第18話 秘密を暴け

 山間のシボレッタ村はおおよそが狭い。道幅も、家々の距離も近く、どこもかしこも窮屈だ。路地から見える景色も空は僅かばかり、斜面に崖にと、目を愉しませるものは少ない。せいぜい小洒落た家の、小さな花壇を眺める程度である。


 そんな村の中で、不釣り合いにも広大な屋敷がある。村長コエルが所有する家屋だ。この屋敷に限っては、広々とした花畑に噴水付き庭園と、贅を凝らした造りだ。掃除の手も行き届いており、ゴミ1つ見当たらない。


 人々が羨む豪邸。しかし肝心の住民は贅沢を愉しむようではなく、いつも怒鳴り散らしていた。心の豊かさは資産と比例しない好例である。



「フザけんなよクソガキッ! オレの事ナメてんのか!」



 怒声、ムチを振るう音、そして泣き叫ぶ声。昼夜問わず聞こえるので、隣人にとっては珍しくもない。麗らかな午後の日差しは、このおぞましき一室には降り注がないらしい。



「クソッ! クソッ! そもそもあのアクセルとかいう若造が現れたせいで、ロクな事がないぞ!」


「痛い! 痛い痛い! ごめんなさい許して!」


「あぁムカつくムカつくムカつくッ! 今夜は飯抜きだ。お前たち全員がだぞ、分かったか!」



 コエルはドアを蹴飛ばして開き、屋敷の一室を後にした。通路の赤絨毯を忌々しく気に踏みつけて、書斎へと向かう。曲がり角にはステンドグラスに名画と、高尚な芸術品が揃うのだが、彼の怒りを鎮める事は叶わない。


 辿り着いた書斎。牛革のソファに力強く腰を落とした。足先は暖炉に向け、その端に埋まる赤い石に触れた。すると薪の一本も無いのに熱が生じ、次第に暖かくなる。



「それにしても、あの若造は何者だ。頭が悪い癖に、やたらと腕が立つのが実に厄介。どうにかして追い出したい……」



 考えを巡らす間も、グラスに注いだブドウ酒を呷り、銀皿の新鮮なカットフルーツを頬張った。汚れた指は、自身の舌で舐め尽くして清潔さを保つ。習い性だ。彼は醜悪などと思わなかった。


