第33話 掴まれた左腕

「という訳で今度のスポーツ大会のメンバーはこれで決定とします。もし変更などがあれば先生に報告してください」


 黒板にはそれぞれサッカー、バスケ、バレー、リレーなどのスポーツ大会の各競技の名前が書かれており、その下にその競技に出る人たちの名前が書かれている。


「なぁ…なんで俺がサッカーのところに入ってんだ?」


「お前、足速いだろ」


「それだけ?」


「それだけ」


 サッカーに出場する予定の名前のところに藤原と書かれている。他には涼風や高木なども書かれている。俺がボーっとしている間に勝手に名前を書かれていた。


「いや…俺リレーにも出なきゃいけないんだけど…」


 クラス対抗リレーの欄にも俺の苗字が書かれている。こっちは入学してから行った体力測定で50m走のタイムが短い順で適当に入れられた。


「まぁ…ドンマイ。頑張れよ」


「いや…リレーはまぁ…速い奴順ってことで分かるけど。サッカーは俺じゃなくても良いだろ」


「お前は後ろで立ってるだけで良いから」


「後ろで立ってるだけでいいの?」


「まぁ…時々上がってきて活躍してくれればいいから」


「はぁ…マジかよ」


 正直、活躍できる未来が浮かばない。サッカーなんて体育でしかやったことが無いのにどうやって役に立つんだよ。もし、何かやらかしたらやらかしたで戦犯扱いされるし…


「まぁ…凪がいるなら大丈夫か…」


 基本的にあいつにボールをパスしておけば勝てるだろう。


「これからスポーツ大会まで体育の時間に出場する競技の練習をして良いそうなので、みなさん頑張りましょう」


 委員長はテンションが上がっているのか、クラスのみんなを盛り上げている。





「おい、真。サッカーの練習しようぜ」


「ごめん、ちょっとリレーの順番だけ決めてくるから」


 クラスの中でリレーに参加する人だけを集めて、クラス対抗リレーの順番を決める。うちのクラスだけでなくもう一つ別のクラスが合同で体育を受けている。


「普通に速さだけで見れば藤原だけど…」


「ん?何?」


「あぁ…今、アンカーを誰が走るか決めてたんだけど…速さだけで言えば藤原になるんだけど良いか?」


「まぁ…別に良いよ」


「マジ?助かるわ~」


 リレーに出る予定の田辺たなべは軽く感謝を伝えて来た。アンカーなんて誰がやっても変わらないのだから正直興味がないが、それで感謝してくれるのなら安いものだ。アンカーは順位をキープしてれば良いだけなのだから。


