バルト家への訪問 2
伯爵家の中庭にも数多くの薬草、あるいはその花が生い茂っていた。
見せてしまっていいものなのか。微笑むミレーヌの姿からその真意を読み取ることはできない。ただ、少なくとも俺にわかる範囲でご禁制の植物は見当たらない。
さすがにそこまでわかりやすい真似はしないか。
あるいは、一つ一つは問題なくともその組み合わせによって危険な薬となり得るのか。庭を見せることはバルト家にとってカタログを見せるようなもの、しかも、カタログの内容が見る人間の知識レベルによって変化するのだとしたらなかなか厄介である。
「当家の中庭は迷路のように複雑ですが、案内のメイドが付き添いますのでご自由にご覧くださって構いませんわ」
ミレーヌの言葉によってお茶会の参加者たちは好きなように散らばっていく。
ある者は花の咲いている箇所にだけ興味を示しながら、ある者は品定めをするように一つ一つ注視しながら。互いに談笑しあったかと思えば自然に離れ、近くで顔を合わせればまた世間話をする。
ヴァイオレットも俺の方へちらりと視線を向けた後はゆっくりと庭園を散策している。
これはまた、誂えたように良いシチュエーションだ。いつ仕掛けてくるのか。あるいはこちらから仕掛けるべきか。中庭の植物を脳裏に刻み込みながら機を窺っていると、メイドに日傘を持たせたミレーヌがゆっくり近寄ってきた。
俺の方もアンナのさす日傘に守られているため、俺たちの周囲にはちょっとした壁ができた感じになる。
「リディアーヌ様はどんな植物がお好きですか?」
「薔薇ですね。母の好きだった花なのです」
「良いですね。香油や香水としても用いられるとても素晴らしい花です」
この女にとっての基準は「利用価値があるかどうか」なのか……?
薔薇は好きだが、香油や香水は少し匂いが強すぎて苦手だったりする俺は曖昧な笑みを浮かべて話題を変える。
「この度は素敵なお手紙をいただきありがとうございました」
「リディアーヌ様とは一度お話してみたいと思っておりましたので、応じていただけたことを嬉しく思っております」
この程度ではカマかけにもならないか。お互い笑顔のまま一呼吸ほどの間、互いの出方を窺って、
「香油のお話もそうですが、植物には色々な利用方法があるのでしょう? 手紙の文字を隠して暗号を隠したり、ですとか」
「ええ、ございます。一口に植物と言っても性質は様々ですから、それを利用すれば様々な事が可能です。……もちろん、人の死に繋がる事もございますので取り扱いには注意が必要ですが」
「薬であっても過ぎれば毒になるもの。慎重に扱うのは当然のことですね」
わかりやすく話を切り出した途端、ミレーヌの瞳へほのかに真剣な色が浮かんだ。どうやら知っているらしい。ついでにジゼルの件について文句を言ってやれば笑顔でスルーされた。
さりげなく、ミレーヌが人気のない方向へと足を向ける。俺は黙ってそれに合わせた。他の人間に聞かれたくはない話だし、襲われたら危険なのはどこでも大して変わらない。
「オーレリア・グラニエ様はお元気ですか?」
「ええ。元気に魔法研究へ没頭されております。……もっとも、わたしが初めてお会いしたのは一年と少し前なので、『相変わらず』と言ってよいかはわからないのですが」
「相変わらず、で問題ないかと。あの方は昔からそうだったと聞き及んでおります」
「昔から、やりたいことがあると周りが見えなくなる方だったと」
「ええ」
問題は、その「やりたいこと」が何なのか、だが。
「ミレーヌさまはオーレリアさまと交流がおありなのですか?」
「交流、と言うほどのものでは。ただ、夫があの方とお会いする際に連れられて行った事がございます」
「人嫌いのあの方も人をお話をされることがあるのですね」
「しがらみというものはどうしてもありますもの。……それに、同じ目的を持つ者や自分の助けになる者にはむしろ近づいていく方でもあります」
新しい魔法のヒントを持っている(かもしれない)俺を弟子にし、研究を手伝わせているみたいにか。
「はた迷惑な方ですから、周りの方も制御に苦労しているのでしょうね」
「あの方の性質を把握していなければ竜の尾を踏むことになるでしょうね」
遠回しな会話を続けるのがだんだん面倒になってきた。大筋、ミレーヌの態度は手紙と同じく警告の類に思えるが、最後の台詞は「自分はオーレリアの御し方を知っている」という自負とも取れる。
いっそのことストレートに尋ねてしまおうか。しかし、向こうが狙っているのがそれだったら? オーレリアはあれでも王女。下手な発言は不敬罪になりかねない。
息を吐き、少し方向性を変えてみる。
「王族の家族仲はいかがなのでしょうね。オーレリアさまが孤立なさっているのではないかと少し心配なのです」
「尊き方々の胸の内までは下々の者にはとても。……むしろ、リディアーヌ様であれば直接お窺いする機会もあるのでは?」
これ以上は直接王族に聞け、ということか?