 そんな頃だ。コエルの死角より、音もなく1人の男が現れた。頭が悪い癖にやたら腕が立つ男と評判の、アクセルである。


 アクセルは真後ろに立つと、右手を振り上げ、一気に振り下ろした。その手刀は首の側面を精密に捉えた。



「グホッ! だ、誰だ……!?」


「昼寝の時間だ、安らかに眠れ」



 アクセルは速やかに回り込むと、続けて鳩尾(みぞおち)にも痛烈な一撃を叩き込む。柔らかな贅肉は防壁にならず。コエルは泡を吹いて気絶し、牛革ソファの上に横たわった。



「よし。これで当分は目覚める事もあるまい」


「あ、あの、アクセルさん。もしかして殺っちゃった? ひと思いに命を踏み潰しちゃった?」


「心配するなサーシャ。眠らせただけで、殺してはいない。たぶんな」


「たぶん!?」


「いずれ目を覚ますと思う。まぁ些末な事だ」


「さまつ!??」


「ともかく、邪魔者が居ない内に調べを進めよう。手がかり見つけておきたい」


「アワワワ……。コレほとんど押し入り強盗だよぉ……」



 罪の意識に青ざめるサーシャだが、幸いにも書斎である。何かしらの情報が得られると期待が持てた。だが……。



「サーシャ。首尾は?」


「びっくりするくらい収穫無いよ。手紙は一通も無いし、本棚の本も割と普通だし」


「装丁の美しい本ばかりだな。読書家なのだろう。タイトルは黄昏の未亡人。火遊びは夫の留守で。触手の可能性108夜。他には……」


「なんだか吐き気がしてくるね」


「おや、サーシャ。これを見てみろ」


「もう良いってば。下世話な本の話は」


「この本、少し妙ではないか? 中身が無いぞ」



 アクセルが差し出した本は、表面こそ厚手の革に覆われているものの、ハリボテだった。



「本当だ、変なの。中身は……木の板?」


「読めもしないものを、なぜ本棚にしまうのか」


「そんなの分かんないよ、金持ち趣味なんて。どうせコレクター精神とか、そんな所じゃないの?」



 サーシャは、どこか苛立ったように本を元に戻した。無意識的に、強く押し込んだ形になる。


 すると重厚な本棚が横にスライドし、止まる。そうして人間1人分のスペースが開いた所に、小さなドアが出現した。



「隠し扉か。実に怪しいな」


「こんなの、アタシは知らなかったよ。書斎は掃除しにしょっちゅう来たけど」


「ともかく入ってみよう」



 アクセルは、頭を屈めながらドアを通り抜けた。その先は2歩と歩けない密室で、窓も無ければ天井も低い、圧迫感の強烈な部屋だった。


 壁掛けの燭台と書き物机だけがあり、どう工夫しても他の家具を置けない。それほどの狭さだった。



「アクセルさん。中はどんな感じ?」


「机がある。その上にはインク瓶とペン。引き出しは……」


「どう、何かありそう?」


「手紙だ。これは手がかりになるのでは?」



 羊皮紙だった。アクセルは書斎に戻って広げてみた。サーシャも後ろから覗き込もうと、右往左往する。



「ええと、なになに。平素はカク、カクベツなる……。読みにくいな、お堅い内容だ」



 畏まった文面のため、読み解くことは難航した。2人は同じ向きに小首を傾げ、互いに意見を出し合う事で、ようやく解読に成功した。


 この手紙は、コエルから何者かに宛てたものだと分かった。



「このキョウキョウと、やたら出てくるのは人物を指すのか」


「卿だよ。つまりは偉い人。貴族様とかその辺」


「ご要望の品は少々問題があり、難航している、と書かれているな。15歳の少女は手配が遅れそうだが、他の品は期日通りに。だそうだ」


「15歳の少女……?」



 サーシャは思わず身震いした。自分がまさに該当者であり、まるで身売りでも強制された気分に苛まれたのだ。



「もしかして、アタシを売り飛ばすつもりでいた?」


「しかし、お前は魔獣の生贄になる予定だったろう。辻褄が合わない」


「そうだよね。生贄を選んだのは村長なんだし」


「他にも気になる点はあるぞ。メキキ家の小倅(こせがれ)が予定通り現れた。彼が父親から引き継いだのは傲岸さのみで、思慮深さも明晰さもない。わざわざ殺さずとも、せいぜい1ヶ月もあれば籠絡(ろうらく)できそうだ、とある」


「メキキの小倅って、もしかして?」


「ギルゼンの事だろうな。辛辣な評価だが、外れているとも思わん」


「殺す殺さないの話になってる。村長は、あの人の前だと凄くヘコヘコするのに」


「これが二枚舌というやつか。やはり腹の中というのは分からんものだな」



 調査が一歩前進した手応えはある。しかし、全容を知るにはピースが足りていない。羊皮紙を元の場所にしまい、棚の仕掛けも戻して痕跡を消した後、書斎から出た。


 それからも屋敷の探索は続けるのだが、空振りが続いた。分かった事と言えば、やたら調度品が多く、厨房のカマドも立派な事。食料庫には保存食から生鮮食品までが山を為す。極めつけとして、クローゼットからは中身が溢れそうな程に、様々な衣服が掛けられていた。



