第六章 本当は言いたくないけど

第49話 最悪の出会い

「何やっているの?」


「見て分からない?死のうとしてるんだよ」


「なんで?」


「君に言う必要ある?」


 たしか、俺と彼女の出会いはこれだった。放課後の学校の屋上で転落防止用の柵を超えて女子生徒が立っていた。白い髪と黒い瞳が特徴的なショートボブの女の子。手首には包帯が巻いてある。


「君って…中里さんだよね」


「あんたは…誰?」


「えっ…と、俺は藤原。一応同じクラスなんだけど…」


「そうだっけ?陰キャの顔と名前まで覚えてないからな…」


「えっ?、えぇ…」


 こっちはただ話しかけただけなのにいきなり、強めのカウンターを叩きこまれた。彼女は顔だけをこちらに向けて振り向いている。


「もういい?話…」


「えっ?ちょっ…」


「何?」


 少しだけ眉をひそめて不機嫌そうにこちらを睨んでいる。俺は何とか話を続けようと、必死になる。会話が終わってしまったら彼女は今いる場所から飛び降りてしまいそうな気がしたから…


「天気がいいですね」


「は?何言ってんの?曇りだけど…」


 そうだった。どうにかして会話を繋げようと、必死になってボキャブラリーをかき集めたが俺には天気の話題が限界らしい。


「はぁ…もういいや、じゃっ」


「待っってぇぇ!!」


「はぁ?何やって…」


 俺がいた場所から勢いよく助走をつけて、柵を飛び越えるようにジャンプする。一応これでも陸上部なので足のバネとジャンプ力には自信があった。


「ととっ…うわっ」


「あっ!…」


 いや…自信がありすぎた。俺は勢いよく策を飛び越えたはいいものの、その勢いを殺すことが出来ずに体が空中に放り出される。


「やっば…」


 俺は無意識に何かを掴もうと手を伸ばしていた。俺は地球の重力に逆らえず、学校の屋上から落下していく。反射的に目を閉じたが、目の前が暗闇に閉ざされる前に見たのは助けようとしたはずの彼女が手を差し伸べている光景だった。




ドスンッ


グチュッ



 鈍い音が耳から、肉が潰れる音が頭の奥から聞こえて来た。激痛、鈍痛、焼けるような痛み。今まで体験したことのない痛みが全身を隈なく襲った。


「うっ…うう…」


 俺は痛みのせいで意識が飛んだ。






「…い…」


「…おい…」


「…おい、大丈夫か」


「んん…ん?」


 俺は少しづつ目を開けた。痛みはほとんどない。頭が微かに痛むだけだ。


「えっと…誰?」


「おぉ、良かった。目が覚めたか」


俺は知らないおっさんに抱きかかえられていた。ジャージをきたおっさん…あっ、いや、俺はこいつを知っている。直接関わったことはないが、体育の授業で他のクラスを教えている教師だ。…名前は…確か…し…しま…島山だ。


「んん…イッテ~」


「大丈夫か?大きな音がしたから、来てみたら倒れていたもんで…」


「大丈夫です。転んだだけです」


 動かすとまだかなり痛いがじっとしていればなんてことはない。傷もかなりふさがってきていた。


「ホントか?転んだだけであんな音するか?」


「いや…ほんと、大丈夫です。ちょっと休んだら帰ります」


「そうか…念のため保健室行けよ?」


「はい、行きます」


「そうか…今度から転んで頭ぶつけないよう、気を付けるんだぞ」


そういってジャージ姿の…し…島山は校舎の中の方に行ってしまった。ダメだ。まだ少し意識と記憶が混濁している。


「念のため…保健室行くか?どうしよう…うぅ…」


動くとかなりひどい頭痛が襲ってくるのでしばらくボーっとしながら頭の傷が治るのを待つ。


「うっわ…マジか…」


おそらく教師は俺の体が影になっていて気が付かなかったのだろう、俺が倒れていた位置には普通では考えられないような血痕が残されていた。急いで足で血痕を消すように砂をかけていく。


「ていうか、なんで自殺なんか…」


 頭が痛むが上の方を見上げる。屋上の転落防止の柵が微かに見える。すでにそこに人はいない。周囲の景色を見てみるが、人の気配はない。幸い、自殺は阻止することが出来たらしい。


「まぁ…いっか、よしっ…帰ろう」


頭の痛みも引いてきたのでとりあえず目に見える痕跡を消して、下校のために駐輪場に向かう。






「なっ…ど、どうしよう…」


 意味が分からない。理解不能。行動から察するにおそらく私の自殺を止めるためにしたのだろうが、止めようとした本人が下に落ちてしまった。


「うぅ…おえっ…」


一瞬だけ下の景色を見たが、気分が悪くなって胃の中の内容物が外に出て来てしまった。

明らかに助からない。関節が変な方向を向いており、頭から異常なくらい出血をしている。そして何よりピクリとも動かない。絶対に死んだ。確実に死んだ。100%死んだ。


「なんで…なんで…私ばっかりこんな……うっ…げぇ…」


 もう一回吐いた。人は衝撃的な出来事は忘れることが難しい。何気ない会話の内容や見慣れた風景は何度も見ないと記憶に残りずらいが、インパクトの強い出来事ほど記憶に残ってしまう。


