旅行の準備

「お前だけ公爵領へ旅行なんてずるいぞ、リディアーヌ」


 顔を合わせるなり理不尽な文句を言われた。

 挨拶を一部省略、カーテシーで最低限の体裁を整えた俺はリオネルの向かいへ腰を下ろしてからゆっくりと口を開く。


「お土産はなにがよろしいですか?」

「む? そうだな……公爵領の羊肉はとても美味かった。また食べたい気もするが、公爵家経由でなくとも手に入るからな。何か変わった物が欲しいぞ」

「かしこまりました。難しいご注文ですが、なにか面白そうなものを探してみようと思います」


 微笑んで頷く。

 帰りの荷物と一緒に生きた羊を輸送するのはあまりよろしくない。専用の馬車を使わないと羊にストレスが溜まって味が落ちるだろう。

 何か良いアイデアはないかと頭の片隅で考えつつ、


「と、申しますか、リオネルさまは王都から出たことがおありなのでは?」

「まあな。遠乗りに同乗したり、狩りに連れて行ってもらったり、視察に行く父上に同行したり。だが、長くても二、三日だぞ。お前のように長いこと滞在したりはしていないし、遊ぶ時間も多くはなかった」

「陛下も妃殿下もお忙しい身の上ですからね……。リオネルさまだけを残して帰られるわけにもいきませんし」


 正室の長男である。何かあっては大変なわけで、むしろよく暇を見つけて色々連れ出してもらっている、と言うべきだ。王族だから大切にされているという以上に親から溺愛されているのが彼の素直な性格からも伝わってくる。


「わたしはこれが初めての遠出なのです。ひと月やふた月の静養は許してくださいませ」


 俺とシャルロット、アランがまとめて移動するとなると護衛やら何やらでかなりの人や物が必要になる。着いて二、三日で帰って来る方がむしろ大変だ。

 これまで孫に会えなかった祖父が「顔を見たからもう帰っていいぞ」などと言うとも思えない。

 と、リオネルは端正な顔をぶすっとした感じに歪めて、


「それはそうだが……お前の顔が見られないと寂しいではないか」


 素直か。『っていうか、実は天然の女たらしなんじゃないのこいつ』。


「わたしもしばらくお会いできないのは残念です。……チェスや演習の対戦を挑めませんから」


 後半は照れ隠しだったが、向こうも一緒に遊ぶのが目当てだったようでにやりという笑みに変わった。


「むしろ練習のチャンスなのではないか? アランにも指導してもらって腕を磨いて来い。だんだんお前の勝率が落ちているぞ」

「練習相手が少ないのが困りどころなのですよね。ところで、お兄さまとの戦績はいかがなのですか? 時々対局されてらっしゃるのでしょう?」

「う。ああ、まあ、結構勝っているぞ? アランも意外と大したことはないな」

「セルジュさま。リオネルさまの勝率は三割といったところですか?」

「そうですね。二割八分……およそ三割です」

「お前達! せっかく誤魔化したのに容赦なく暴くんじゃない!」


 厳しいけど優しい側近の青年と情報を共有しあっていると、顔を赤くしたリオネルが声を荒げた。


「……そもそも、アランは手加減がなさすぎるのだ。父上も『チェスを指す時のジャンは普段以上に容赦がない』と言っていたが、おそらくあのような感じなのだろうな」

「アランお兄さまはとてもお優しい方ですのに」

「男相手に容赦がなく女相手に甘いのがシルヴェストルの男の特徴なのではないか?」


 男はだいだいそうだと思うが。しかし、我が家の男は確かにその傾向が強い。女にだらしがないのではなく紳士的で強く出られないという意味で。

 ここでセルジュが笑いを堪えながら、


「リディアーヌ様。どうかお気を悪くなさいませんよう。リオネル様は貴女様と過ごす時間をとても気に入っていらっしゃるのです。肩の力が抜けたいい表情をしていらっしゃいます」

「おい、セルジュ」

「これは失礼いたしました」


 うん、余計な気を遣わなくていい関係は俺としても安心できる。


「なにか連絡を取る手段があればいいのですが、難しいのですよね」

「ほう、お前でも作れないのか?」

「魔力は遠くまで届かないのです。こればかりはなかなか解決のしようが……」


 俺たちはいつもと同じように、時間の許す限り雑談や遊びに興じた。






「リディアーヌ様。本日はお招きいただきありがとうございます……!」

「ようこそ、サラ。でも、そんなに畏まらなくても大丈夫よ」


 友人の一人であるサラ・モレ伯爵令嬢はよそ行き用のドレスを纏い、ガチガチに緊張しながら俺へ挨拶をしてくれた。

 少々真面目すぎるのは相変わらずのようだが、薄紫色の髪やほとんど日に焼けていない白い肌は前よりも艶があるように見える。

 髪と同色の瞳も緊張の色だけでなくきらきらとした輝きを宿している。


「最近はよく眠れているのかしら?」

「はい。リディアーヌ様から素敵なドレスをいただいたお陰です。着ていくドレスがあると思うと、他の方のお宅へお呼ばれするのが少し楽しみになりました」

「それは良かったわ」


 サラへと譲った何着かのドレス。売り払って金に換えられやしないかと少し心配していた。さすがにあの両親もそこまで考えなしではなかったか。

 まあ、王都の服飾業者は多くがシルヴェストル公爵家と繋がりを持っている。上等なドレスを無造作に売り払おうものならたちまち誰かの目に留まってセレスティーヌの耳に入る。そうなればモレ伯爵家は「温情をかける余地なし」と判断されて針の筵となるだろう。


