王子、襲来 2

 リディアーヌ・シルヴェストルは不思議な少女だ。


 リディアーヌの専属メイド、アンナは以前からの認識をより強くした。

 昔は我が儘で使用人を顎で使うような少女だった。一部のメイドは明確に嫌っていたし「いなくなればいいのに」という声さえあった。お仕えする相手への態度ではないが、アンナ自身、正直に言えば苦手としていた。仕事中に別の用事を言いつけられ、プレッシャーから泣いてしまったこともある。

 しかし、病を患い何日も寝込んでから彼女は変わった。

 メイドたちに笑いかけ、一人一人の名前を覚え、無茶な命令もしない。お菓子の食べ過ぎで食事を減らすどころか「食べきれないから」と余った菓子を分けてくれる。最近は部屋で本を読んでいることが多く、じっとしていてくれるので部屋の掃除もしやすい。


『掃除の邪魔になる時は言ってちょうだい。いつでも移動するから』


 本当に同じ人物なのかと疑いたくなるが、本質的な大胆さはあまり変わっていないとも思う。

 快復後初めての朝食に生母・アデライドが好んだという黒の装いで臨んだのもその一つだ。現公爵夫人のセレスティーヌは白を好んでおり、黒を纏うことは彼女への隔意を表すと共に喪に服する=「あなたを母とは認めない」というメッセージとも取れる。

 突然部屋にやってきた王子(!)とのチェス勝負もそうだ。あろうことか勝ってしまった後、流れるように三番勝負を提案したかと思ったら、焦らした挙句に二勝目を挙げてしまう。思わず「殿下に華を持たせるつもりだったんじゃないんですか!?」と叫びそうになった。

 不興を買ったらどうしようと怯えていると、二人はチェス盤越しに見つめ合って、


「くっ、あと一歩だったのに! 覚えていろよ、リディアーヌ・シルヴェストル。次は負けないからな!」

「ええ。機会があれば喜んでお相手いたします。大丈夫ですよ、殿下。次回はきっとわたしの負けでしょう」

「出直して来いというわけか。……いいだろう。次も手加減はなしだからな」

「楽しみにしております」


 王族相手にまた会う約束を取り付けた!? しかも向こうから言わせる形で!?

 リオネル自身が再戦を希望している時点でリディアーヌは「上手くやった」ことがわかる。しかし、どうやったらこうなるのかがわからない。大先輩にあたるマリーに視線を向ければ、彼女はふっと笑って「大したお方ですね」と呟いた。

 リオネル・ド・リヴィエール殿下は気難しい人物として知られている。

 歯に衣着せずに言えば自由奔放すぎるお子様ということになるが、その彼を齢八歳にして手玉に取って見せるとは。男爵家出身の新人を専属に指名したことといい、リディアーヌには常人とは異なる視点があるように思えてならない。

 だとすれば、以前のリディアーヌも今のリディアーヌも、その才を向ける先が変わっただけなのだろう。


(考えてみれば、昔のリディアーヌ様も横暴ではあったけど、理不尽ではなかったのよね)


 少女の我が儘は「あれが欲しい」「これを持ってきて」「これは嫌い」と言った率直な願望が主体だった。使用人を叱責する時も「仕事が遅い」「欲しかったのはこれじゃない」といった理由であり、家柄や容姿といった個性を理由なく貶すようなことはしなかった。

 アンナは、同僚から「男爵家出身だから」「学園を出ていないから」と嘲笑されたことが何度もある。

 リディアーヌの暴言はああいう陰口に比べれば可愛いものだ。主人の期待に応えられない使用人は解雇されても仕方がない。その基準が緩いか厳しいかの違いはあれど、リディアーヌには「あなたをクビにしてやる!」と言う権利がある。


(良かった。リディアーヌ様が変わってくれて。私を専属にしてくれて)


 専属になれた理由は半分以上が運だ。先輩から仕事押し付けられ──もとい、代わりに引き受けていたらリディアーヌに頼られるようになり、気づいたら距離が縮まっていた。

 自分を売り込んだのには正直、打算もあった。専属になれば給金が上がる。解雇される可能性もぐっと下がるので、家への仕送りだってしやすくなる。仕事内容も正直、今のほうがずっと楽だ。けれど、今、この仕事を続けたいと思うのは決して打算だけが理由じゃない。

