屋敷内の悪意
「今回の件、貴女に何か心当たりはありますか?」
「いいえ、お養母さま。このところ夜は熟睡しておりますので、多少の物音では目覚めなかったかと」
ため息を吐きたいのを堪えながら、養母の問いへ正直に答えた。
セレスティーヌの私室はかつて俺の生母アデライドが使っていた部屋だ。赤と黒を基調とする落ち着いた雰囲気だったそこは今、白と金に彩られた上品な部屋へ様変わりしている。
見せつけるために呼んだのかと憤りそうになるが、今回に関してそういう意図はないだろう。
その証拠に、テーブルの向かいに座った養母は珍しく眉を寄せて困惑を表している。
「被害が少なかったのは幸いですが……明らかに悪意ある犯行ですね」
切り裂かれたドレスは全部で三着だった。
回復後に初めて着た黒いドレスを含め、最近好んで着ていたものばかり。直すのは無理と一目でわかるくらいに損なわれていた。
発見後、俺はすぐメイドの一人を報告に行かせた。
指示を待つ間無事なドレスへ着替え、クローゼットの中や私室を可能な限り調べたものの、特に不審な点は見つからず。
そうしているうちに養母から呼び出しがかかって今に至る。家族揃っての朝食は中止となり、俺たちの分の食事は現在テーブルの上に置かれている。
「最後にドレスを確認したのはいつですか?」
「昨日の朝です。その時はもちろん三着とも無事でした」
寝間着と普段着は別のクローゼットに収められている。脱いだドレスは洗濯に回されるので、夜に普段着用のクローゼットを開くことはない。
汗をかいた時は日中に着替えることもあるが、昨日はダンスの授業もなかったので服は替えていない。
「では、あなたの部屋へ特別に出入りした者は?」
「わたしの知る範囲ではいません」
掃除や整理整頓はアンナの仕事なのでメイドの出入りも多くはない。
食事等で部屋を空ける際や夜の間はドアに鍵をかける。
鍵はアンナが携帯している他、屋敷の保管庫にも予備が収められている。
「お養母さま、保管庫はどうなっていましたか?」
「他の部屋の鍵も含め、全て盗まれてはいませんでした」
鍵の有無は毎日、朝晩の二回チェックが行われている。
昨日のチェックにおいて異常はなかったらしい。とはいえ、誰がいつどれを借りたかまでは把握していない。朝から晩の間、あるいは晩から朝の間に使ってすぐに返すことはできる。
つまり、使用人なら──というか鍵の管理システムと管理場所さえ知っていれば誰にでも犯行は可能。
まあ、父やセレスティーヌ、アラン、シャルロットが犯人という可能性は低いだろうが。
ここで養母は息を吐いて、
「状況的に、最も犯行が容易なのはアンナです」
「……そうなりますね」
こくりと頷く。
アンナが使っている専属部屋は鍵のかかったドアの内側。接続としては「屋敷の廊下⇔俺の私室⇔俺の寝室、個人用の浴室、専属部屋」となっている。
俺の寝ている間ならこっそり私室に入ってクローゼットを開くことも簡単だ。もちろん、彼女がやったなどとは思えないが。
ちらりと背後を振り返る。そこには誰も立っていない。アンナには別に事情を聞くということで、俺は彼女と引き離されている。
「お養母さま。あの子はこれからどうなりますか?」
「この後、別途事情を聞きます。その後はしばらくの間、別室で謹慎してもらいましょう」
「それは、アンナを疑っているからですか?」
「可能性がある以上、そのままにはしておけないというだけです。同じことの繰り返しは防がなくてはいけませんから。代わりに他のメイドを付けますから、ひとまず我慢してください」
「……かしこまりました」
アンナが身動き取れない中で二度目が起こればシロの目が大きくなる。
最低限の対処を行った上で追って調査を行い、詳細を確定する。いつも通りセレスティーヌは論理的かつ冷静だ。よほどのことがない限り、やってもいない罪をアンナに押し付けることはしないはず。
夜間の犯行だとすれば寝ていた俺の不注意もあり得る。ここは従っておいた方が得策だろう。
「では、代わりのメイドは誰になりますか?」
「……そうですね」
しばし、セレスティーヌは思案するように目を伏せる。
目を開けた彼女はじっと俺を見据えたまま、一人の名前を口にした。
「お嬢様。どうかお気を落とさずに」
「ありがとう、ジゼル」
代理の任命は速やかに行われた。
紺色の髪と瞳を持った若いメイド──ジゼルはセレスティーヌの部屋で俺と対面すると「よろしくお願いいたします」と優雅に一礼した。子爵家の出身で、屋敷に来て三年目だという。学園の卒業生なのでアンナとは四歳差の二十歳だ。