「もう少し何かしてあげられるといいのだけれど」

「いいえ、そんな。今の私にはリディアーヌ様にお返しできる物が何もありません。一方的に施しを受けるだけの立場ではお友達なんて恥ずかしく名乗れません」

「本当に、サラは良い子ね」

「そ、そんなこと……」


 恥ずかしそうに目を伏せる少女へ「それじゃあ、行きましょうか」と声をかけ、庭を歩いていく。


「皆様はもうお集りなのですか?」

「ええ、ほとんどがもう到着しているわ。だから、一人だと心細いかと思って迎えに来たの」

「ありがとうございます。私、こんな会は経験がありませんから……」


 今日の会場は俺の部屋ではなく庭の東屋だ。人数が多いのと、春になって暖かくなってきたことが主な理由。庭は少々入り組んでいるので案内がないとなかなかたどり着けない。


「そんな緊張しなくてもいいのに。男爵家や子爵家のご令嬢だっているんだから」


 東屋へ近づくと女の朗らかな話し声が聞こえてくる。一瞬びくっとしたサラだったが、さすがに逃げ出したりはせず、意を決したように歩を進めてくれる。

 白塗りの大きなテーブルに六、七名ほどの少女たち。

 俺たちの接近に目ざとく気づいて視線がこっちへ注がれる。なかなかのプレッシャーがかかる中、サラは緊張しつつも丁寧に皆へ挨拶をした。


「ごきげんよう、サラ様」

「お会いできて嬉しいですわ」


 返ってくるのは穏やかな声。優しそうな態度=本当に歓迎されているとは限らないのが貴族社会の恐ろしいところだが、俺の友人たちは概ね言いたいことははっきり言うタイプ。サラもほっとしたように表情を和らげ、身体の緊張を少しほどいた。

 俺とサラはそれぞれ席につく。ホストであり地位的にも最上位にあたる俺は上座、サラはどちらかというと下座よりなので一緒には座れないが、こればかりは仕方ない。

 なお、俺の左隣の席はいまだ空席。


「これでいらしていないのはルフォール家のご令嬢と──」


 誰かが口にしたところで、馬車の音がかすかに俺たちの耳へ届いた。噂をすれば。美しい銀髪を携えた儚げな少女が白いドレスをまとって会場へと現れる。

 彼女は清楚かつ上品なカーテシーをもって一同へ挨拶すると、その後で俺を見て微笑む。


「こんにちは、

「ええ。元気そうで何よりだわ、ヴァイオレット」


 途端、和やかだったお茶会の席がざわっとした。


「リディアーヌ様? ルフォール様とは親しいご関係だったのですか?」

「え? ええ、そうですね。顔を合わせて話をするのはまだ何度めかといったところですが、お茶の話で意気投合いたしました。その縁でお互い気兼ねなく呼び合うように……」

「なんということでしょう……!」

「リディアーヌ様からの呼び捨ては構いません。サラ様なども同じですし、親愛の証でしょう。ですが、リディアーヌ様を呼び捨てにするとは」

「ヴァイオレット・ルフォール様。これは重大な抜け駆けですよ」


 複数人から放たれる強烈なプレッシャー。みんな笑顔を浮かべてはいるものの目が笑っていない。

 どうやら俺とヴァイオレットの関係が羨ましいらしい。『そんなに怒るようなことかしらね? 友達同士なんだから呼び捨てにしあったって別にいいじゃない』。

 当のヴァイオレットはわかっているのかいないのか、優雅に腰かけているが──うん、不和の種は早めに潰しておくに限る。


「なら、みんなもわたしのことを呼び捨てにしたら?」

「それはいけません、リディアーヌ様」

「ルフォール様は侯爵令嬢ですし、王家からの信頼も厚い家柄ですからリディアーヌ様と対等にお話する権利がおありだと思いますが……」


 じゃあ怒らなくてもいいじゃないか。

 と、簡単にいかないのが人の心の難しいところ。友人に突然、親友のように振る舞う新しい友人が現れたら若干イラっとするのは免れない。だからといってヴァイオレットが悪いとも言えない。『じゃあどうすればいいのよ! ああもう面倒くさい!』。

