第4話 下っ端のオシゴト
陽は既に落ち、夜の帳が空を覆う。マジソン団の砦は、昼間よりも賑わいを見せている。入り口傍で旅装を解く集団。彼らは食料調達を任される精鋭で、今も多くの食料を持ち帰った所なのだと、クライナーは言う。
戻った人間の数に比べて、手にする松明が多い。アクセルが不思議に思っていると、それは魔獣対策だと、呆れ半分の言葉を聞いた。
「なるほど。魔獣は松明を嫌うのか」
「新入り、テメェはそんな事も知らねぇのかよ。よくもまぁ樹海で食われなかったもんだ。よっぽど運が良いに違いねぇや」
クライナーは唾を吐いては、ブツブツと罵った。その一言一句全て、アクセルの耳に届かない。単なる雑音でしかなかった。
「良いか新入り。これから親分に会わせてやるが、失礼の無いよう気をつけろ。あの人はメチャクチャ強ぇからな」
「そうか。ならば手合わせの1つも頼みたいものだ」
「絶ッッ対ダメだ! 命が惜しけりゃ大人しくしてろ!」
クライナーは、連なる家屋の中でも一際大きなものに向かって歩いた。屋敷の入口で、門番が立ちふさがる。すると、これまで浮かべた険しい顔が一転し、揉みての姿勢になった。
「止まれ。何の用だ」
「どうもどうもお疲れ様でございやす。あのですね、この野郎がどうしても親分に会いたいってウルサイんで、仕方なぁく連れてきやした。どうか、中にいれていただいても、よろしでやんすか?」
「良いだろう。通れ」
「えへ、えひひ。ありがとうござんす!」
この露骨な態度。アクセルは不快に思うどころか、むしろ感心した。自分に向けるものとは全くの別物であり、こうも表情が変わることに驚きを隠せない。きっと鍛錬の賜物だろうと思う。表情の乏しい自分には真似できない芸当だとも。
せめて挑戦くらいしてみるかと、唇の左右端を指先で引っ張ってみる。真顔のままで笑みを作ろうとしたのだ。そこへクライナーから叱責された。余計な真似をするなと。
「良いか新入り。テメェは質問に答えるだけで良い。フザけた事ぬかすなよ?」
そうして屋敷の通路を歩く事しばし。いくつもの扉を通り越すうち、酒の臭いが感じられるようになる。男たちの笑い声もやかましい程だ。
屋敷の突き当りにある部屋は食堂の造りをしていた。大きな長テーブルに多数の燭台。壁の傍で並ぶ酒樽。大皿料理は、こんがりとした獣肉が山のように積み上がっている。その脇には砕いた岩塩、ブロックチーズに色とりどりの果実、山羊乳で満ちた盃。
それなりに豪盛な食卓だった。少なくともクライナーが生唾を飲み込む程度には。
「お、親分。クライナーでございやす。たった今、新入りを連れてきやしたぁ!」
震え声に反応を示したのは、部屋の奥で談笑する男だ。禿げ上がった頭に長いヒゲ、頬に大きな戦傷。体は全体的に固太りしており、体格に見合うだけの闘気が溢れ出していた。ローブの上に羽織るイノシシ皮も、彼の風格に凄みを与えるようである。
「おうよ。オメェの事ぁ、アインから聞いてる。何でも剣聖を名乗ってるんだと?」
「アクセルと言う。剣聖(仮)だ」
「ブフッ、ブワッハッハ! 本当だ、話の通りじゃねぇか。仮の称号じゃあ、強ぇか弱ぇか分かんねぇな」
「技量そのものには問題無い、と自負している」
「そうかい。オレもこの稼業は長い。これまで沢山の大口叩きを見てきた。剣にかけては国一番とか、槍を取らせりゃ世界一なんてな」
すると、誰かが揶揄する声色で言った。天才魔術師なんてのも居たなと。続けて別の者が言った。アイツなら魔法を使う前に魔獣に食われちまったぞ、頭からパックリと。
そこで顔を並べる男たちが、一斉に笑いだした。何がそんなにも愉快なのか、アクセルは理解できない。
「まぁそんな訳で、剣聖を名乗るなんて、別に珍しい訳じゃねぇ。誰もが自分を大きく見せようとしやがる。だがオメェは別だ。仮だなんて言っちゃあ卑下するとか、毛並みが違うな」