アンナの謹慎についてセレスティーヌは「しばらくの間」と言葉を濁した。その間、ジゼルは一般の使用人部屋から通いで俺を世話することになる。専属部屋にあるアンナの荷物は当面そのままだ。
部屋に戻ると二人きりになる。
ジゼルの気づかわしげな呼びかけに俺は「お嬢様」として答えた。
いつもと違う気配がするせいか落ち着かない。ひとまず椅子に腰かけて息を吐くと、
「アンナに拘る必要はありません。メイドは他にもたくさんいるのですから。早いうちに見極めができて良かったのではありませんか」
犯人が決まったと言わんばかりの台詞。
代理にジゼルが選ばれたのは「本人たっての希望」らしい。俺の世話をしていた一人でもあるし、話の流れとしてはおかしくない。
問題は、彼女が俺を嫌っていたはずだということと、アンナとの仲もあまり良くなかったということ。
俺は肩を竦めて、
「アンナは魔力も低いし、経験も浅かったものね」
「ええ。魔力も経験も屋敷で最低だったはずです。学園を出ておらず学もありませんから、勉強をお助けするのにも不自由したのではないかと」
いや、アンナは十分俺を助けてくれていた。
言いたいのを堪えて笑顔で流す。アンナから聞いたが、メイドの給金は仕事内容の他、能力によっても違いが出るらしい。魔力が多ければ魔道具をたくさん使えるし、学園を出ているメイドは勉強の他、インテリアやファッションにも詳しい傾向がある。
にもかかわらず、新人のアンナが一足飛びに「昇進」したのだからジゼルたちには思うところがあったのだろう。
「ジゼルはどうして、今回アンナの代わりを希望してくれたの?」
「お嬢様に頼って頂くいい機会だと思ったからです」
一瞬、頬をひくっと動かしてからジゼルは笑顔で答えた。
「専属の仕事は地味だし、覚えることも多くて大変だと思うけれど」
「承知しております。ですが、先生方からの評価も高く、リオネル殿下と婚約なさるお嬢様には、もっと優秀なメイドが必要かと」
「なるほどね。……それじゃあ、アンナが戻ってくるまでの間、頼りにしようかしら」
授業の教材を取ってくれるように指示を出す。
今日の午前中は数学だ。事件はあったものの物損だけだし、内部犯が濃厚なため内々で処理される予定になっている。当然、勉強も中止にはならない。
しかし、ジゼルは動かずさらに言葉を投げかけてくる。
「どうして、アンナを信用するんです?」
「証拠がないもの」
確証も無しに疑いを向けるのは間違いの元だ。
俺は幸いにも遭遇しなかったが、痴漢冤罪なんか特に悲惨だった。一方的に不利な状況に追い込まれた人たちがその後どうなったか。
人は正直者ばかりではない。誰かがアンナに罪を着せようとしている可能性だって十分にある。
勉強道具を取ってくれるように再度頼むと、ジゼルはどこか思いつめるような、考え込むような表情を浮かべながら指示に従ってくれた。
ジゼルを見ていると高一の時のクラスメートを思い出す。
可愛くてお洒落だが性格が悪く、とある地味男子をいつも嘲笑っていた女子。そのくせ、相手がテストで満点を取ると「すごーい! ね、勉強教えて?」と手のひら返し。
何度か二人きりで勉強した後、男子から告白されると「え、無理」と即答。あっさり距離を離して運動部のルーキーと付き合い始めた。
状況に応じて態度を変える女は信用できない。
一見好意的に見えても内心、相手を利用することしか考えていない。俺に利用価値があるうちはきちんと仕事をこなすだろうが、価値がなくなればあっさり離れていくに違いない。
できればアンナに早く帰ってきて欲しい。
俺はそう願ったが、あいにくその願いは叶わなかった。
「公爵様より、お嬢様の部屋の警備を強化するようにとのご命令です」
事件が発覚した日の昼には部屋の前に兵が立つようになった。
父の雇っている平民の私兵だ。身元が明確で忠誠心の高い者が集められており、普段は屋敷の外を中心に警備している。
男ばかりなので女子の部屋を守るには不向きだが、部屋の中には入らないらしいし特に気にならない。むしろ仕事を増やして申し訳ないくらいだ。
「もう、お父様も心配性なんだから。……しばらくの間、お手数をおかけいたしますが、よろしくお願いいたしますね」
「はっ。良からぬ輩が侵入しないよう目を光らせます」
警備は交代で二十四時間体制。
