十二話

 深夜の闇――その中に紛れ、私は王都の城下町に入った。辺りは寝静まり、人影もなく、移動は容易だ。巡回する兵士も灯りを提げているため見つけやすい。建物の陰から陰へと身を隠しながら、王宮へと続く正門の側までやって来た。


 当然ながら門は閉まっており、通ることはできない。だがそのすぐ脇には兵士が出入りするための小さな扉がある。城下町と王宮を隔てる高い石壁を乗り越えられないのなら、通れる道はここしかなさそうだ。しかし鍵はかかっているだろうし、内側には兵士がいるかもしれない。できれば穏便に通りたいものだが……。


 方法を思案していると、道の奥から足音が近付いてきた。巡回の兵士二人だ。正門の前まで来ると一人が脇の扉を叩いた。コンコン、コン、コンコン……変わった叩き方だ。もしかしたら兵士同士の合図なのかもしれない。すると扉は開き、中から別の兵士が顔をのぞかせ、二人を通した。


「異常なかったか」


「いつも通り、退屈な巡回だったよ」


 そんな言葉が交わされ、扉は再び閉まった。……なるほど。やはり内側には兵士が控えていたか。ではおびき出さなければ。


 私は道の隅に落ちていた小石を拾い、周囲に兵士の灯りがないのを確認してから扉に駆け寄った。そして心を落ち着かせ、先ほど見た方法で扉を叩いた。コンコン、コン、コンコン――少しの間の後、ガチャと鍵を開ける音がして扉は開いた。私はその扉の裏に隠れ、兵士が姿を見せるのを待つ。


「……ん? いない?」


 誰もいないことに首をかしげているであろう声が聞こえたが、兵士はそれ以上外に出ることはなく、静かに扉を閉めてしまった。できればもう少し外に出て、様子をうかがってほしい。私はもう一度扉を叩いた。コンコン、コン、コンコン――今度はすぐに鍵を開ける音が聞こえ、そして勢いよく扉が開いた。


「聞き間違いじゃなかったのか? 誰だ? どこにいる」


 少し苛立ったような声で兵士は中から数歩出ると、周囲を眺めて人影を捜し始めた。これだけ気を引ければいいだろう。私は扉の裏から先ほど拾った小石を正面の建物の陰へ投げた。カツンといい音が鳴り、それはすぐに兵士も気付いた。


「何だ、そこに誰かいるのか!」


 警戒心を見せた兵士は音のしたほうへゆっくりと近付いて行く。その背後では開けっ放しの扉が放置されている――素直な兵士でよかった。私は足音に気を付けながら、開け放たれた扉を素早く通り抜けた。


 目の前には広大な庭が広がっており、美しく剪定された植木や石像などが立ち並んでいるのだが、こう暗いと影絵のようにしか見えない。その間をちらちらと小さな灯りが動いていて、ここでも巡回の兵士の気配がうかがえる。しかしこれほど広ければまず見つかることはないだろう。私は身を低くし、植木に隠れながら進んだ。この庭を抜ければ、王宮はもう目の前だ。


「……戻って来た」


 物陰から漆黒の夜空にそびえる荘厳な王宮を見上げる。見慣れているはずなのになぜか懐かしさを感じるのは、ここまでの道程が紆余曲折だったからだろうか。ほとんどの窓は暗く、人気もなさそうだが、向かうべき王女の部屋がある東宮を見ると、その廊下にはろうそくの灯りと思われるほのかな光が連なっているのが見えた。基本的に深夜は王宮内の灯りは消されるのだが、何か理由があれば灯され続けていることもある。ということは中で誰かが起きているのかもしれない。だとすると王女の元へたどり着くのはより難しくなりそうだ。衛兵だけならまだ忍び込む自信はあるのだけれど……どうしたものか。


 私は身を潜めながら東宮の周囲を回り、中の様子をうかがいながら侵入経路を思案した。王女の部屋へたどり着ける道はそう多くない。正面から長い廊下を進む道、厨房の裏口から遠回りをして行く道、兵士の詰め所につながる通用口の道……通用口は入った途端、詰めている兵士に見つかる可能性が高いため除外だ。正面からの道も、衛兵が多く配置されているから、あまり選びたくないところだ。残るは厨房からの道だが、一番遠回りというのが難だ。中の様子がうかがえない中で、時間のかかる道はできるだけ避けたい。しかし三つの道ではこれが最善と考えるしかなさそうだ。窓を破って入れれば手っ取り早いのだが、それは万が一の手段だ。まずは慎重に忍び込む――侵入経路を決めた私は厨房の裏口があるほうへと静かに移動した。


 するとこちらへ誰かが来る気配を感じ、私は植木の陰で止まった。そっとのぞくと、三人の兵士らしき者が歩いて来た。灯りを提げていないから危うく気付くのが遅れるところだった。巡回の兵士ではないのか?


