第17話:つかの間の希望

「一樹さん、みお、大丈夫? 大丈夫なら返事をして!!」


 宇宙船ソフィアの船内に柚希の悲鳴がこだまする。ホログラム3Dディスプレイ越しに柚希が見つめる先にはぴくりとも動かない一樹とみお


「お願い、起きて! 起きてちょうだい!!」


 柚希の涙がにじむその祈りも一樹とみおには届かない。やはり亜光速宇宙船間での量子テレポーテーションに無理があったのか? 4光年離れた位置にいる超光速通信では観測者として不充分じゅうぶんであったのか? 様々さまざまな不安と不吉な予感が柚希の心で交錯する。


 確かに今のクローン技術をもってすれば、大抵の怪我けがや身体欠損には対応できる。しかしそれは存命であった場合だけ。人は死んだら生き返らないし、一度離れた魂は戻ってこない。もうダメだと柚希が覚悟を決めたその瞬間、


「うーん」


 という一樹の声。


「一樹さん、一樹さん、しっかりして! 大丈夫ならすぐ返事をして!」


 朦朧もうろうとする一樹の意識に柚希の叫びが浸透する。


「ここはどこだ? って、柚希くん、柚希くんかい?」


 一樹がそう言ってホログラム3Dディスプレイをのぞきこむと、そこには顔全体を水たまりのようにらした柚希が映し出されていた。


「柚希くん、すまない。意識が朦朧もうろうとしていて状況が飲み込めない」


 一樹はそう言いながら右手を自らの頭にあて苦悶くもんの表情を浮かべる。しかし柚希ゆずきはそんな一樹の様子なんてお構いなしで、ホログラム3Dディスプレイ越しに叫び声をあげる。


「一樹さん。みおが、みおが……」


 この叫びで一樹の意識は一気に覚醒する。一樹は慌てて周りを見渡すと、そこには自分の隣に横たわりとも動かないみおの姿。その光景を見た一樹は、ようやく事態の深刻さを理解する。


みおみお。起きてくれ!」


 必死にみおを前後左右にゆする一樹。しかし、その叫びは、その願いは、宇宙の静寂に飲み込まれるのみ。それはまるで、この世をつかさどる冷酷な神が「現実は、希望ではなく結果を映す鏡にすぎない」という教訓を無理矢理押し付けてくるような、そんな抗しがたい無慈悲な事実がそこにはあった。


 希望と絶望で釣り合っていた天秤が、今、まさに絶望側に傾きかけたその時、不変と思われた状況が変化する。


「うぅ、うぅーん」


 とみおの口からわずかな声。一樹は、目の前で起きた小さな奇跡に狂喜すると、大きな声でみおの名前を呼び続けた。


「あぁ一樹、おはよう。ここは?」


 みおの言葉を聞いた一樹は、思わずみおを強く抱きしめる。


「一樹、もう少し寝かせてよ。私、疲れてるんだから。でも、どうしてもお姫様に起きて欲しかったら、古来から決まっているお約束をしてもらわないと困る」


 みおはそう言いながら自分の唇を一樹の唇に近づけると、その背後から「こほん」という大きな咳払せきばらい。


「ゆ、柚希」


 みおは一瞬で正気に戻ると、あわてて一樹から離れ、ホログラム3Dディスプレイに背を向けた。


「ゆ、柚希、い、いるならいるってちゃんと言ってよ。恥ずかしいじゃない」


 みおは顔を真っ赤にしながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「し、しかたがないでしょ? わ、私を観測者に選んだのはみおなんだから……」


 柚希は涙を流しながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。つい先ほどまで冷え切っていた宇宙船ソフィアの空気がゆっくりと温かみを取り戻していく。張り詰められた糸が次第に緩んでいく。冷酷に染まった現実が、徐々に優しさに塗り替えられていく。まるでそれは2人が地球で過ごしていた日々であるかのように。


「どうすごいでしょ、柚希。私の言った通りうまくいったでしょう!」


 そう言って笑うみおの顔は涙でくしゃくしゃだ。それは柚希も同様であったし、涙こそ見せないものの一樹も同じ気持ちであった。


 宇宙船ソフィアの船内を2人の女性の泣き声がこだまする。それは宇宙の虚空に響く慟哭どうこくではなく、もっと温かみのある、希望にみちたそれであることを一樹が理解した時、一樹は初めて自分が助かったことを理解した。


みお、そういえば柚希くんに渡さなければいけないデータがあると言ってたな。俺は部屋の外で待っているから、作業が終わったら呼んでくれ」


「私、そんなこと……」


 そう言いかけてみおは言葉を止めた。一樹は、みおと柚希の心が落ち着き、冷静さを取り戻すまで時間をくれようとしているのだ。一樹は何も言わなくても、みおにはそれがわかるのだ。


 みおは、自分が言いかけた言葉をすべて飲み込んで「わかった」と短く答えると、一樹は黙って扉の外に姿を消した。


 現在が過去に変わり、時が淡々と流れていく。たとえそれが短いスパンであったとしても、その事実は変わらない。一樹はそんな時間の流れに身をまかせ、久しぶりの手持無沙汰を楽しんでいた。


 しばらくして部屋の扉が開くと、そこにはいつもの冷静さを取り戻したみおが立っていた。


「さ、宇宙船の航路がちゃんと地球に向いているか確認しないとね」


 そう微笑ほほえみおを見て安心した一樹は、みおの肩を軽くたたく。


みお、よかったら今後の予定を教えてくれないか?」


「ええ」


 みおはそう言って一樹を部屋に招き入れると、ホログラム3Dディスプレイに宇宙船ソフィアの今後の航路を映し出す。


「宇宙船ソフィアは、ブラックホールの引力を利用したスイングバイで軌道きどう修正したのち、スラスターで方向調整しながら地球に向かうことになるの。今映っている軌道きどうであれば大丈夫、宇宙船はちゃんと地球に向かう航路上にいる。ただ、スイングバイ時に質量可変システムで質量バランスを調整するから、この質量調整用の液体が入っている青色のパイプには近づかないでね」


 そこまで言ったみおは、急に申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「ごめんなさい、一樹。帰りは燃料の関係で光速航行ができないの。だから帰りは亜光速航行で約5日ほどの旅程になる。そして地球では5年の月日が流れている」


「でもそのおかげで、さっきの続きをする時間は充分じゅうぶんにとれるけどね」


 みおはそう言って、一樹をぎゅっと抱きしめた。


みお、そういうことをするのは、私との通信を切ってからにしなさい」


 超光速通信機越しに柚希の声。


「はーい」


 みおがそう明るく答えると、宇宙船内は笑い声で満たされる。


 これですべてがうまくいく。誰もが確信したその瞬間、何かがぶつかったかのような鈍い音が宇宙船内にこだまし、間髪かんぱついれず警告音が鳴り響く。


WarningワーニングWarningワーニング。当宇宙船は、既定のスイングバイ航路から外れています。至急、軌道きどう修正を指示してください」

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