第25話 サヨナラは言わないよ

 宴の熱気が冷めつつある、とある午後の事。コエル邸にアクセル達の姿があった。そこはいわゆる宝物庫だ。激しい戦闘によって家屋が半壊した今でも、大きな錠と鉄扉が、宝物を守り続けている。


 シナロスが鍵を差し込み、鈍い音を響かせた。そして鉄扉を押し開けながら、ここまでの労をねぎらった。



「すまんなアクセルよ。こんなに重い物を。お前さんでなければ、こうも手早く運べなかっただろう」


「気にするな。力は既に戻っている。大した苦労ではなかった」



 開かられた宝物庫は、財宝の数々が山と積まれている。革袋から溢れてこぼれる金貨に銀貨。色別に分けられた精霊石は赤青緑と、画家の持つパレットのように色鮮やかだ。他にも壺やら宝石やら見えるのだが、アクセルには価値が分からない。サーシャから、指一本触れないようにと懇願されたので、ただ眺めるばかりである。



「そこの隅にまとめて置いてくれ。いずれ、相応の居場所を用意してやらんとな」



 その指示に従い、アクセルは石像を端から並べていった。それらは森に放置されていた、グレイウルフの被害者達である。そのうちの大半は兎贄達(とにえたち)の親族だ。


 愛すべき人達の亡骸も同然の像である。雨ざらしにする訳にもいかず、だが土に埋めるのもどうかと思い、ひとまずは丁重に保管する事が決まった。生者とも死者とも区別がつけられない。石化した人間の扱いは極めて難しく、少なくとも、他人が口出し出来るものではなかった。



「父さん、母さん。もし治療法が見つけたら、真っ先に治してあげるからね。それまで待ってて欲しいな……」



 サーシャはそう呟くと、両親の頭に布を被せてやった。石像は全て苦悶の表情を浮かべている。そんな顔を晒し続けるのは、忍びないと感じられたからだ。他の兎贄もそれに倣う。やがて全員に布が被せられると、どこか美術品のようにも見えた。



「ところでシナロス。これまでに売り渡してしまった石像や、兎贄の行方は分かっているのか?」


「すまんが、今のところは。ワシもコエルから詳しく聞かされておらんのだ。書斎や手紙を調査すれば、手がかりも得られるだろうが」


「思えば、取引に来た連中を追い返してしまったのは失敗だったな。雇い主を吐かせるべきだった」


「恐らく無駄だろう。石化した人間を取り扱うなど、高貴な身分といえども罰せられる悪事だ。身元が割れんように対策を施しているはずだ。少なくとも使いパシリから辿ろうとしても、黒幕まで届かんだろうさ」


「用意周到な事だ」


「悪事を重ねるにも才能が要る。ワシは無能で良かったと思うよ」



 宝物庫から出ると、再び錠が降ろされた。コエルの遺産は誰かが所有するのではなく、村全体の為に活用される予定だ。当面は、村の修繕や損害の補填に充てられると、アクセルは聞いている。



「それにしてもアクセルよ。本当に良いのか? シボレッタ村を救った英雄だ。少しくらいコエルの金を受け取っても、バチは当たらんと思うぞ」


「私は金を必要としていない。だがお前達は違う、何をするにも金を使うのだろう」


「だから報酬は要らんと? お前さんも商売が下手だな。もう少し損得というか、自分を売り込む事を覚えるべきだ」


「人の事が言えるのか?」


「まったくだ。返す言葉もないよ」



 語り口調は和やかだ。窓から差し込む日差しも手伝い、胸が温かくなるのを感じる。お互い知り合って間もないのだが、多少は気心が知れた間柄である。


 そのためか、アクセルは些細な違和感に気付いた。シナロスの立ち振る舞いは、柔和で、浮かべる表情も安らかだ。しかしなぜか、戦場の匂いにも似たものが微かに漂っている。


 明らかに状況と釣り合わない気配に、アクセルは首をひねった。



「どうかしたのか、アクセルよ。唐突に立ち止まって」


「いや、妙だなと思って」


「何の話か分からんが、ワシは鍵を返却してくるよ。使い終わったらギルドに戻す、という決まりなんでな」



 そう言い残して、シナロスはコエル邸を後にした。向かったのは中央通り沿いの大きな建物で、商工ギルドと呼ばれる施設だ。そこでシナロスが事務員と雑談を交わしつつ、鍵を返却する姿が、窓の外から確認できた。