「――本当に現れるの?」


「そうおっしゃったのだ。信じるしかない」


「毎日辛い……どうしてこんなことに……」


「今さら嘆いたってどうしようもない。私達は務めを果たそう」


 女性三人の話し声――聞き覚えがある。私はこの三人を知っている。同じ王族護衛部隊に所属し、ソフィヤ王女の護衛兵をしていたガリナ、ベーラ、マリエッタに違いなかった。こんな深夜になぜ三人で出歩いているのかと疑問に思ったが、それよりもこの偶然は活かせるのではないかと私は直感的に思った。このまま忍び込んでもいいが、そこには見つかる危険が伴う。だが彼女達に証を届けてもらえたら、私は捕まらず、証も堂々と王女の部屋まで運べる。彼女達も私と同じように、女王の誕生を願っていた仲間だ。その気持ちがまだあるのなら、この頼みを引き受けてくれるかもしれない。そうすれば確実に証を王女の元へお渡しすることができるはず――目の前を三人が通り過ぎるところで、私は植木の陰から意を決して出た。


「待って」


 抑えた声で呼ぶと、三人は揃ってこちらに振り向いた。


「誰だ……!」


 突然現れた人影に三人は腰の剣に手を置き、構える。まだ私だと気付いていないようだ。ゆっくり歩み寄り、互いの顔が見える距離まで近付く。


「……まさか、ナザリーか!」


 ガリナが驚いた声を上げた。他の二人も瞠目して私を見ていた。


「頼みがある。聞いて――」


「何を言っている! 貴様はもはや友人でも同僚でもない!」


「お願いだガリナ、話だけでも聞いてほしい」


「ナザリー、あなたはもう犯罪者よ。私達はあなたを見つけたら捕らえるように言われているの。どう言い訳をしても聞けない」


 ベーラが複雑な表情で、だが毅然と言った。


「言い訳などしない。けれど一つだけ頼みを聞いてほしい」


「王族護衛部隊の名を汚しておいて、頼みを聞けなど、厚かましいにもほどが――」


「ガリナ、それでもナザリーは友人だったのよ? 聞くだけ聞いてあげてもいいんじゃない? 捕らえるのはその後でもできるわ」


 三人の中では一番穏和なマリエッタがそう言うと、ガリナは反論をしかけたが、それを我慢した渋い顔を私に向けた。


「……どうせ貴様は捕まる。最後と思って聞いてやる」


 三人の情けと冷たい視線を感じながら、私は話した。


「ソフィヤ王女に王位を継いでいただきたい……私は今もそれしか考えていない。皆もそう願っているはずだ」


 ふんっと鼻を鳴らし、ガリナは嘲笑した。構わず私は続けた。


「国王の証さえお渡しすれば、王女は国王になれる。でも私が行けば捕まる可能性もある。だから代わりに、王女へ証を届けてもらいたいんだ。護衛兵としてお側に行ける皆なら、密かに証を置いてくることもできるだろう。どうか頼む。引き受けてくれないか」


 聞き終えた三人の顔は冷め切っていた。私の気持ちなどまるで届いていないようだった。なぜだ? 三人とも、私と同じ願いを持っていたはずなのに……。


「不思議そうな顔だな。話せば聞くものと思ったのか」


 ガリナが語気強く言った。


「もう手遅れなのよ」


 ベーラが諦めの口調で言った。


「ナザリーの気持ちはよくわかるわ。私達もソフィヤ王女が国王になられるのを願っていた。でもね、あなたが証を盗み出した瞬間に、それは終わってしまったの」


「終わってなどいない。証はまだここに――」


「終わったと言ったら終わったんだ! すべて貴様のせいだ!」


 ガリナの怒鳴り声に、私は思わず息を呑んだ。


「貴様がまんまと証を盗んだと喜び、逃げ回っていた間のことを教えてやる。これをすぐに知った王子派は犯人が王女の護衛兵である貴様だということも知ると、一気に王位を手に入れる動きを見せた。狡猾な手段でな」


「狡猾……?」


 ガリナはギリ、と歯ぎしりをしてから言った。


「証を盗ませたのを王女の指示ということにしたんだ。その責任を負わせ、信用も落とし、そして王位を継ぐ資格を奪う……王子派はそういう筋書きを王宮内に広めた」


「王女を支持していた者達は、あっという間に離れていったわ。ナザリー、あなたのしたことでね」


 ベーラの突き刺すような視線を受け止め、私は呆然としていた。そんな……そんな話になっていたなんて……パーレンの言葉がよみがえる。彼はこの状況を知っていたのだ。だから私を引き止めようとした。もう手遅れだと……。