「もう他の順番は決まってるの?」


「いや、一番目とアンカーしか決まってないんだ」


「マジか…まぁ…いいや。とりあえず俺、サッカーの方に行ってくるから。リレーの練習始まったら呼んで」


「OK」


 そういってリレーの順番を決めている奴らの輪から抜けてサッカーコートの方に向かおうとすると…


「あ、あの…」


「うおっ」


 いきなり左手を誰かに掴まれて後ろに転びそうになった。何とか腹に力を入れて上体を起こす。


「す、すいません…いきなり掴んで…」


「ん~…誰?」


 見たことのない顔だ。同じクラスの人ではないと思う。髪を後ろでまとめた髪型と可愛い系というよりは美しい系の凛とした顔が印象に残った。


「えっと…つかぬ事をお伺いするんですけど…もしかして藤原選手ですか?」


「えっ…と、一応苗字は藤原ですけど…」


「中学の時…陸上やってました?」


「…はい」


「やっぱり…」


 俺の左手を掴む手に力が入る。柔らかい掌からの感触は誰かに似ている気がする。


「わ、私…あ、あなたのファンです」


「ヴぇ゛?」


 人生で一度も出したことのないような声が無意識に出てしまう。思考が一瞬止まり、彼女の言っていることが理解できなかった。


「すいません。いきなりこんなこと言っちゃって…」


「うん…とりあえず…手、離してくれる?」


「ご、ごめんなさい」


 左の手首から柔らかい感触が消えて腕が自由になる。日差しのせいなのか、彼女の顔が紅潮しているようにも見える。


「えっと…君は…」


「あっ…私、五組の中島なかじま 優花ゆうかって言います」


「それで…なんで俺の事知ってんの?」


「私…中学の時、陸上やってて…大会とかも見てたんですけど」


 あぁ…それで見かけたから話しかけたってことか。しかし、生憎だがもう今は陸上をやってはいない。彼女の望む理想の俺はもうどこにもいない。


「あなたの大会の映像とか見てました。まさか会えるなんて…」


「ごめん…俺もう陸上やってないんだ」


「えっ……」


 ほら…失望した顔だ。期待が大きくなればなるほど、それが裏切られた時のダメージは大きなる。そのうえ勝手に期待されて勝手に失望される。


「…そうですか。残念です…」


「じゃあ…俺、行くね」


「あっ…待って」


「おっとと」


 今度こそサッカーの練習に混ざろうと向こうに行こうとしたが、また彼女に左手を掴まれてたせいで転びそうになる。


「…ごめんなさい。でも…私の走りだけでも見てもらえませんか?」


「え…俺、そんなにアドバイスとか出来ないから…」


「見てるだけで良いので…」


 さっき離してもらったはずの左手を再び握られながら、彼女はお願いをしてきた。今度は了承するまで離してくれなさそうだ。


「分かったよ。見るだけなら…」


「ありがとうございます。じゃあ、あっちで…」


 彼女はグラウンドの隅の方を指差している。指の方角には整備された100mの直線がある。陸上部はあそこを使って練習しているようだ。


「スタートラインそれともゴールの方?」


「えっと…じゃあ…ゴールの方でタイムもお願いしてもいいですか?」


「うん…ていうか、敬語じゃなくていいよ。同級生なんだから…」


「いやいや、私が勝手に尊敬してるだけなので…」


「ふ~ん」


 こりゃ、タメ口で話せないな。敬語だと聞いている側も疲れるんだが…


「じゃあ…お願いします。ストップウォッチはあっちに置いてあるんで」


「了解」


 100m先には白いラインが引かれている。そこまで少し小走りで向かう。


「これか…」


 地面に放置されたストップウォッチを拾い上げる。結構高性能な奴なのに、かなり雑に扱われている。


「あれか…」


 さっきの女の子とは別にもう一人女の子がいる。おそらくあの子がスタートの合図を出すのだろう。


「んっ…」


 さっきの……中島さんが手を上げてその隣の女子がこちらを見てくる。俺の方も手を上げる。すぐ後に電子音が遠くから聞こえる。間髪入れずにタイマーをスタートさせる。


「おぉ…」


 かなり早い…フォームが綺麗というか、姿勢が崩れていない。


「うわ…」


 彼女がゴールラインを通過する。手元のタイマーをもう一度押してストップさせ記録を見る。13秒08。女子の記録としてはかなり早いと思う。


「ふぅ~、どうでした?」


「んっ」


 彼女の方にタイマーを向けて記録を見せる。彼女は喜ぶでも悲しむでもなく真顔のままだ。


「あはは…やっぱり緊張しちゃってあんまり良くないですね」


 恥ずかしそうに、はにかんだ顔をしているがかなりすごい記録だと思う。ちゃんとしたシューズとユニフォームならもっと速くてもおかしくない。


「いや…十分すごいと思うよ」


「いえいえ、そんな」


「じゃあ…もう一本お願いします」


「……えっ?」






「つっかれた~」


 隼人が着替えながら背伸びをしている。教室では男子がクラスが着替え中だ。しかしほとんどがすでに着替え終わっている。上裸なのは隼人だけだ。


「真、何でサッカー来なかったんだよ」


「いや、その…変な人に捕まって」


「変な人って?」


「うん…まぁ…変な人…」


「?」


 なんだか分からないという顔をしているがこちらも何て説明すればいいのか分からない。


「あっ…真」


「何?」


「廊下で彼女が呼んでたよ」


「?……っ!?」


 教室のドアからペットボトルを持って凪が入ってきたが、何の事だか一瞬分からなかった。しかし凪が入ってきて閉まりかけのドアの隙間から赤い瞳がこちらをじっと見ていたおかげで何のことだか理解した。


「…どうした?」


「ん…何でもないよ。ただ真の顔が見たくなったから来ただけ」


「はぁ?」


「ちょっと、こっちに来て…」


 彼女は俺の右手を掴んでいつもの場所に連れて行ってしまう。いつも彼女が俺の血を吸う場所。人目に付かないくらい階段の踊り場。


「まだ…昼休みだけど…」


 どうせいつものあれだろう。しかし、彼女が吸血するのはいつも放課後の部活が始まる前か、部活が終わった後なのだが…


「ふふふ…ねぇ…なんでかな?」


「ん?なんでって…」


「なんで君はいっつも他の女とイチャつくのかな?」


「はぁ?何を言って…」


 彼女は恐ろしい目をしている。それはいつもの事か。…ただ、静かにぶちぎれている人ほど恐ろしいものは無い。


「見てたよ。さっき女の子と手を繋いでたよね?どっちの手だっけ?」


「えっと…なんで…」


 とっさに両手を上げて彼女から逃げようとする、しかし…


「ざんね~ん時間切れ、正解は左手…でしたっ!」


「……っく!?」


 月はどこに隠し持っていたのか分からないが大きな図工用のカッターナイフで俺の頭のすぐ左にある掌を突き刺してきた。


 鋭い痛みがやってきて、傷口が熱く痛む。中指の骨に軽く当たっている感覚がする。


「いっっ…」


「ダメじゃん。嘘ついちゃ…こうやってお仕置きしなくちゃいけなくなるから」


「お前…何も刺すこと…」


「あっ…血が零れちゃう」


 こちらの話はほぼ聞かずに彼女は俺の掌から流れ出ている血に興味がいっている。カッターを俺の掌から抜くと、そのまま掌から流れている血を舐めとってきた。


 わずかにざらついた舌が自分の掌を念入りに舐めてくる。少しだけムズムズしている。


「んっ…」


 傷口から血をなるべく吸うために、傷口に唇を当てて血を啜っている。


「他のメスが手を付けた後は嫌だけど…さすがに床に落ちたのを舐めるのは、ね?」


 首をかしげて聞いてくるが共感なんて出来るわけがない。

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