「ただ事実を述べたに過ぎない」
「オレにとっちゃどうでも良い。食った飯の分だけ働いてくれりゃ十分だ」
ここは断らず、相手の懐に潜り込もう。直感的に決めたアクセルは、一言だけ告げて、テーブルの方へと歩み寄った。
「では早速、食料を分けてもらう」
了承を得る前に、皿の肉に手を伸ばした。骨付き肉を2本、息つく間もなく平らげる。続けざまに山羊乳も椀1杯を飲み干した。
そして口元を手の甲で拭うと、悪びれもせず言った。
「これで一宿一飯の恩が出来た。少なくとも、それだけの働きは約束する」
「ブワッハッハ! 良いだろう。肝の座り方が気に入った。願わくば、末永く付き合いてぇもんだ剣聖様よ」
「付き合いについては検討中だ。それから、(仮)だ」
「悪ィ悪ィ。ともかく好きにしてくんな」
マジソンはそこで席を立ち、別室へと向かった。一眠りすると言う。
これ以上聞き出せる事は無さそうだ。そう感じたアクセルは、その場で踵(きびす)を返し、堂々と歩き去った。途中で、泡吹いて気絶するクライナーを跨いだりしつつ。
「アイツらとどう付き合うべきか。今はまだ判断できないな」
戻った厩(うまや)では、馬たちから熱烈歓迎を受けた。触れ合いはそこそこにして、ワラの山に寝転がり、眠りにつく。
そうして迎えた早朝。鼻を鳴らしながら厩に迫るのは、クライナーだ。アクセルを叩き起こすつもりで、意味もなく早い時間にやって来たのだ。いわゆる嫌がらせだった。
しかしアクセルは既に身支度を整えており、逆に驚かされてしまう。
「何だ、起こしに来てくれたのか。思いの外、面倒見が良いのだな」
「ち、違ぇし。仕事の話だよオ・シ・ゴ・ト! 無駄飯食わせる気はねぇからよ。腹いっぱい食いたきゃキッチリ働けよオウ?」
「確かに正論だ。良いだろう、案内しろ」
「クッソ偉そうに言いやがる。そもそも何だ、昨日の夜は。ずっと延々と生意気な態度でよ。オレまでとばっちりで殺されるんじゃねぇかと、ヒヤヒヤしたぞ」
「殺されなかった。仮に相手が危害を加えてくるようなら、返り討ちにしていただろう」
「威勢だけは立派だな! 良いから付いて来い、砦の外に出んぞ!」
本日の陽気は曇り空。雨の心配は無さそうだが、日差しが弱く肌寒い。クライナーは、皮鎧の上から肌を擦りながら、愚痴を溢した。
「あぁ寒いな。これから冬が来るかと思うと憂鬱になるっつうの」
「体なら、動いているうちに温まる」
「いちいち楯突くんじゃねぇ! これからは口だけじゃなく、体も動かしてもらうかんな」
やがてクライナーは、森の半ばで足を止めると、岩の上で寝転がった。そして大あくび。働く、という言葉からは程遠い姿勢のままで、動かなくなる。
アクセルも何をすれば良いか分からず、ひとまず傍で佇んだ。すると、鋭い声で「働け」と罵られる。ギャンギャンと声を荒らげて叫ぶ姿を、見下ろしつつ眺める。子犬のようだとしか思わなかった。
「新入りが怠けてんじゃねぇ、先輩のオレに変わって粉骨砕身になって働けやオラ!」
「何をすべきか、まだ聞いていない」
「かぁ~〜イチイチ言わなきゃ分かんねぇかよ察しが悪いな。村の連中が逃げ出さねぇよう見張るんだよ! この辺りを巡回してこい!」
「村人を監視するのは、なぜだ?」
「んな事は下っ端が気にする事じゃねぇよ、良いからとっとと駆け回って来やがれ!」
クライナーは足元の石を拾い、アクセルに投げつけた。至近距離の投石だったのだが、アクセルは首を傾けるだけで難なく回避。
ちなみに投げた石の行方はと言うと、向こうの鉄イノシシに的中した。長い牙は鋼鉄を引き裂き、体を覆う外皮も強固という、脅威的な獣である。
尻に攻撃を受けた鉄イノシシは、怒り狂い、こちら側へ駆け出した。みるみるうちに迫る巨体。その圧迫感は恐怖を抱かせるのに十分である。