 しばらくあれこれやり取りを繰り返した後、出た結論は、


「じゃあ今後、わたしはみんなを呼び捨てにするわ。みんなからわたしへの接し方は家格その他を考慮してちょうだい」


 ものすごく当たり前の話だった。

 仲のいいグループに新しいメンバーが加わる際、既存メンバーから横やりが入る現象。これ、派閥と変わらないのでは? と思ったものの、普通の派閥であればここまで自由な意見交換はできなかっただろう。これはうちのいいところである。


「それで、リディアーヌ様? 今日はどうしてこんなに大勢で?」

「これだけの人数で集まるのは初めてではないでしょうか」

「ああ、それは簡単よ。前もって手紙でも伝えたけど、しばらく屋敷を離れることになったの。だからみんなの顔を見て、話をしておきたかっただけ」

「さすが、リディアーヌ様は律儀ですね」


 何か重大な話があるのでは、と警戒していたのか、何人かはあからさまにほっとした様子だった。

 しばらく王都からいなくなるのも十分重要な話だと思うのだが。


「みんな、わたしがいない間に嫌がらせをされたらきちんと記録しておいてね。日付とおおまかな時間帯、場所と状況、その場には他に誰がいたか。首謀者を懲らしめてやるのに必要だから」


 これをしっかり伝えておくのも目的のひとつ。俺がいなくなるのを幸いに勢いづく不届き者もいるかもしれない。ベアトリスは俺を倒すことに執心しているので他の人間にあまり変なことをしないと思うが、その取り巻きや他の令嬢については保証がない。

 不在中の王都の様子を知るためにもお願いすると、友人の中でも位の高い者たちが微笑んで答えた。


「心配しないで、リディアーヌ」

「リディアーヌ様がいらっしゃらなくとも私達がいます。風通しのいい環境を守るためにも悪い輩は許しません」


 なんとも頼もしい返答に思わず笑ってしまった。


「ありがとう。でも、やりすぎちゃ駄目よ」

「もちろん、承知しておりますわ。戦うのはあくまで不正を許さないため。権力をかさに着て好きに振る舞うつもりはございません」

「良かった。じゃあ、お礼も兼ねてお土産をたっぷり用意するわね」


 後は和やかなお茶会。食べきれないほどのお茶請けと美味しいお茶を楽しみながら、俺たちは雑談に花を咲かせ、しばしの別れを惜しんだ






「身体の調子は問題ないようですね」


 セレスティーヌの言葉に俺は「はい」と短く答えた。


「ですから手を離してくださいませ、お養母さま」

「ええ。もう確認は終わりましたから」


 細く柔らかな手がすっと俺の身体から離れる。俺はほっと息を吐いた。ドレス越しとはいえメイドでもない相手にあちこち触られていたのだからさすがに緊張する。

 何をされていたかと言えば体型の確認である。

 初めてノエルと稽古した時にも手を触られたが、今回はより念入りに確認された形。あれから余計な筋肉で体型が崩れていないか、崩れる予兆がないかを調べられたのだ。

 とりあえず確認は終わったのでお互いに座り直して、


「なにか問題はありましたか?」

「いいえ。特に問題はないでしょう。魔法によって成長の仕方を規定する……なんとも大胆な発想ですね」

「……もしかして褒められているのでしょうか?」


 事あるごとに呼び出されるのでだいぶ通い慣れたセレスティーヌの部屋。お互いの専属しかいないリラックスした状況故か、養母は呆れたような視線を遠慮なく俺へ向けてくる。


「発想と、それを実現する才覚については褒めています。ですが、大胆かつ奔放な性格についてはとても手放しでは褒められません」

「お養母さまのような細かいやり方はわたしには無理です。全く向いていません」

「ええ。だから貴女は場を支配しようとする。他者を敵と味方と中立の三つに分け、自身に矛先を向けた相手だけを容赦なく叩く」


 これでもかと乱暴なやり方である。我ながらもう少し他にないのかと思わなくもないが、今更簡単には変えられない。

 ふう、と、養母が小さなため息。


「アデライド様が健在であれば、そうした社交をなさったのかもしれませんね」

「お母さまはお優しい方ですから、わたしとは違うと思いますが」


 セレスティーヌは俺を見てふっと笑った。馬鹿にされた感じではなく、どこか優しい雰囲気。


「他のやり方ができない以上、続けるしかないのでしょうね」

「そうですね。誰かに恨まれようと、憎まれようと、自分にできる方法で進むしかありません」


 全く底が知れないこの養母はどうなのだろうか。どこまでが計算で、どこまでが不慮の事態だったのだろうか。

 そして、どのくらい俺やアランに対して「親としての愛情」を感じているのだろうか。


「お養母さま。どうして急にそんな話を?」

「急ではありません。貴女達が公爵領へ向かう前でなければいけなかったのです」


 それは身体の確認についてか、それとも。


「リディアーヌ。公爵領を見て来なさい。人も、物も。新しい経験は貴女にとっても悪いものではないはずです」

「はい。せっかくですから思う存分、楽しんできたいと思います」


 深くは尋ねないまま、俺は養母に笑顔を返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る