ここまでの話だけでも収穫はあった。あまり踏み込み過ぎても逆効果かもしれない。ミレーヌたちも両親も、オーレリアだって十歳の小娘を矢面に立たせるつもりはないだろう。関わりたいのなら、真実に近づきたいのなら慎重にやるしかない。
そうして俺が深追いを諦めかけた時、ミレーヌが意味ありげに微笑んで呟くように言った。
「ただ、王族の方々とて人の子。深いところではそれぞれのお考えがあることでしょう。そして、それは臣下や臣民とて同じ事」
「もどかしいお話ですね。平民の家などは親子が顔を突き合わせて率直に意見を交換するものだと聞きますけれど」
適当に応じながら、最後の最後でやってきた大きなヒントに俺は感謝した。
「リディアーヌ様。リオネル殿下との仲が睦まじく末永く続きます事を心よりお祈り申し上げます」
「ありがとうございます。リオネルさまと共に国を、陛下を支えていくことができればなによりの喜びだと考えております。どうか温かく見守ってくだされば幸いです」
俺は「旦那様にもよろしくお伝えください」とミレーヌに伝え、他の参加者とも和やかなムードを崩さないままにバルト伯爵家を後にした。
帰りの馬車が伯爵家の敷地を出たところで安堵の息を吐く。
すると、斜め向かいに座っているノエルが似たような仕草をしているのに気づいた。思わず見つめると、見習い騎士の少女はラベンダー色の瞳を瞬かせ、かすかに頬を染めた。
「申し訳ありません。……少し気が抜けていました」
「緊張していた、ということかしら?」
「はい。あの家の中はなんというか、寒気がしました」
できればもう行きたくないとでも言うように屋敷の方を見るノエル。護衛をしている最中はわかりやすい素振りを見せなかったので安心していたのだが、
「それは、薬草の匂いのせい? それとも別のこと?」
「別です。リディアーヌ様に分からなかったのも無理はありません。奴らはこちらに敵意を持たず、ただそこにいただけですから」
「居た、って」
「使用人です。その中に毛色の違う者が交じっていました。騎士ではありません。おそらくは暗殺者かそれに似た類かと」
「な……っ!?」
使用人の中に戦闘技能者が紛れていた? それも、暗殺者だと?