 もっと、彼女を支えたい。

 リディアーヌ・シルヴェストルに相応しいメイドになりたいと思う気持ちが確かにアンナの胸の内にはある。

 まあ、その度にはまだまだ努力をしなければいけないと、


「しかし、毎回訪ねてくるのも面倒だな。そうだ。お前、次はそっちが王宮に来い」

「お言葉ですが、殿下。わたしは両親から『極力外出するな』と言いつけられている身の上でして」

「ふん。なら、俺が招けばいい。正式な招待ならジャンも断れまい」


 訂正。リディアーヌに付いていくには可能な限りの努力が必要そうである。

 公爵令嬢の専属になったと思ったら王宮に招かれるかもしれない。とんでもないプレッシャーに悲鳴を上げそうになりながら、アンナはなんとか笑顔を保ってその場に立ち続けた。



   ◇    ◇    ◇



 リディアーヌ・シルヴェストルは変なやつだ。


 リヴィエール王国第三王子リオネル・ド・リヴィエールは同い年の公爵令嬢についてそう評価した。

 初めて会ったその少女の第一印象は「赤い」だった。母親譲りだという紅の髪と瞳は紅玉、あるいは炎を連想させ、なるほど苛烈そうな女だと楽しくなった。その上で、少女の容姿がご機嫌伺いに来る少女達と比較しても最上級に整っていたことは予想外だったが。

 向こうにとって意外だったはずの対面で、ぎこちないながらも卒なく挨拶をこなしてきた時には「なんだ、こいつも他の女と同じか」と残念に思った。

 礼儀正しく、こちらにお世辞を使ってくるような女には飽き飽きしている。ただでさえ女は庭を駆け回らず、花や服など食べられもしない物に執着するよくわからない生き物だというのに。リオネルは彼女たちが自分との遊びで『手加減』をしていると知ってからより一層、というものが苦手になった。


 だから、普通にチェスで負かされるとは思わなかった。


 手加減しろ、などと口にしてしまったのは不覚だ。もっとも本人は特に気にした様子もなかったが。

 三番勝負で決着をつけようと提案され、一も二もなく乗った。負けるのはやっぱり悔しいからだ。そうして、あらためて観察してみたところ、リディアーヌが真剣に戦っていることがよくわかった。

 考えている時は盤面だけを見て顔を動かさない。これまで対戦してきた女はぺらぺらとお喋りが多く、そのくせ指し手は適当だったのだが。

 リディアーヌは瞳を小刻みに揺らして複数の手を検討し、その上で指してくる。かと思ったら時折、妙に思い切った手がふっと交ざる。


「お前、この手は挑発のつもりか?」

「いえ。考えても読み切れないので勘で動こうか、と」


 何を言ってるんだこいつは、と思ったのも束の間、リオネルは理解した。要するに彼女はほぼ全てを「考えて」決めているのだ。普段からチェスをやる人間はよく出る形を覚えて労力を減らしていく。それがないということは、本当にルールを知っているだけの素人なのだ。


(そんな奴に負けたのか、俺は!?)


 気合いを入れて二戦目は勝った。あいにく三戦目は僅差で負け、リオネルは負け越してしまったが、


(面白い。リディアーヌ・シルヴェストルはこういう女か)


 また勝負しようと誘えばさりげなく正式な招待を引き出してくる。そのくせ、自慢話を始めたり容姿を褒めてきたり、無駄に手を触れようとしてきたりしない。

 まるで最初から取り入る気がないかのようだ。

 体よくあしらわれた感があるのがまたいい。もっと強くなって負かしてやったらさぞかし楽しいだろう。そうしたら、彼女は「もう一戦」と強請ってくるだろうか。それとも他の遊びを提案してくるのか。チェス以外に色々やってみるのも楽しいだろう。


「お前、チェスの他は何が好きなんだ?」

「チェスは趣味というわけではないのですが……そうですね、読書を好んでおります」

「読書? 本なんか読んで何が楽しんだ。あんなもの勉強の時だけで十分だろう」

「あら。知らないことを知る、というのは楽しいでしょう?」


 紅の瞳が煌めく。

 リディアーヌは本当に楽しげで、思わずその表情に引き込まれる。


「例えば地図。点や線が描かれただけの平面に見えますが、これは世界を描いたものなのです。実際の場所には山が川が確かに存在していますし、道中には草花が咲いていることもあるでしょう。珍しい木の実を見つけて味わえることだってあるかもしれません」