「村長ってばオシャレさん。気にしたこと無かったけど」


「それにしても豪勢な暮らしだ。村長とは、それほどに儲かるのか?」


「そんな事はないと思う。アタシも色んな村を見てきたけど、ここまでじゃない。普通の人より、ちょっと贅沢できる、くらいかな」


「ここの屋敷は広く、無駄な家具や調度品に囲まれ、食料も衣服も腐るほどある。ちょっと贅沢、というレベルではない」


「確かにおかしいよね。しかも兎贄の子たちを養ってるし」


「金の出所か。どこからだろうな」



 アクセルは最後の部屋を探索した。そこは珍しく殺風景で、家具の類が無い部屋だ。他には、黒カビの生えた階段があるだけだった。



「下に続くようだ。貯蔵庫でもあるのか」


「違うよ。この先は……ううん。行けば分かるよ」


「では行ってみよう」



 降った先は石造りの地下室だ。燭台などの灯りは無く、通風孔から差し込む光を頼りにするしかない。


 鼻をつく臭いがきつい。湿りきったカビ臭さは、頭痛を誘う程に強烈だった。



「誰? そこに居るのは」



 部屋の隅から声が聞こえる。何者だろう。アクセルはまだ、暗闇に目が慣れていない。間もなく見通せるようになった頃、見覚えある少女だと気づく。


 子供達は全員がボロを着ており、部屋の隅で怯える事も一致している。目印となったのは、顔の大半を覆う茶髪頭で、とても印象的だった。



「ついさっき道端で会ったな。名は確か、シズル? ノズル?」


「シセル。サーシャを引き取った人だよね。どうしてここに?」


「話がある。お前たちの生い立ちを教えて欲しい」


「ダメだよ。下手な事喋ったら、また村長に殴られる」


「あの男なら当面は目覚めない。だから気にするな。ここでの会話も胸に収めておく」



 アクセルには手土産があった。こんがり焼いた小麦パン、それを1人ひとつ。チーズと干し肉は薄く切り分けて、均等に配る。すでに冷えきった料理だ。しかし、子供たちは前のめりになって、それらを凝視した。



「堅く考えずともよい。食事でもしながら聞かせてくれるか」



 残飯ではない真っ当な食事など、いつぶりだろう。アクセルから手渡されたパンを震えて受け取る。そして涙をにじませながら、獣のようになって食らいつく。取り分け、打撲痕の目立つ少年は、嗚咽さえ漏らすほどである。


 そうして食事は、アッという間に終わった。会話を挟むゆとりなど、微塵も無かった。今は重たい静寂が押し寄せている。


 4人の子供たちは無言のまま、膝を抱きかかえて座り込んだ。怯えこそ見せないが、協力する素振りもなかった。もうひと押し、といった所である。



「ふむ。量が足りなかったかな。デザートにリンゴでも用意してやろうか」


「リンゴ……」



 その言葉に反応したのはシセルだ。重たい前髪の隙間から、わななく唇を覗かせた。



「帰りたい……。お家のリンゴを、また食べたい……」


「そうか、シセルとやら。教えてくれないか。お前の事を」



 少女は静かに、言葉を1つ1つ確かめるように語りだした。過酷な現状が精神を蝕み、幸福だった記憶を封じているのだ。煌めくような過去の自分は、本当に自分の人生だったかと、自ら疑ってしまう。


 それでも話は止まらない。徐ろであっても、シセルの物語は綴られていく。



「私は、行商人の娘だった。1年の半分は国中を渡り歩いて、残り半分は故郷で農家をやってた。リンゴの木を植えてたの。手伝いは大変だったけど、パパやママは沢山褒めてくれた」


「なるほど。続けて」


「2年くらい前かな。王都に品物を納めて、その年の行商が終わった。故郷に帰ろう。お家で少しゆっくり休もうって。蜂蜜を買ったから、リンゴ漬けにして食べようって。そう言ってたのに……」


「思い出すのが辛いか? 少し休んでも良いぞ」


「あれは忘れもしない。月の無い夜だった。街道沿いの原っぱで野宿していたの。馬車の荷台に、家族3人で横になって。近くに幌馬車がいくつか停まってた、みんな寝ていたと思う」



 すると、シセルは自分の両肩を抱きしめた。全身は震えだし、瞳孔の開いた瞳は石床を凝視した。見ているのは、薄汚れた床ではない。自分を不幸に追いやった運命そのものである。



「誰かが『逃げろ』って叫んだ。辺りには赤い目がいっぱいあって、魔獣が来たと思った。パパとママに抱えられて、夜道を逃げたの。どこに向かうかなんて分からないまま」



 シセルの息が荒くなる。大口を開けても追いつかない呼吸は、乱れに乱れた。見かねたサーシャが飛びつき、震える体を強く抱きしめた。その体温に果たして、少女の魂を救う力があるのか。その是非については不明だが、シセルの震えが和らいだ事は確かである。