 ましてや他人の死など、逆に忘れたくても忘れられない。彼のショッキングな姿が脳裏にこびりつく。まるで写真を撮ったかのように…


「ぐすっ…最悪…」


 ふらふらと何とか立ち上がり、重い足で屋上の扉の方に向かって行く。頭の中は責任感と罪悪感と明日、行われるであろう不幸なお知らせに対する言い訳、家に帰りたくないという葛藤が渦巻いている。


「……どうしよう…」





「えぇ…ちょっと、真。どうしたの、そんなに制服汚して…」


「あぁ…転んだ」


家に帰ると母親は目を丸くして質問してきた。とっさに上手い言い訳を思いつけなかったため、教師に使ったものと同じ言い訳をする。


「いや…転んだって、あんた。クリーニングに出さないと落ちないよ…それ」


「まぁ…明日は学ランなしで学校行くよ」


「ズボンはどうするの?」


「えぇ…確か、夏用があったじゃん」


「いや…あるけど、さぁ…」


 呆れて言葉も出ないのか母さんは腕を組んで何か言いたげな顔をしている。


「まぁ、仕方ないか…制服、脱いだら洗濯機のところに置いておいて」


「は~い」


俺は気の抜けた返事だけして、二階の自分の部屋に向かう。階段を上がるとちょうど二階の廊下に妹がいた。ランドセルではなく最近お気に入りの鞄を持っている、どこかに遊びに行くのだろう。


「うわっ…お兄…泥だらけ」


「千紗……お前は高い所から飛び降りたりすんなよ」


「ん?しなよ、そんなこと」


「だよなー」


「??」


 妹は顔面に?を浮かべながら首をかしげている。泥だらけの人間にいきなり何の脈絡もない話をされると人はこうなるらしい。


「なんでもない」


「そっ……ママ~」


 妹は対して興味がないのか一階に降りて行ってしまった。仕方なく部屋に向かって汚れた服を脱いで着替える。


「うっわ…マジで汚いな」


特に背中のあたりは砂や土で汚れている。ズボンも少し破れているような気がする。


「まぁ…いっか」


 人が一人亡くなることに比べたら、たかが制服一個で済んで良かった。







「あれ、どうしたん。暗い顔して」


「い、いや~何でもないよ。ちょっと気分が…悪い…だけ」


「えぇ~ホント?」


 一緒に登校してきた友達Aは私の隣に誇らしげに立っている。自分の隣にいるだけで他の男子から話しかけられるので自分には人気がある、魅力があるなどと勘違いしているのだろう。勘違いも甚だしい。


「あっ、美香じゃん。おはっ」


「おはよう」


廊下にたむろしていた男子二人組から挨拶をされた。それとなく挨拶を返す。


「今度の日曜みんなで遊びに行こうって話してんだけど、美香も来る?」


「う~ん、日曜か…行けたら行くよ」


「それww絶対来ない奴じゃんww」


「それな~w」


 ヘラヘラと笑いながら二人で話している。こいつらはなんで拒絶されたのに笑ってられるんだ?いや、本気で断られたと思っていないのか?それともかっこ悪くないように虚勢を張っているだけなのか?


「じゃあね、また」


「おう、またな~」


 特に興味もない男子C、Dはそのまま去っていった。その先の廊下でもいろんな人に挨拶をしながらたまに雑談を挟む。本来なら昇降口から教室までは10分ほどで着くのに、私が教室の入口に辿りついたのはいつもより15分オーバーしてからだった。


「うわっ…どうしたの?美香、急に止まって…」


「…んで」


「ん?」


「…なんで」


 目の前に信じられない光景が広がっている。昨日、屋上から転落死したはずの陰キャBが私の目の前に立っている。顔や服に傷などは一つもない。まるで昨日の出来事が夢や幻覚だったのではないかと思わせるような姿だ。


「あっ…えっと…お、おはよう」


「…しん」


「はい」


「…死んだ」


「はい、真です」


「……死んだ。はず…なのに…」


「え?」


 陰キャBは?を顔に浮かべながら首をかしげている。


「うっ…ごめん。ちょっとトイレ」


「え?美香?」


 首を傾げたその角度が昨日見た死体の姿と重なって見えてしまい、再び吐き気を催してきた。急いでその場を離れてトイレのある方に走っていく。





「えぇ…うっそだろ。調子乗ったかな」


 さすがに昨日少し話しただけの陰キャがクラスのマドンナである中里さんに話しかけるなどおこがましかったのだろか?

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