第19話:運命の選択

「わかった。俺はみおの出した計算結果を信じるよ」


 一樹がそう言い切ると、みおは「本当に?」と不安げに聞き返す。その表情は、一樹がよく知る自信に満ちあふれたそれではなく、不安げで、はかなげで、れると壊れてしまいそうなであった。


「大丈夫だ、みお。俺を信じてくれ。ちゃんと根拠もある。ただ今は時間がない。早く軌道修正を頼む」


 一樹のこの一言に、みおは「わかった」と短く答えたものの、その手は大きく震え、まともに端末操作ができる状態でないことは誰の目にも明らかであった。そして、そんなみおを見かねた一樹は後ろからみおをぎゅっと強く抱きしめる。


みお、今まで自分がやってきたことを信じればいいんだ。ここまで上手うまくやってこれたのは偶然ではないんだろ? 必然なんだろ? だから今回も大丈夫。みおが出した計算結果は間違っていない。流した汗というものは、不思議なもので、すべて結果につながるものなんだ」


 一樹のその言葉とぬくもりを受け取ったみおは「うん」と小さくうなずくと、右てのひらで自分の肩にある一樹の顔にそっと触れ、意を決したかのように端末に数値を入力しはじめた。


 そのみおの顔には一切の迷いはなく、自分が信じた道を突き進む、決意にも似たまぶしい光がみおの瞳に宿っていた。しかしそれは長くは続かない。なぜなら、しばらく後、みおの瞳に宿ったのは、決意でも、希望でもなく、困惑であったからだ。


「第2スラスターが動作しない、これでは充分じゅうぶんな推力が得られない。もしかしたら、さっきの岩石かなにかの衝突で壊れたかもしれない。でも、さっきまで動いていたし、ただの制御不良かもしれない。いや、壊れていたとしても、補助スラスターの推力を使えば、なんとか」


 そう言葉を紡ぐみおの顔から、見る見るうちに血の気が失われていく。そして、それと反比例するかのように、みおの心音は一気に高鳴り、その鼓動は信じられないくらいの速度で律動し始める。


「落ち着け、落ち着くんだ、みお


「いいか、こういう時は1人で抱え込まず分業すべきなんだ。今のみおは1人じゃない。俺がいるじゃないか」


 みおは、一樹のその言葉に震えながらうなずいた。


「いいか、みおは第2スラスターの制御を取り戻すことに全力を注げ。俺は第2スラスターが使えない条件で、狙いのスイングバイ軌道に宇宙船ソフィアを乗せられるかどうか宇宙船アナクティシのコンピューターを使って計算する。ところでみお、俺たちに残された時間はあと何分だ」


「あと、約12分」


「わかった。その12分が俺たちに与えられた最後のチャンスだ。うろたえてる時間はないぞ!」


 みおは、一樹のこの一言で一気に冷静さを取り戻すと、自分ができる最大の速さで端末を操作し始めた。一樹はそんなみおの姿を見て一安心すると、自分自身がやるべき仕事に集中する。


 宇宙船ソフィアを支配するみおと一樹の端末操作音。時おり計器が出す無機質なビープ音。そんな静寂の中、生き残りをかけたみおと一樹の必死の努力が続く。そして、その砂時計に入った最後の一粒の砂が落ちようとしたその時、一樹が大きな声でみおに話かけた。


みお、今計算が終わった。第1スラスターの出力を90%、補助スラスターの出力を100%、第3スラスターの出力を70%にすれば、宇宙船ソフィアをみおが出した軌道に乗せる事ができる。データを送るから至急、軌道を修正してくれ」


「わかった」


 一樹の言葉に、みおは間髪入れずにそう答えると、慎重に一樹の計算データを端末に入力していく。これでみおと一樹にできることは何もない。ただ、宇宙船ソフィアが指定した軌道にのることを祈るだけだ。


 姿勢制御スラスターが無音でみおの指示通りの角度と出力でエネルギーを放出していく、それに伴い宇宙船ソフィアの姿勢が徐々に変化していく。そのすべての工程は無音で行われ、無音さゆえの緊張感がみおと一樹の心を支配していく。


「軌道修正を完了しました。今後の航路の再計算を実行します」


 オペレーターAIの無機質な声が船内に響くと、みおと一樹の緊張感は一気にピークに到達する。


「報告します。宇宙船ソフィアは軌道修正を繰り返しながら、5日後に、地球標準時で5年後に地球に到達します。なお、地球到達時のエネルギー残量は約1.4%になります」


 オペレーターAIのその答えを聞いたみおと一樹は、恒星のように大きく、宇宙の深淵のように深いため息をつくと、やがて大きな声で笑い出した。今の時点で、という但し書きはつくものの、なにはともあれ、地球へ帰還するメドがたったのだ。


 みおは一通り笑い終えると、この一連の作業中、気になっていたことを一樹に質問する。


「ねぇ、一樹。私の計算結果を信じる根拠があるって言ってたけど、結局、あれってなんだったの?」


 無邪気な笑顔をむけ質問するみおに、一樹は真剣な顔をして答えてみせた。


「なんでって、そりゃ、俺の経験さ。困った時、みおの話を信じていれば、今までずっとうまくいってきた。だから、これからもそうだと思った。ただ、それだけのことさ」


 その言葉を聞いたみおは、思わず呆然ぼうぜんとする。


「いや、そういう事じゃなくて、科学的な根拠があるんでしょ? 生死をかけた選択を、そんな曖昧あいまいなもので決められるわけないじゃない」


 みおは一樹に再びそう尋ねるも、一樹は真剣な表情を崩そうとはしない。


「もしかして、本当にそれだけなの?」


 みおのその言葉に一樹は黙ってうなずいてみせた。


「つまりだ。俺にとってみおの言葉というのは、それほど絶対的なものだということさ。例えそれが命をふだにする状況であっても変わることはない」


 一樹がそう言って微笑ほほえみを薄く浮かべたその瞬間、宇宙船の船首の方から激しい振動と轟音ごうおんが再び船内に飛び込んできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る