「逃げてるうちに崖までやって来たの。そこでパパは私を崖の方に突き飛ばした。落ちる瞬間に見たの。パパと、ママが、狼に……。狼に、食べられるところを!」


「話してくれてありがとう、シセル。辛かったよね。もうここまでで良いんだよ?」


「私は酷い怪我をしたし、気を失ったけど、村長に拾われたわ。お前を兎贄として飼ってやるって。お前を殺すも売り飛ばすも、オレの腹ひとつだ、なんて言われた」


「それで今に至る、という訳だな」



 シセルは先程とはうってかわり、人形のように静かであった。放心状態そのものだ。隣では依然として抱きしめるサーシャが、声をあげてまで泣いた。シセルの境遇が他人事には思えず、心の痛みが通じてしまったのだ。



「おじさん。僕の話も聞いてくれるかな?」



 兎贄の少年少女はシセルの後に続いた。語り口調は様々で、悔しさや恐怖などを各々が滲ませた。


 彼らの生まれ育ちは冒険者一家だとか、遠方まで買付に出かけた商人と様々で、一貫性が乏しかった。兎贄の子達は性別も背丈も出身地も、親の生業さえも、全員が一致するものは無かった。



「なるほどな。話が聞けてよかった。協力を感謝する」


「ねぇおじさん。僕達も連れて行ってよ。サーシャみたいにさ」


「すまん。コエルとは、そういった約束を交わしていない。そして、このまま連れ去ったとしても、行く宛てだって知らない」


「あぁ、嫌だよ……もうここに居たくない! いっそあの時に死んじまえば良かったんだ!」



 少年の1人が叫ぶと、哀しみは伝播(でんぱ)した。他の兎贄達も泣いたり、うつむく等して、己の境遇を呪った。


 アクセルは、延々と泣き止まない少年の前で跪いた。語りかける口調も、どこか優しげである。



「あまり悲観するな。苦労や苦痛は、際限なく続くわけではない」


「だって沢山怒られるし、お腹は空くし夜はスゴく寒いし! もうヤダよ、助けてよ!」


「良いことを教えてやろう。物事は落ち着くべき所に落ち着く事。そして悪事は、いつの日か明るみになるという事だ。コエルがお前たちを不当に従えているのなら、それは悪事であり、厳しい裁きが下されるだろう」


「いつかって、いつなの?」


「分からない。だが、近々であると約束しよう。だから迂闊な真似はするな。報われる時をジッと待て」


「もう疲れちゃったよ。早く楽になりたい……」


「あと少し。ほんの僅かばかり辛抱するのだぞ」



 アクセルは少年の乱れた短髪を、優しく直してやった。自分と同じ黒髪だ、と思う。


 そうして地下室から出ると、裏口を通り屋敷から脱した。後に続くサーシャは、鼻をすすりつつも、不安を隠そうとしない。



「アクセルさん。これからどうするの?」



 声をかけられた事で、アクセルの足が止まる。そして振り向いた顔は、いつもの精悍な顔つきで、乙女心には頼もしく映る。



「どうしようか。色々な情報を得られたものの、何が何やらサッパリだ」



 前言撤回、あんまり頼もしくない。



「でも、皆にあんな事言っちゃったし、助けてあげるんだよね?」


「そのつもりだ。子供たちの話からは、何か良からぬ気配を感じた。もう少しで見えてきそうなウケッ、実感があるのだがウケケッ」


「アクセルさん?」


「あぁ嫌だ。何故こうもゴチャゴチャとしているのか。無心になって剣を振り回す方が、よほど性に合っているというのに」


「確かに、色んな事があったもんね。そろそろ整理した方が……」


「いっその事、怪しい奴全員を斬り殺してやろうか。そうだ、その方が良い。それだけで世界もだいぶ住みやすくなるだろうさ」


「待ってアクセルさん! お尋ね者になっちゃうよ! アタシも一緒に考えるから、ね? ねっ?」



 それからサーシャの説得は、そこそこ難航した。しかし、いやしかしと、午後の路地裏で押し問答。


 結局は、サーシャが思いつくままに手遊び歌を披露して、暴挙を止める事に成功する。血の雨が降る惨劇を未然に防いだ事は、紛れもなくお手柄であった。




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