「ヒエェ! やっちまったぁ!」
転げるようにして逃げ出すクライナー。腰が抜けそうなのか、足取りも覚束ない。
一方でアクセルは、その場で高く飛んで突進を回避した。その足の下を、巨大な獣が一直線に駆け抜けていった。
「うわぁ助けろ新人! 早く腰の剣でブヘェ!!」
イノシシがしゃくり上げる牙で、華麗に宙を舞うクライナー。鼻から吹き出した血はドス黒い色味をしているのが、離れていてもハッキリ見えた。
アクセルはその成り行きを、枝にぶら下がりながら眺めた。あれは死ぬかも知れない。それも運命かと思いつつ、やるべき仕事を着手した。
「見張れと言われてもな。ここまで森が広いと、限界があるだろうに」
行けども行けども、見えるのは樹木に茂み、野花やら雑草ばかり。季節の草花に興味は無い。咲き乱れる赤に黄。それから急な段差、見慣れぬ滝。崖の淵で立ち止まる。水辺にうずくまって倒れる女。
「女だと? もしかすると、これが……?」
アクセルは一息で崖を下ると、女の傍に立った。茶色い髪は外ハネ、薄汚れたローブ。見覚えはない。歳は近そうだ。そう頭で整理してから、改めて問いかける。
「お前はもしかして、逃げ出した村人か?」
「うう……あ、足が……!」
女の震える手が指を差した。スネから先があらぬ方に折れ曲がっている。重症だった。
「怪我をしているのか。ならば良い物があるぞ。師匠より授かりし傷薬は、効果てきめんだ。それこそ死人ですら、黄泉の国から呼び戻しかねない程に」
余計な能書きだ。痛みに苦しむ人間にとって、この世で1番要らない口上だと言える。
アクセルは陶器のツボに指を突っ込んで、薬液を取り出すと、患部に塗りつけてやった。すると仄かな光がきらめく。
苦痛に倒れ伏していた女も、痛みが嘘であったかのように、その場で身を起こした。足も正常な形を取り戻している。
「えっ、治った!? 凄すぎんだろ……」
「驚くほどに効いたろう。私もこれまで幾度となく、瀕死の怪我を治したものだ」
「ありがとう、どこの誰かは知らないけど。アタシはアマンダ。コウヤ村のもんだよ、アンタは?」
「アクセルと言う。旅の剣聖(仮)だ」
「う、うん。良く分かんないけど、腕っぷしは立つんだね?」
アマンダは立ち上がろうとする。しかし、鋭い痛みから、その場に倒れ伏した。
「ムリをするな。骨がくっついたばかりだ、今日のうちは安静にしておけ」
「その方が良さそうだね。クソッ、これは一度村に帰んなきゃダメだろうな」
「乗りかかった船だ、私が連れて帰ってやろう」
「本当かい? 助かるよ!」
アクセルは申し出たものの、人を運んだ経験はない。どうすべきか悩み、頭を左右に揺らして長考する。
両脇を持って走る。足を掴んでブラ下げる。肩にグッと乗っける、頭にモッッてする、シャツをスイッてしてシャーーってやる。
結局は肩に担ぐ事にした。
「では、このまま走る。道標は?」
「この沢沿いをしばらく行くと、旧街道がある。後は道なりに」
「良いだろう」
するとアクセルは、放たれた矢のように駆け出した。視界のあらゆる景色が、目で捉える事を許さず、背後の方へと流れてゆく。
肩の上に腹を乗せるアマンダは、両手を叩いて笑い出した。
「うおお、すげぇ速い! ケツが寒ぃ!!」
「どうした。急ぎすぎたか?」
「いや全然、アタシに遠慮せずにやってくれ! イェーーイ!」
「ところでアマンダよ、歳はいくつだ?」
「歳? 24だけど。それが何だよ」
「いや別に。忘れてくれ」
師匠の求めた年齢とは違う。アクセルは頬に風を感じつつも、空振りの苦さを味わっていた。出会いを求めているのに、なかなか上手くいかないものだ。そんな言葉を飲み込みつつ、ひたむきに走り続けた。
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