この世界でも使用人が護衛を兼ねることは珍しくない。アンナやエマだっていざとなったら主の盾となり、魔法を行使して敵を排除する役割がある。しかし、マンガやラノベによく出てくるような戦闘メイドみたいなものではない。
考えてもみろ。メイドとしての日常業務と戦闘技能者としての訓練が全くかみ合わない。技能とは使わなければ鈍るもの。現実的に考えたら「いったいどうやって能力を維持しているのか」という話になる。
「ノエル。それは確かなの?」
「確証はありません。確かめて襲われるわけにもいきませんから。ただ、注意して観察すると動きが明らかに違います」
プロのメイドとプロの暗殺者。洗練された動きという意味では似通ったところがあるが、戦いの機微を知っているノエルが見れば違いが見えてくるという。無駄がなさすぎるのも考えものといったところか。
「平民を雇って訓練しているのではないかと。平民の中には魔法の力の代わりとしてひたすら武技を磨く者がいる、と話に聞いたことがあります」
「なるほどね。……それって、騎士団に報告するものなのかしら」
「報告書は書きますが、上官へ個別に伝えるのは難しいです。貴族が私費で護衛を用意するのは珍しい事ではありませんから」
確かにそうだ。兵ならうちだって雇っている。うちの兵は暗殺者ではないし男ばかりだが、仕事内容に訓練が含まれているので腕は確かだ。正面から戦えば伯爵家の暗殺者たちにだって引けはとらないはず。
その上で、俺はノエルに尋ねてみる。
「ねえ、ノエル? うちの警備兵とその暗殺者? たちだったら、どっちが怖い?」
すると少女騎士の表情が浮かないものになった。
「護衛という立場からすれば暗殺者です。いつ襲ってくるかわからなければ警戒のしようがありませんから」
「確かに、その通りね」
秘密の訓練場なら地下にあるかもしれない。暗殺者だって誰かを殺さない限り罪に問われる謂れはない。本当に暗殺者だという確信はないし、伯爵家が育てているのではなくどこかから斡旋されているのかもしれない。可能性を言ったらキリがない。
俺は息を──今度はため息を吐いて言った。
「とりあえず、日の昇っているうちに帰れたことだし──屋敷の書庫でも調べてみましょうか」
最初に取り掛かった調べものは、バルト家とオーレリアの繋がりについてだ。
次期当主であるフレデリクとの関係が示唆されていたことから当たってみたのだが、調べてみると意外にあっさり発見に成功。
幼少期に継承権を失くしたせいか、オーレリア自身に関する記述はほぼ残っていなかったものの、十二年前に事故死した王妃がバルト家の出身であることがわかったのだ。オーレリアの母はフレデリクの姉。つまり、ミレーヌから見たオーレリアは「血の繋がらない姪」ということになる。
『なるほど。それは鬱陶しいでしょうね? よくわからないことばかりしでかす年下の小娘。しかも家柄だけは自分よりも良いなんて』
どこかで聞いたような話である。
セレスティーヌと俺は母娘だし、オーレリアは王族扱いなのだから細かい事情は違うが。
記録とあの噂どちらも本当だとすれば、オーレリアが魔法を発現したのは六歳か七歳。幼くして母親を亡くしたこと、稀有な魔法の才があったことなど俺と重なる部分が多い。
たぶん、俺は無意識のうちに彼女に同情しているのだろう。そして擁護できる部分を探している。悪い傾向だとは思うが、それが調査の原動力になっているのも事実。
ジゼルの時と違って、ふてぶてしくも美しい俺の師匠はまだ、悪いことをしたと決まっていない。
「だとすると、あの手紙はミレーヌの独断なのかしら? 夫のフレデリクやバルト家には別の思惑があるとか?」
フレデリクから見てもオーレリアは姪だ。あの手紙が糾弾というより「あの子を止めてくれ」という意味合いのものだとすれば夫婦の目的は同じとも考えられる。どちらとも言えるし、というのは変わらない。
ここまで結論付けたところで結構時間が経っていたので調査は中断。入浴や夕食を経た後、両親に呼び出されて今日の報告を求められた。
あまり広めるような情報でもないし仕方ないのだが、アランやシャルロット(特に義妹)抜きで両親と会う機会が最近多すぎる。ずるいと思われませんように、とついつい祈ってしまう。
それはともかく。
ミレーヌの「どこもかしこも一枚岩ではない」とでもいうような台詞やノエルが教えてくれた違和感を伝えれば、父は顎に手を当てて呻った。
「……むう。嫌な展開としか言いようがないな」
「お父さま? それはどういう意味かしら?」
「む」
尋ねれば、曖昧な表情のまま硬直する父。
「旦那様はリディアーヌを巻き込みたくないのです。情報を制限すれば渦中には置かれないと考えておいでなのですよ」
「セレスティーヌ。其方は反対だというのか?」
「ええ。この子は未来の王族候補。巻き込まれないという方が無理なのです。ならばいっそ、伝えてしまった方がいいのではありませんか?」
そんな問答を経て、両親は俺に教えてくれた。
「陛下は十分な善政を敷かれている。国内も安定しており、しばらく戦らしい戦も起こっていない。……それでも、不満というのは存在するものなのだ」
「『純血派』。魔力持ちを敵視し、平民こそが国を治めるべきだとする一派がこの国にも存在しているのです」
それは確かに、子供が関わるにはあまりにも大きすぎる問題だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます