第58話 三日月は笑っている

「えっと…こっち」


「OK」


 自宅に帰るために十字路を左に曲がる。中里さんは俺の後ろにぴったりとくっついてくる。駅から離れて踏切を渡り、住宅地を進んでいく。


「言っとくけど、親がダメって言ったら駄目だからな」


「分かってるって、もしダメだったらネカフェとかカラオケに行けばいいし」


「いや…中学生が一人でネカフェとかカラオケとか行けないだろ」


「私って中学生に見える?」


「見え…見えなくもないかも」


 実際、身長は俺より少し高いくらいだし…顔もなんだが他の女子よりも大人っぽく見える。制服さえ着ていなければ中学生とは思われにくいとは思う。


「でしょ?」


「でも…一人は危ないだろ」


「心配してくれるの?」


「まぁ…そりゃ少しは心配するだろ。同じクラスなんだし…」


「同じクラス…本当にそれだけ?」


「それだけ」


 何やら馬鹿にするような声音でこちらに質問をしてくるが、こちらの感情を悟られないように淡々と返す。


 先ほど中里さんのスマホで時間を確認したが、時刻は8時近くなっていた。家を出たのが大体6時過ぎくらいだったのでかなり時間が経っている。


「はっくしょん。うぅ~」


「うわっ」


 背後でいきなり大声でくしゃみをされたため驚き過ぎて一瞬、心臓が止まるかと思った。


「びっくりした~」


「ごめんごめん」


 そういえば、かなり気温が下がってきている。陽が完全に落ちたため日中よりもさらに低くなっているだろう。中里さんはブレザーを着てはいるが、それでもかなり寒そうにしているのに気付いた。


「あのさ…良かったらジャージ…使う?」


「えっ?良いの?」


「まぁ……あっ!」


 ジャージを脱ぎながらあることに気付く。だいぶ乾いてはいるが汗を拭いたため臭いが付いているかもしれない。さすがに汗がついたジャージを着させるわけにはいかない。


「…やっぱ…ダメ」


「うえぇ?何で?」


「汗かいたから…多分くさい」


「気にしないよ、くさくても」


「ええ?」


 それでも一度気にしてしまうと、どうしても気になってしまう。脱いだジャージを手に持ったまま立ち止まっていると…


「えいっ」


「あっ!ちょっ…」


 彼女は俺の手元からジャージをひょいっと奪い取った。身軽な動きで奪い返そうと伸ばした俺の手を躱していく。


「じゃあ…着ないから…こうする」


「いや~それもそれで…」


 彼女は俺のジャージの袖の部分を腰の後ろから前に回して、腹の少し下あたりで結んだ。肌寒い空気に晒されていた足が俺のジャージで少しだけ隠れる。


「これなら良いでしょ…ね?」


「まぁ…それなら」


 今更取り返せないと悟りしぶしぶあきらめる。そもそもこっちもこっちで割と寒いんだがここは何とか家まで我慢することにした。


「もうすぐ家着くから…」


「りょ~かい」


「あとでちゃんと返せよ」


「分かってるって」


 再び足を動かし始めて自宅へ向かう。後ろからローファー独特のカツカツという足音が聞こえるので中里さんもついてきているのだろう。


 ふと体を少し擦りながら夜空を見上げると今日は三日月だった。まるで口角の吊り上がった口元のような形をしている。






「ここ?」


「ここ」


 自宅の前にたどり着いた。駐車場には車が止まっているので父さんも帰ってきているのだろう。リビングには電気が付いているので家族も全員いるのだろう。何と言えばいいのだろうか、全く分からない。


 女の子が泊まりたいって言ってるんだけど、泊めてもいい?


 いやいや


 クラスの女子が…家に帰りたくないって言ってて…


 いやいや


「どうしたの?」


「いや…ちょっと…いろいろ考えてる」


「何を?」


「何をって…親にどう説明すればいいかを考えてるんだよ」


 いきなり女を連れて来る息子をどう思うのか分からないが、驚くことは確定だろう。


「ん~…じゃあ、彼女ですって言えばいいじゃん」


「いやだ」


「ひど~い」


 中里さんは何か言っているがとりあえずこのまま外でしゃべっているわけにもいかないためしぶしぶ玄関のほうに向かう。


「よしっ…行ってくる」






「どうだった?」


「……」






「へぇ~…美香ちゃんって言うのね。遠慮せずに食べてね~」


「ありがとうございます」


 俺がいつも座っているダイニングのテーブルに中里さんが座っている。今日の夕飯はカレーだった。皿の上に大きく盛られた白米とルーが見える。


「ごちそうさま」


 夕飯の席の隣にクラスメイトがいるという独特な空気感に堪えられず、俺は急いでカレーを口の中に放り込んで食べ終わった食器を台所に持っていく。


「そういえば父さんは?」


「なんか会社の人と飲みに行くって…」


「へぇ~」


 以前にも家に帰ってすぐ荷物を置いて同僚の車に乗って飲みに行ってしまったことがあった。帰ってくるのは夜遅くになるだろう。


「ご馳走様でした」


「どうだった?」


「すごくおいしかったです。それにすごく暖かかったです」


「それなら良かった…あっ、食器はそこらへんに置いておいていいよ」


「いえ…自分で洗いますよ」


「大丈夫だよ…真にやらせるから」


「えっ?俺!?」


 いきなり話を振られて驚く。母親はこちらを見ながらニヤニヤと笑っている。


「はい…貸して。洗っておくから…」


「うん、ありがとう…」


 中里さんは俺に食器を渡して、その場にじっとしている。


「……」


「…何やってるの?」


「…」


「?」


 何故か俺の傍から離れない彼女に「?」の顔をしながら見つめていると、母親が気が付いたように口を開く。


「あっ…そうだ。良ければお風呂も入ったら?」


「いえ…そこまでお世話には…」


「女の子でしょ?ちゃんとお風呂に入らないと…ねっ?」


「……分かりました。でも…着替えとか持ってなくて…」


「気にしないで…ちゃんと用意するから」


 そういうと母は中里さんをお風呂場に案内し始めた。俺は中里さんから受け取った食器を流しに置いて、スポンジに食器用洗剤を垂らして泡立てる。そのまま一番手元に近かった食器を持って汚れを擦る。




「これなら大丈夫かな?」


「さぁ?」


 母さんはおそらく自分のお古の寝間着や下着などもろもろを二階から引っ張り出してきた。女性のサイズ感は分からないので母さんの方を向かずに皿洗いをし続ける。


「ていうか…どういう関係?あの娘と…」


「どういうって…」


「彼女?」


「違う…本当にたまたま会って今日帰る場所がないって言うから…」


「へぇ~ホント?」


「マジで」


 それだけ言うと母さんはソファーに腰かけて洗濯物を畳み始めた。俺もすでに流しにある食器を全部洗い終えたのでタオルで手を拭き、そのまま二階に上っていく。


「ふぅ~」


 自分のベッドに寝そべる。家に帰って来た時に寝てしまったが、相当疲労が溜まったかまた眠気が襲ってくる。今日は色んなことがあった……





「ん?」


 目を閉じてボーっとしている間に意識が途切れていたが何やら柔らかいものが触れる感覚が伝わってきてじんわりと意識が戻ってくる。


「ンン?」


 目を開けると何故か中里さんの顔があった。何故か顔は赤く紅潮している。体温も高い気がする。口元はまるで三日月のように口角が上がっている。


「起きた?」

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