「新国王はユーリー王子になる。もう王女に王位は渡らない。だが作られた誤解だけは解かねばならない。王女の名誉のために……。貴様にはその大きな責任がある」


「国王の証をこちらに渡して。それで、すべては自分の考えで行ったことだと、王女は無関係だと皆の前で言って。お願い」


 悲しげな表情でマリエッタは言う。確かに、証を盗んだのは私の考えだ。だが――


「王女は望まれていた。証を手に、自ら王国を導かれることを」


「では王女から証を盗めというお言葉があったのか」


 私は何も言えなかった。王女からは何も指示はされていない。そのお気持ちを、私は察しただけ……。


「ふんっ、あるわけがない。全部貴様の独りよがりが招いた結果だ」


 独りよがり……そんなつもりはまったくなかった。ただ王女のお心に寄り添いたかったのだ。女王になられることを願っていたのだ。それがこの王国にとって幸せだと思ったから。


 ガリナは私の前に立った。


「証を渡せ。貴様を連行する」


 右手を差し出し、証を出せと迫ってくる。私にはもう打開の道はない。そうわかっていても、素直に証を渡す気は起こらなかった。この後に及んで諦めたくない気持ちがくすぶっていた。三人の話が嘘とは思わないが、でも王女に証をお渡しする最後まで、望みを捨てたくない自分がいた。


「何を考えたって無駄だ。貴様ができることは、悔やみ、反省し、償うことだけだ。さあ、大人しく渡せ」


 急かすガリナの手を見つめ、私は動かなかった。


「……往生際の悪いことだな。三人で引きずっていったっていいんだぞ」


「ナザリー、私達にそんなことさせないで」


「もう諦めるのよ。これ以上はどうしようもない」


 三人の顔を見回して、私は言った。


「わかっている……だからこそ、王女に直接証をお届けしたい。目的を最後まで果たさせてほしい」


「何を馬鹿なことを言っている。貴様は犯罪者なんだ。そんな者を王女に近寄らせることなどできるか」


 そう言うとガリナは腰の剣を抜いた。


「ガリナ、待って!」


 マリエッタがガリナの肩をつかむが、邪魔だというようにガリナはそれを振り払った。


「馬鹿には痛い目を見せなければわからないんだ。……それでも王女の元へ行くのなら、私は全力で貴様を止める」


 こちらを見据えるガリナの目にためらいはない。止めるために本気で切りかかって来るだろう。私は腰に差した二本のナイフをゆっくりと引き抜いた。


「ナザリーまで! 友人同士で切り合うつもりなの?」


「マリエッタ、相手は犯罪者だ。友人ではない」


「だけどっ……ベーラ、どうにかして」


「言うことを聞いてくれないのなら、仕方がないわよ」


 ベーラも腰の剣を抜き、構えた。


「ナザリーは友人なのに……こんなことしたくない……」


「マリエッタ、務めを放棄するのか」


 ガリナに睨まれたマリエッタは苦しむ表情を浮かべていたが、やがて二人と同じように腰の剣を引き抜いた。


「……三人を相手にして、無事に済むと思うのか」


「そちらこそ、無事に済まないぞ」


 ガリナの目付きが鋭く変わった。


「生意気になったものだな……!」


 突進するように切りかかって来たガリナを、私は迎え撃つ。刃と刃がかすれる振動が手を伝い、不快な感覚が走る。合間を見てベーラも切り付けてくる。技が巧みなベーラの剣術は私を翻弄してくる。ナイフを振る先を迷わせ、どうにか隙を作る機会を狙っているのがわかる。互いが手の内を知っている戦いでは、体力と集中力が余計に必要だ。


「マリエッタ、戦え!」


 おろおろしながら眺めるだけのマリエッタだったが、ガリナに怒鳴られると苦渋の表情のまま戦いに加わってきた。


「お願いよナザリー、抵抗しないで」


 そう言いながらマリエッタは剣を突き出してくる。その切っ先は危うく腕をかすりそうだった。彼女は私と似た戦い方をする。素早さを活かした身のこなしで相手の急所を正確に狙うのが得意だ。だが今はその正確さは見られない。心に迷いがあるせいだろう。彼女の兵士としての弱点は相手へのいらぬ優しさだ。そのおかげで私は攻撃を避けることができるのだが。


