第52話 隠したい秘密

「…やっぱ、無くなってる」


 昨日、確かに鞄に入れておいたはずのノートが一冊無くなっている。ゴミ箱も確認したが教室のごみ箱には入っていなかった。


「わざわざ、イジメてる奴のノート持ち帰ったりするか?」


 単純に俺自身が置いた場所を忘れている可能性もあるが、基本的に教科書やノートは入れっぱなしにしているので取り出すことすらほとんどないのだが。


「…おはよう」


「あっ…おはようございます」


 白い百合のような髪の毛を揺らしながら俺の席の斜め後ろから挨拶をしてきたのは中里さんだった。相変わらず誰にでも平等に優しい。


「あっ…中里さん…」


「ん?何?」


「えっと…俺のノート…いや、何でもないです」


「そう?…なら良いけど」


 昨日俺の鞄に触っていたのが俺とあの人だけとは言え、さすがに中里さんを疑うことは出来ない。中里さんは俺以外にも周りの人達に挨拶をして回っている。もちろん、俺をイジメているあの三人組にも平等に挨拶している。


「まぁ…いいや」


 幸い、無くなったノートは授業などでは使っていない物なので無くなっても新しいノートを買えばよいだけだ。






「藤原…もっと最後までフォームを崩さないように意識しろ」


「はい!」


 夏休みが明けて9月も終わりの放課後。先ほど外部コーチに言われたことを頭の中で反芻しながらスタート地点に戻っていく。暑くもなく寒くもない秋直前の気持ちの良い風が吹いている。


「タイム縮まらないよぉ…藤原…」


「それなら縮まるまで練習すれば良いだろ。朝霞…」


「藤原と同じ練習してたら死んじゃうよ」


「そうか?」


 同じ部活の同級生の朝霞が泣き言を言っているが、俺には理解が出来ない。そんなに早くなりたいのなら練習をすればいいのに…


「藤原がおかしいんだよ。…長距離の選手でもないのに、毎日あんな距離走ってたら足壊すよ」


「でも、壊れてない」


「…何喰って育ったんだよ」


「…米?」


 今まで何を食って育ったと聞かれて、真っ先に頭に思い浮かんだのは米だった。


「人生で一回も風邪ひいたことなさそう」


「確かにひいたことないな」


「まぁ…バカは……って言うしね」


「お前…期末赤点だったろ」


「ぐう…」


 夏休み前の期末テストで赤点を取りまくったせいで夏休みに補習授業を受けさせられていた隣の女はぐうの音を上げている。


「藤原は期末テスト、出来たの?」


「俺、11位だった」


「はぁ?これだからガリ勉は…」


「蹴るぞ」


 まるで煽るかのように両手を開いて、やれやれという態度に少しだけむかつく。


「きゃ~蹴られる~」


 朝霞はふざけながら俺よりも先にスタート地点に走って行ってしまった。一人残された俺は歩きながらさっきの走りの修正点を頭の中で思い浮かべながら歩いていく。



「お疲れ様でした」


「片付け終わったらすぐ帰れよ~」


「「「は~い」」」


 顧問の指示に部員たちは緩く返事をする。うちの顧問は部活中は厳しいが部活外ではあまり怒ったりはしない。


「先輩たち…居残りで練習ですか?」


「あぁ…そこは片付けなくていいよ」


「分かりました。お先に失礼します」


「おう」


 俺は先輩に挨拶してからグラウンドを出た。夏休みが明けてからは急に暗くなるのが早くなった気がする。まだ6時半ほどだがすでに東の空は暗くなっていて真上の空のオレンジ色も影を帯び始めている。


「じゃあな…藤原」


「あぁ…また、明日」


 別のクラスの部員に手を振って彼らとは反対方向に向かう。いつもなら自転車で帰るのだが、今日は朝、父親に車で送ってもらったので歩きで帰らなければならない。


「♬~♬~」


 小さな音で鼻歌を歌いながら校門に向かう。うちの中学はほとんどが自転車登校なのでこの時間帯は駐輪場が部活終わりの生徒で混雑する。その反面、歩きの生徒はほとんどいないため他の生徒と会うことは滅多にない。