 そして滞り無く、表へと戻る。入口付近の待ち受けていたアクセル達を見て、少しばかり大げさに驚いた。



「なんだ、お前さんたち。わざわざ外で待っていたのか? 若者があまり年寄りに構うものではないぞ」



 シナロスは力なく笑うと、いずこかへと立ち去ろうとした。


 アクセルは、やはり態度が気にかかった。今も首を右に左にと捻り続けるが、ついに意を決して口に出した。



「シナロス。お前は死ぬ気だな?」



 突然の言葉に皆が絶句した。シナロスは足を止めて固まる。サーシャも、シセルを始めとした兎贄達も、眼を見開いてまで驚いた。



「何やら穏やかじゃないな……。根拠はあるのか?」


「根拠など無い。だが、どこか決死というか、覚悟にも似た気配が感じられた」


「フフッ……。そうか。さすがは武人だ、死の臭いに敏感なのだな」


「否定しないのか?」



 シナロスは、おもむろに振り返った。そして両手を挙げて降参の意志を示す。少しおどけた雰囲気だが、目の奥は笑ってなどいなかった。確固たる意志の光が見える。



「見抜かれてしまっては、取り繕うのも無粋だ。お察しの通り、命を断つつもりでいた。ワシは生来の臆病者だが、勢いをつければ死ねると思う。例えば渓谷に身投げするだとかな」


「自ら命を断つは、罪の意識からか?」


「そうだ。前にも言ったが、ワシは愚かさゆえにコエルの悪事に加担した。あの襲撃の夜は、罪滅ぼしの為に奔走したが、とても足りんと感じている」


「命を投げ捨てる事で、罪の精算が終わると?」


「ワシはそうだと思う」


「では、この子達はどうだろう。家族を謀殺され、兎贄という身分に突き落とされた子供たちは、この先どうして生きていくべきか」



 シナロスは答えず、うつむいた。片眼鏡(モノクル)が日差しを浴びて白くなり、瞳の半分が隠された。



「アクセルよ。お前さんの言わんとしている事は、おおよそ察しがつくぞ」


「罪の意識があるというのなら、この子達の育て親になれ。働き手が欲しいと言っていたろう」


「それはそうだが。この老いぼれに何ができるのか。金も商才も無く、手も汚れている。そんな男が子育てなんぞ許されるハズもない」


「罪滅ぼしなら、まだ途上だ。兎贄達全員が幸せを掴んだ時点でようやく終わり、というものだろう。違うか?」


「お前さんは……。ボンヤリしているようで、たまに恐ろしい程に鋭い事を言うのだな。正論だよ。だが現実問題、先立つ金が無い。いかに罪の意識が大きかろうと、こればかりは……」


「金ならある。これで足りるか?」



 アクセルは革袋から、拳大の石を差し出した。それは透明で、降り注ぐ日差しを屈折させ、多様な色を地面に映し出した。



「以前、買い取りを断られたものだ。それなりの価値があるのだろう?」


「それは精霊石……。純真石(じゅんしんせき)とも呼ばれる希少品だ。相場次第では100万、いや200万にもなるだろう。それほど高価な逸品をワシに譲ると?」


「子を養うには先立つものが必要なのだろう。そして、私は金を必要としていない」


「フ、フフッ……。お前さんは本当に、損得勘定が下手だな。これを元手に一財産築くことも可能だろうに」


「興味がない」


「そうだな。お前さんなら、そうなのだろう」


「では頼む。5人の世話は大変だと思うが、お前に任せるのが良いと思う」



 アクセルはシセル達の背中をそっと押した。続けてサーシャも促して、その輪に加えさせた。もちろん意図としては『サーシャも同じように育ててくれ』というものである。


 シナロスは、驚いて眼を見開いた。それはサーシャも同じで、平静を保つのはアクセルのみである。



「それで本当に良いのか。ワシとしては4人も5人も変わらんが」


「私の旅は危険がつきまとう。これからも魔獣や、荒くれどもと渡り合う事になるだろう。そんな旅にサーシャが付き合う必要はない」


「サーシャよ。お前さんは納得しているのか?」


「アタシは……。アタシは……!」



 掠れた声は、最後まで告げる事は出来なかった。サーシャにも足手まといの自覚はある。


 村内で魔獣と対決した夜も、何度と無く窮地に陥り、アクセルの助けを必要とした。特にアクセルが石化の憂き目に陥った時。ただ無策に泣きつき、自分までもが魔獣の餌食となった。助けを呼ぶなど思いつきもしなかった。今も命があるのは、運に救われただけなのだ。