「本気を出せ! マリエッタ!」


 迷いを見抜いたガリナにまた怒鳴られ、マリエッタの表情は変わる。


「……ナザリー、ごめんね」


 小さな声でそう言うと、マリエッタの動きが加速した。剣さばきが本来の力を見せる。息もつかせない連続攻撃に、私はかわし、受け止めるだけで精一杯だった。ナイフを握る手もしびれてきそう……。


「はっ!」


 そこへ横からベーラが切り付けてきた。弾き返そうとしたが、その剣は動きを瞬時に変え、横薙ぎに振ってくる。身をひるがえし、どうにか腹を切られずに済んだと思った直後だった。


「!」


 ひるがえった目の前にガリナが待ち構えていた。すでに剣を振り上げ、あとは驚いた私に振り下ろすだけの態勢だった。上手く連係された――避けようのない私は動けず、ガリナを見つめるしかなかった。


「うわっ――」


 ガリナが小さな声を上げたと同時に、私の視界はまばゆい光に覆われた。そして何かがうごめく気配と音……。


「な、何なの、これ……!」


 マリエッタの驚愕する声にゆっくりと目を開ければ、私の目の前には見上げるほど大きな黒い蜘蛛がいた。


「ナザリー、どういうことだ! この怪物は何なんだ!」


 動揺を見せながらガリナが聞いてくる。三人には私の刺青のことはまだ伝わっていないらしい。


「見ての通り、蜘蛛だ」


「逃亡中に魔術でも習得したのか、貴様」


「私は王女の元へ行く。あなた達の相手はこの蜘蛛がしてくれる」


「逃げる気? そうはさせない!」


 ベーラが私に向かって来ようとしたが、その進路を蜘蛛は毛むくじゃらの太い脚で塞いだ。


「くっ、邪魔するな……!」


 剣を振り、蜘蛛の脚を切断しようとするも、刃はガツッと鈍い音を鳴らしただけで、脚の表面で止まった。


「なっ、硬い……」


 その直後、ベーラを見下ろしていた蜘蛛は前方の脚を持ち上げると、それを彼女に振り下ろそうとする――その時、私の脳裏にはこれまでの追っ手達の無惨な姿がよぎった。


「やめろ!」


 思わず叫ぶと、蜘蛛の脚はベーラの頭上で停止した。言うことを聞いてくれた……。


「……殺す必要はない。足留めするだけで十分だ」


「どういうつもり? 情けをかけて見逃してもらおうっていうの?」


 ベーラは蜘蛛の下をくぐり、尚も私に向かって来ようとする。だがその時、蜘蛛は尻を彼女に向けると、シュッと白い糸を噴射した。


「いやっ、何、これ!」


 体に付いた糸を引き剥がそうとするが、それに触れた手も粘り付き、ベーラは身動きを封じられた。その隙に蜘蛛はさらに糸を出し、脚を使ってベーラの全身をぐるぐる巻きにしていく。


「やだ! ベーラが食べられちゃう!」


「マリエッタ、助けるぞ!」


 慌てた二人が糸を切ろうと蜘蛛に切りかかる。しかし蜘蛛にも糸にも剣は効いていない。三人の意識は蜘蛛にしか向いていない。行くなら今だ。ふと遠くの闇を見ると、こちらの異変に気付いたのか、いくつかの灯りが揺れながら近付いて来るのが見えた。


「あっちの兵士の足留めも頼む」


 そう言うと、理解したのかどうかはわからないが、蜘蛛はのそりと動き、赤く光る八つの目で私を見た。


「ナザリーを、追って……私はいいから!」


 巻かれた糸の間からかろうじて顔だけは出ているベーラがそう言うと、ガリナとマリエッタの目がこちらを向いた。


「……逃がすか!」


 二人が走り出したのを見て、私もすぐさま走り出す。ガリナは三人の中で一番体力があり、足も速い。このまま追いかけられれば間違いなく追い付かれるだろう。だがそれは私一人の場合だ。


「くっ、この蜘蛛め……!」


 ちらと背後をうかがえば、蜘蛛は二人の前に回り込み、巨体に似合わない機敏さで王宮の壁と側にある樹木との間に糸を張り巡らせていた。糸を切れず、触れることもできない二人は避けて通ろうとするも、その道にも蜘蛛は糸を張っていく。その様はまるで大きな檻のようだ。私は作られていく檻を尻目に駆けた。


「ナザリー! 貴様は、許さない!」


 悔しさを乗せたガリナの叫びが背後から響く。許されようとは思っていない。私は自分の罪を認識し、覚悟もしている。だから、最後までやらせてほしい。それでこの気持ちはおそらく、納得してくれるはずなのだ。

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