴がほしいね」


「ばあちゃん、そんなもん食うの?」


「悪いかい?」


「いや、別に」


 そう言ってばあちゃんたちは、俺たちに小遣いを握らせた。


「ゆっくりでいいわよ。この人混みだもの、テキヤさんは並んでるからね」


「花火が終わるまでにここに帰ってくればいいさね。迷子にならんように、気をつけるんだよ」


「はいはい、行ってきます」


 ばあちゃんたちに送り出されて、俺と美咲は夜に差し掛かる打ち上げ会場に向かうことにした。

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