「そんなこと、考えたこともないぞ」


 王都の外に出たことはある。見たことのない光景に胸を躍らせ、馬車の窓に張り付くように外を眺めたものだが、あれが地図上のどこだったのかはわからない。あれはなんという名前なのか、と木や植物を指させば母は都度答えてくれたが、思えばその名をさらに本で調べたことはない。

 リディアーヌは笑うでもなく頷いて、


「知らなければそうでしょう。ですが、道は繋がっています。知らなくても世界は確かに広がっている。それを想像するためにも知識が要ります」

「知識、か」

「はい。見たことのない場所の光景を想像する。それは、わくわくすることではありませんか?」

「ほう。面白い事を言うな、お前は」


 目を瞬きながら、リオネルは少女の背後に幻想の風景を見た。遠くの山を背に、川のほとりに腰かける紅の少女。足元には緑が茂り、色とりどりの花が咲いている。向こうの木は美味しそうな果実をつけているし、木立ちの合間から顔を出した小動物は仕留めて焼けば美味いかもしれない。

 見えたのは一瞬だったが、その風景はリオネルの目に焼き付いた。

 別に、リディアーヌの言ったことが特別だったわけではない。母や家庭教師、他の大人から似たようなことを言われたことはあった気もする。ただ、真面目に聞いてはいなかった。今回は興味を惹かれた相手が口にしたことだから「面白そうだ」と思えた。


「よし。お前のことをもっと聞かせろ」


 にっと笑みを浮かべて命じると、リディアーヌは僅かに面倒くさそうな表情を浮かべてから「かしこまりました」と答え──。


「殿下」

「うっ」


 背後から、よく見知った声が聞こえた。振り返れば、そこには二十歳ほどの青年が立ってこちらを睨んでいる。口うるさい専属の家来だ。撒いて来たっきり存在を忘れていたが、追いついて来ていたのか。


「そこまでにしてください。放置する形になったアラン様やシャルロット様へせめて一言お詫びを申し上げなければ。リディアーヌ様も突然押しかけられて困ったはずです」

「いや、こいつは困っていたように見えないが……」

「殿下!」


 ぴしゃりと言われ、びくっと身を竦める。本来、女子の部屋へ軽々しく入るものではない、などと始まった小言を神妙に聞くフリをしつつ、ため息をついてリディアーヌを振り返った。


「仕方ない。では、お前も一緒に来い、リディアーヌ」

「……は?」


 ぽかん、とした表情も、なかなか見ていて面白い。


「申し訳ありません、リディアーヌ様。もうしばらく殿下の我が儘に付き合っていただけますか」

「かしこまりました。わたしも同行させていただきます。ですので、どうか頭をお上げください」

「心より感謝を申し上げます」


 なんだか自分に対する時よりも口調が丁寧な気がする。従者と会話するリディアーヌを見て思わずむっとしつつ、リオネルは公爵家の庭へと戻った。宰相のジャンは「また貴方は……」と渋面。夫人のセレスティーヌはにこやかな笑顔で、公爵家次女のシャルロットはリオネルの帰還にあらかさまな安堵の表情を浮かべた。

 シャルロットの方は姉と違うごく普通の少女だった。自己主張の強い性質ではなく、緊張と興奮でうまく話せないといった態度だったのでまだマシだが。

 一緒にいて面白いのは? あるいは、また話をしたいのは? と尋ねられれば答えは明白だ。


 ──そもそも、今日の訪問にはある一つの目的があった。


 リディアーヌに会うというリオネル個人の目的とは別に、である。親同士が進めているその話のために、シャルロットとの交流が必要だった。ジャンが気乗りしない様子なのはその絡みだろうが、


「母上。俺、いえ私は決めました」


 予定が、いや気分が変わった。

 勝手にいなくなったせいでご立腹らしい母を前にリディアーヌを振り返る。挨拶をするタイミングを計っていたらしい彼女を見て笑みを浮かべ、


「私の婚約者にはリディアーヌを希望します。相手は、姉妹のどちらでも構わないのでしょう?」

「え?」


 硬直する少女を見て、どうやら悪戯は成功したらしいと、胸がすくような想いがした。

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