五章 二十年前 沙湖 十歳

 終業式の日は、よく晴れていて、体育館の窓から見える空はきれいな水色。雲が一つもなくて、こういう日は遠くまで景色が見えるから好きだな、と思いながら校長先生の話を聞いている。明日から冬休み。

 クラスの友達にしばらく会えないのはつまらないけれど、年越しは北海道のおばあちゃんちに行くから、楽しみ。宿題の絵は北海道で描こう。おばあちゃんのいる「ナカシベツ」は、冬は信じられないくらい雪が積もっている。東京にいたら見られないほどの雪だ。北海道の雪景色を絵に描いたらきっときれいに違いない。

 おばあちゃんちは、家の玄関のドアが二重になっている。玄関の中にもう一つドアがある。部屋が冷えないような対策らしい。東京の家とは全然違う。ストーブも大きくて、部屋の中はとても暖かい。外は「ごっかん」だ。「ごっかん」って、すごく寒いことを言うんだって、去年、美湖ちゃんが言っていた。

 終業式が終わって、教室に戻ると、先生が宿題や冬休みの過ごし方の話をする。私は席について、エゾリスのことを思い出す。去年見た、かわいいリス。おばあちゃんちの台所の窓から、すぐ裏の林が見えて、雪で真っ白な木の枝に、リスがいた。叔母さんがすぐに教えてくれて、私と美湖ちゃんは走って台所に行った。リスはふわふわしていて、とてもかわいかった。きょろきょろしながら木の枝につかまっていて、次の瞬間にはパッとすごい速さで木を登っていっちゃった。今年も会えたらいいな。

 おばあちゃんちの、家の裏は全部林だ。広くてどこまで続いているかわからない林。たぶんその先は森。「北海道は広いから」って叔父さんはいつも言うけれど、本当に広いなあと行くたびに思う。だって、お隣の家までも何メートルも距離がある。

 リスのことを考えていたら先生の話が終わった。私は、終業式の日までに持ち帰っておかなければならなかった荷物で溢れたロッカーを、ぼんやり眺める。こんなにたくさん、何が入ってるんだろう? 美湖ちゃんみたいにお片付けが上手なら良かったな、と思うけれど、苦手だから仕方ない。美湖ちゃんは「さあちゃんにはさあちゃんの、良いところがあるよ」って言ってくれるから、それを信じることにしよう。

 とりあえず、宿題に必要な絵の具のセットだけは持って帰らなきゃ。北海道で絵を描くのが楽しみだ。エゾリスに会えたらリスの絵も描こう。真っ白な世界に小さなリス。北海道は広いから、きっと私もリスくらいに小さな生き物になれる。そんな絵を描くのも、楽しそうだ。

 たくさんの荷物を抱えて歩いて帰る。川沿いは風が冷たくて寒かった。みんなあんまり荷物を持っていない。終業式までに、計画的に持って帰っていたにちがいない。ぬけがけってやつだ。ずるいな。私は一度、絵の具セットの入った手提げを降ろして休憩する。川沿いの道に、「へんしつしゃ、ちかん、注意」という看板が立てられている。そういえば、先生が、「最近ふしんしゃがいるので気を付けて」と言っていた気がする。「ふしんしゃ」って「へんしつしゃ」と同じかな。びゅっと風が吹いて川の表面が波立つ。私はまた荷物を持って歩き出した。美湖ちゃんはもう帰ってるかな。


 年末。昨日から降り続いている雨は弱まる気配がなく、雨音の激しい朝。冬の雨は空気が冷たくて気持ち良い。私は、美湖ちゃんと一緒に朝ごはんを食べている。

「明日から北海道のおばあちゃんちだから、冬休みの宿題、持っていって向こうでやれるように、荷物まとめておいてね」

 叔母さんはパートに行く準備をしながら声をかけてくる。

「うん、わかってるよ」

 美湖ちゃんはパンを食べながらうなずいた。

「沙湖もね」

 叔母さんに言われたとき、私は冬休みの宿題って何があったけ? と思い出しているところだった。計算ドリル、絵日記……

「あっ!」

 私が大声を出すから叔母さんも美湖ちゃんもびっくりして私を見た。

「どうしたの、沙湖」

 叔母さんは雨合羽を着ているところだった。パート先のスーパーまでは自転車なのだ。こんな大雨じゃ、合羽を着なきゃびしょ濡れだ。

 私は思い出したことがあって、自分の部屋に走った。

「沙湖?」

 叔母さんの声がする。私は荷物を確認しながら、あーやっぱりない、と落胆した。とぼとぼとリビングに戻る。

「冬休みの宿題、書初めあるの忘れてた」

「道具がないの?」

「うん。たぶんロッカーに忘れてきちゃった」

 終業式の日は、絵のことばかり考えていたから、書初めのことをすっかり忘れていた。

「美湖に借りればいいじゃない」

「うん、習字道具ならあるよ。私も書初めの宿題あるし」

 美湖ちゃんはパンをかじりながら言う。

「けど、半紙も、お手本も全部忘れてきちゃってる」

 テーブルに戻って、温かい牛乳を飲みながら言う私に、叔母さんは呆れている。

「叔母さん、もう仕事だから一緒に学校まで取りにいけないよ?」

「うーん、どうしよう」

 考えながらトーストをかじる。温かい食パンに、叔母さんの手作りマーマレードをたっぷり塗った。買ったやつは苦いけれど、叔母さんのマーマレードは甘酸っぱくてとても美味しい。叔母さんは料理上手だ。

「私が行くよ。ね、さあちゃん、ごはん食べたら学校まで一緒に行こう」

「美湖ちゃんと?」

「うん」

「美湖、行ける? ごめんね、じゃ、お願いしちゃおうかな。雨すごいから、二人とも気を付けて行ってね。川とかあんまり近づかないでね。あと最近不審者の目撃情報あるから、二人とも防犯ベル持っていってね。あぁ、叔母さん遅刻しちゃう」

 叔母さんは慌ただしく雨合羽を着て、玄関に駆けて行った。

「叔母さんも気を付けてね」

「いってらっしゃい」

 二人で叔母さんを見送って、また朝食の続きを食べた。


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