盲目剣士の見えざる覇道

はりねずみ

第1話

ーーあかいろ、ってなに?


 望月もちづき秀蔵しゅうぞうは生まれながらに全盲を患っていた。

 光を取り込まない瞳に色を理解することはできるはずもなく。

 ただ疑問だけが秀蔵の中に残るのみ。


ーーまる、しかく、さんかく……。だえん? ひしがた……、これなんだろぅ。難しいなぁ。


 秀蔵にとって手のひらは目の代わりだった。色は感じ取れずとも触れた感覚から大まかな形を読み取った。


ーーふーんふふーん、ふんふんふーん。


 音は楽しい。音を聞き取るは彼でもできる。

耳をすませば色々な音を聞くことができた。ぴちゃん、からん、ころん、どすん。音はいろいろ教えてくれた。


ーー雨が降るよ。雨の匂いがするの。


 秀蔵は雨が降る前の匂いが好きだった。雨が降ると教えるとお母さんが褒めてくれるから。教えてくれてありがとうって撫でてくれるから。


ーーあまーい! こっちはすっぱーい……。


 味は面白い。けどちょっと怖い。突然口の中が燃えるような痛みに襲われたり、でも甘くて蕩けるようなものもあったり。いろんな刺激が秀蔵を楽しませた。




 目が見えなくても秀蔵は生きられる。しかし人は感覚の大半を視覚に頼るようにできている。


 だから秀蔵も子供ながらに無意識に感じていた。ぽっかりと広がる空白を。何をしてもどうやっても満たされない。不満だけが募る。


 次第に秀蔵は空白を埋めようとしなくなった。期待しなくなった。


 秀蔵は物事に好奇心を抱かない、大人しい、物静かな子供として成長していた。


 そんな秀蔵を両親は心配していた。目が見えなくとも二人にとっては大切な、愛おしい子供だから。このまま成長して無気力なまま生きて欲しくなかった。


 父親の正彦は秀蔵を色々なところに連れて行った。水族館、動物園、海、山、遊園地。

 新しいところに連れていくたび秀蔵は楽しそうだった。だけどすぐに興味を失っていく。

 段々と正彦の心に焦りが募って行った。


 そんなある日正彦は秀蔵を連れて剣舞祭を見に行った。

 国中から剣の腕に自信を持つ強者たちが集う剣士の祭典。

 自らも剣士の一人である正彦はいつか訪れたいと思っていたのだ。

 剣士、剣客、剣豪、剣聖と階級の上がっていく中で、この祭りに参加するのは大抵剣客以上の達人ばかりだ。

 剣客には及ばないが、剣士の中でも上級のふるいに割り当てられる正彦はいずれあの舞台に立ってみたいのだと、祭りの始まりを告げる音楽に耳を傾ける息子に語った。


 その様子からこれも秀蔵は興味を持てなかったか。と僅かな落胆を抱いている時。鉄と鉄がぶつかり合う音と衝撃が体を揺らした。

 舞台に立つのは剣豪が二人。正彦では到底敵わない強者同士のぶつかり合いは、いつもテレビで見ていたものとは思えない迫力があった。


 正直な話、正彦にとって剣豪がどのくらい強いのか彼我の実力差がありすぎていまいち理解できていない。

 剣豪の剣は山を割るという話を聞いた時はさすがに冗談だろうと笑ったが、それもあながち嘘ではなかったのかもしれない。


 剣豪同士の戦いはいつの間にか終わっていた。それに気づけないほど正彦は夢中になっており、ハッと息子の存在を忘れていたことにも気づく。


 突然あんな轟音を聞いて驚いていないか。ビリビリと空気を震わす衝撃に怖がっていないか。


 そんな心配は息子の目を見ればあっという間に消えて行った。

 そんな息子の目を見たのは初めてだった。

 生まれた頃から光を映さない眼を大きく開き、見えないはずなのに目の前の光景を目に焼き付けんとしているかのような。光を映さない目が、輝きを湛え、煌めいていた。


「お父さん、僕、剣士になる」


 それがどれだけ無謀な願いなのか。

 目が見えないというハンディキャップ。致命的どころではない欠点を持つ秀蔵が進める道はないと断言できるような夢。


 しかしそんなこと正彦にはどうでも良かった。ただ秀蔵の願いを、夢を叶える応援がしたかった。


 正彦は決意する。全力で秀蔵を応援すると。


 秀蔵は決意する。絶対に剣士になるんだと。


 盲目の剣士が見えざる覇道を歩み始めた瞬間だった。











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