 自分は役に立たない。そう思うからこそ、アクセルに縋り付けずに押し黙る。


 アクセルがそこまで意図を汲んだかは、傍目からは知りようがない。ただし、彼の言葉は幼子に言い聞かせるように優しい。決して、突き放す口調ではなかった。



「お前はもう自由の身なのだ。わざわざ危険を冒してまで、私に義理立てする必要はない。この村で育ち、誰かと恋に落ちて、温かな家庭を築く。そんな幸せを求める権利が、お前にもあるのだと思う」



 サーシャは何も言えなかった。アクセルの優しさは理解できる。血の通った言葉であることは重々承知している。ここで別れることが賢い選択であることも、言葉の上では分かる。


 しかし胸を刺す痛みは耐え難い。まるで身体の半分を引き裂かれたような、魂を噛みちぎられたような喪失感が凄まじい。


 だから溢れる涙が止まらない。それでも結局は反論ができず、アクセルには『無言の肯定』として伝わった。

 


「これで話は決まったな。私は準備を整え次第、村を出立する。子供たちを頼んだぞ、シナロス」


「随分と急だな。せめて明日まで引き伸ばしては?」


「療養の為とはいえ、もう何日も空費している。これ以上時間を無駄にしたくない」


「ふむ。しかしだな……」


「この決断が最善だと信じている。では達者でな」



 アクセルは短い別れの言葉を残して、コエル邸の方へ歩き去った。


 その場に立ち尽くしたシナロスも、ここが道端である事を思い出し、子供たちを引き連れて行った。向かったのは彼の雑貨屋である。



「良いかね。お前さん達はここで、たまに店番なり、荷物運びなんかを手伝っておくれ。暇になれば遊びに出るだとか、好きに過ごしてくれて良い。寝泊まりは、そうだな、用意が整うまでコエル邸の部屋を使いなさい」


「おじさん。私は文字を勉強したい」


 シセルがおずおずと声をあげた。茶色の前髪が両目を覆うので、感情は見て取れない。しかし、期待と不安が入り交じるのは、声色からでも明らかであった。


 シナロスは鷹揚に頷いては、優しい口ぶりで答えた。



「もちろんだとも。売れ残りの本で良ければ、いつでも使って良い。本格的な物となると、取り寄せるまでは我慢しておくれ。他にはあるかね?」


「あの、僕は、仕掛け玩具が欲しいよ。木の球がコロコロしてくやつ。ダメかな……?」


「ふむ。倉庫にあったかもしれん。無ければ取り寄せだな。他はどうだ、遠慮など要らんぞ」



 子供たちは、ポツリポツリと、要望を口にした。本に玩具、裁縫道具に防寒具と、ささやかな望みばかりだ。


 シナロスは全てを快諾し、子供たちを安心させようとした。何はなくとも、信頼を得る事が最優先だと考えている。出だしは好調らしい。皆が皆、まだ表情を強張らせているが、微かな緩みも見せ始めた。


 ただし、さめざめと泣き続けるサーシャだけは別である。



「サーシャよ。お前さんはどうかね?」



 問いかけには答えない。ただ、自身の胸を押さえては、声もなく泣き続けるばかりだ。シセルも度々顔を覗き込んで、気遣う素振りを見せるのだが、かける言葉を見つけられずにいた。


 そこでシナロスは熟考する。それから少し待てと言い、店の奥へと引っ込んだ。再び戻って来た時には、両手で大きな革袋を抱えていた。



「聞いておくれサーシャ。お前さんを見込んで、仕事を1つ頼みたい」


「……仕事?」


「知り合いに若い剣士が居てな、そやつは戦えば天下無双だが、どうにも世渡りが下手だ。全財産を行きずりの子供たちに差し出してしまうという、とんでもないお人好しでもある。そんな彼を支える仕事を任せたい」