彼らのお陰か数日間、何事もないままに時が過ぎた。その間、使用人全員を対象に聞き取りが行われたが決め手になる証言はなく、アンナは帰ってこないまま。
風呂でアンナ以外に洗われるのはどうにも落ち着かない。
能力で言えばジゼルは優秀だ。専属の仕事内容もすぐに覚えたし手際も良い。普段は主従の線引きもしっかり弁えている。
やりにくいのは俺が何かする度に「さすがです」「素晴らしいです」と褒めてくること。また、自分自身も褒められたいらしく、はっきりと態度に出してくる。褒めたら褒めたでそれが当然という顔をする。
『ああもう、やりにくいったらないわ!』
犯人が見つからないためアンナも返してもらえないまま。
謹慎が長引いているため、他のメイドが監視できて俺とは会わない部署──料理や洗濯を手伝うことになったらしい。その方が彼女としては気が楽だろう。
このまま待っていればそのうち「いったん様子見」として返してもらえそうだ。
ただ、それは根本的な解決にならない。
犯人を見つけられればいいのだが、それもなかなか難しい。盗難ではないので物証がないし、現行犯を抑えようにも二度目がいつ起こるかわからない。
「犯罪捜査に使える魔法はないのでしょうか?」
家庭教師に尋ねてみたりもしたが、返答は芳しくなかった。
「魔法を使って他人の記憶を読むことはできますが、主だった証拠として扱われることはあまりありません」
心を覗く行為自体が快く思われないこと。全ての記憶を覗けるわけではない=勘違いが生じる可能性があること。術者が嘘をつく可能性があることなど複数にわたる理由のせいだ。
これを克服するため、例えば嘘発見だけに絞った魔道具の開発なども試みられ、実際完成した例もあるそうだが──これはこれで『高い』という身も蓋もないデメリットがあった。
となると、俺にできそうな方法としては犯人に二度目の犯行を諦めてもらう、心変わりしてもらうことくらいだろうか。
「戻りました。お仕事、ご苦労様です」
「お帰りなさいませ、お嬢様。異常なしです。お食事の間、この部屋へ出入りしようとした者はおりません」
「良かった。毎日、本当にありがとうございます」
何度も会っているうちに警備兵の顔も覚えてきた。
目が合ったら話しかけるようにした結果、彼らとはだいぶ仲良くなっている。俺が美少女なのも功を奏しただろう。可愛い女の子が笑顔を浮かべれば大抵の人間は態度を緩める。
これが男子相手なら表向き畏まった態度を取りつつも「なんだこの生意気なガキ」となったかもしれない。リオネルなんか城の兵相手にそうなっていそうだ。
しかし、ただ話しかけるだけだと実質仕事の邪魔なわけで。
仕事への意欲を上げてもらうためにももう少し、何か「ご褒美」が要るだろうか。
俺もコンビニバイトをした経験があるからわかる。客が来ないのに気を張って待ち続けるのはかなり辛かった。俺は少し考えてから「そうだわ」とジゼルを見上げて、
「皆さんに何か差し入れをしましょう。お菓子とか、軽食とか。……それとも、大人の男性ならやっぱりお酒かしら?」
「っ! 本当ですか!?」
わかりやすい反応である。うん、やっぱり酒とつまみがいいか。二十歳前に死んだので俺は飲めなかったが、手っ取り早い気晴らしと言えば酒だろう。
と思ったらジゼルが眉をひそめて、
「給金は公爵家から出ているのですから、お嬢様がそこまでなさらなくとも良いのでは?」
「でも、ジゼルたちは料理やお菓子の余りをもらえたり役得があるでしょう? 彼らにも少しくらい報いてあげてもいいと思うの」
費用は俺の小遣いから出すので別に問題ない。
衣装や装飾品などは別で買ってもらえるので、思いつきでちょっとした買い物をしたい時にすぐ支払えるように、という金だ。今までは有名な店の菓子が食べたいとか、珍しい花を買ってきてとかそんなことにしか使っていなかったし、使い方としてはむしろ健全なくらいだ。
それに、小遣いと言ってもそこそこの額なので、平民向けの安い酒や食べ物程度ではちっとも痛くない。
「ジゼル、手配をお願いね」
「……かしこまりました」
ノーという返事はいらない、と言外に匂わせると嫌そうな顔のままイエスの返事。
こうして夜には警備の兵全員に酒一本とつまみ少々が配られ、大変好評を博した。これによって俺と兵たちの関係はさらに良くなり──その代わりとして、差し入れは以後も何度か繰り返されることになった。
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