「あれ?藤原君…」


「え…?」


 滅多にない。そう、絶対じゃない。


「中里さん…」


 彼女はこちらに気づくと何故かそのままこちらに寄って来た。


「藤原君、部活終わり?」


「…はい、今終わったんで帰ろうとしてたんですけど…」


「もしかして、歩き?」


「はい」


 彼女は少しだけ考えるように俯いて間を置いた。しかしすぐにこちらに向き直すと口を開いた。


「じゃあさ…駅の方まで一緒に歩かない?」


「え…、駅?」


「ダメかな?」


「あっ……大丈夫です」


「良いの?」


「はい」


 家の方向と自宅の方向は若干違うので少し遠回りになるが、クラスで一番の女子に「一緒に帰らない?」と誘われて断るような馬鹿はなかなかいないだろう。


「じゃあ…行こうか」


「…はい」


 中里さんは軽く俺の袖を引っ張って、行こうと促してくる。こういったところを見ると、本当に男子の扱いを分かっているのだと理解できる。


「ていうか…やめてよ。敬語」


「え…っと、ごめん」


「同じクラスなんだからさ…もっと楽に話してくれていいよ」


「はい…あっ…えっと…うん」


「そうそう」


 お互いに並んで歩きながら、中里さんはこちらに微笑んで来る。まだ、完全に暗くはなっていないが夕方というには少し日が落ちすぎているという微妙な時間。


「そういえば…来週の数学の章末テスト、勉強した?」


「あぁ…まだ、かな。いつも直前に勉強始めるから…」


「いつもテストどのくらい出来るの?」


「ん~80点くらい?」


「えっ、スゴ!あたしいつも赤点ギリギリなのに…」


 中里さんがいつもどのくらいの点数を取っているのかは分からないが、そこまで勉強が出来ないイメージは無い。むしろ、成績は優秀というイメージがある。


「そうなんだ…あんまりそういうイメージないけどな…」 


「ん~、中間とか期末テストは結構勉強するけど、章末はあんまりしてないからかな?」


「へぇ~、そうなんですね」


 まずい。さっきから同じような返事しか出来ていない。しかし、女子と帰るなんて初めてなのでどんな会話をすればいいか分からない。


「……」


「……」


 友達と一緒に居ても沈黙が気まずいと思うことはほとんどないのだが、さすがにこの人相手だと何もしゃべらない状態が気まずく感じる。


「え…っと、なんで…屋上に居たんですか?」


「!?」


「あれ?」


 俺が質問をした瞬間に中里さんは体を震わせて足を止めてしまった。俺は気づかずに何歩か歩いてしまったため、少し後ろにいる中里さんの方を向くために振り向く。


「……」


「あの…中里さん?」


「ん?あぁ…ごめんごめん。ちょっと、考え事してて…なんか言った?」


「あの…ちょっと前に屋上に居たじゃないですか?何でかなって…」


 この時は気づかなかったが、中里さんにも話したくないことだってあったはずなのに俺は気にせず質問していた。


「…なんとなくだよ…何となく。屋上ってどうなってるのかな~って」


「そうなんだ」


 この時点で俺は今日初めて中里さんの顔を見た。視線を落として顔には影が出ていた。明らかに嫌そうな顔をしていたためそれ以上は質問しなかった。


「ほら、早く帰んないと暗くなっちゃうよ」


「あっ…はい」


 一瞬敬語に戻ってしまうくらい、何か薄暗い気持ちになってしまった。






「じゃあ…あたしの家ここだから」


 学校から駅の方に歩いて20分ほどで中里さんの家に着いた。駅前のたくさんビルが建ってる地域でもひと際、目を引く建物。30階建てのタワーマンションの前だった。


「えぇ…ここ?家」


「うん、送ってくれてありがとね」


「あぁ…うん」


 実際は一緒に歩いただけで送ったわけではないが、とりあえず返事をする。目の前のタワーマンションの迫力に気圧されてあまり言葉が出てこない。


「またね」


「また明日」


 軽く手を振って中里さんはマンションのエントランスの方に消えて行ってしまった。


「すげぇな…タワマン住みって…」


 その日はかなりの迫力を何回か思い出しながら家に帰った。

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