「それって、もしかして……?」



 サーシャの瞳に僅かばかりの光が戻る。しかし、間もなく陰った。その剣士からは、同行を拒絶されたばかりである。



「でもアタシ、足手まといだし」


「そうでもない。あの男は世間知らずで、とにかく危なっかしい。剣を振り回すだけが人生、と考えているフシすらある。一人旅なんぞ。とてもとても……」


「本当に、役に立てるのかな。邪魔だって言われないかな」


「そこまでは分からん。努力次第だろう。確実に言えることは、あの男にも足りないものが多く、お前さんが役立てる場面も多く有るという事だ」



 サーシャの瞳は曇ったままだ。目元に浮かべる涙も、いまだに枯れてはいない。


 そこでシナロスは、苦労してまで膝を折って跪き、視線を低くした。



「なぁサーシャ、ワシは失敗の多い男だ。だからこそ、教えてやれる事があるとも思う」



 サーシャはうつむいているものの、その場から動かない。声は届いている様子である。



「人は誰しも失敗を恐れる。だからアレコレと考えてしまう。変化を嫌う気持ちが湧き上がったりしてな。だが過ぎてしまえば、何を悩んでいたのかと思うことも珍しくない。決断する事は、いつも難しいのだよ」


「アタシは、どうしたら良いんだろう?」


「人生の岐路に立った時、様々な物事が頭を過ぎるだろう。しかし、不必要に惑わされるべきではない。最も聞くべきは魂の声だ」


「魂の声……?」


「本当に何を求めているのか、何が幸福かを知ることこそ肝要だと思う。自分の能力なんぞ些末も些末。あとは、1歩踏み出す勇気だけあれば良い」



 シナロスは、自分の胸に拳を押し付けた。そうして浮かべる微笑みは、何よりも温かく、さながら孫と向き合う祖父のようである。その優しさは、傷心の少女に響いた。心を動かされた事は、大粒の涙からも明らかだった。


 サーシャにとってアクセルは、命の恩人という次元に留まらない。彼女に生きる活力を与え、色とりどりの世界に連れ戻してくれた、偉大なる英雄なのだ。死ぬ宿命(さだめ)という鎖を断ち切り、生の実感を取り戻してくれた快事には、今でも心が打ち震える。


 全てをなげうってでも恩を返し、力になりたいと心から願う。その彼を差し置いて、誰を愛せというのか。片田舎で安穏と暮らせるだろうか。


 答えなど導くまでもなかった。サーシャの魂は、既に結論を見い出していた。



「アタシは側に居たい……アクセルさんの側に、この先もずっと一緒に居たい! 危ない目にあったっていいから、絶対に離れたくないの!」


「良く言えた。では仕事を任せよう。しっかりやるのだぞ」


「……うん! 行ってきます!」



 サーシャは涙を拭いて、眩い笑顔を見せた。そして革袋を背負う。その重たさからも、シナロスの優しさが感じられ、嬉しくなる。


 そして店を飛び出し、村の入口まで駆けていく。そこには丁度、旅に出ようとする剣士の姿が見えた。



「待ってアクセルさん、アタシも連れてって!」



 大荷物を背負う少女を、世間知らずの青年はどう受け止めたか。彼らは一体、どのような問答を重ねたのだろう。委細は分からずとも、サーシャが飛び跳ねてまで喜んだ事から、結果は明らかだった。



「これからも宜しくね! 大変な事は沢山あるだろうけど、アタシも頑張るから!」



 意気揚々と旅立つサーシャと、傍らで見守るアクセル。彼らは長い長い旅路を、影を並べて歩んでいく。この先には、どんな困難が待ち受けているのだろう。今の彼らには知る由もない。


 ただし、困難は早くも初日に訪れた。



「ゼヒィィー、フヒィーー。アクセルさん、ちょっとだけ休憩させて……」



 サーシャの荷物は意外にも重すぎた。シナロスの優しさが仇となった格好である。旅の安全を願えば願うほど、荷物は大きくなるというジレンマであった。



「私も旅立ちの日、似たような事があった。どうやら見送る人は、気持ちの分だけ詰め込んでしまうらしい」


 アクセルは懐かしむ想いで微笑んだ。足止め同然の休息を不満に思うどころか、嬉々として昔話を語り続けた。口調は滑らかで、やたらと饒舌だ。その最中、持参された食料を夕餉に腹を満たす。温かな塩ゆでシチューが、喜びを一層深めるようだった。


 結局はサーシャを追い返す事もなく、旅の同行を許した。今後はかよわき少女を守り抜く責任と、2人分の荷物を、鍛え抜かれた肩に背負うのである。






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