第39話 診療所
「私、この近くの診療所で看護師として働いているアオイと言います。実は今、街中の診療所には魔力の暴走で苦しむ患者さんがたくさん入院しているのです……突然の無礼を承知で申し上げます。どうか、どうかあなたのお力をお貸しくださいっ!」
女性の名前はアオイさんというらしい。
淡い桃色の髪に、髪より少し濃い色をした瞳。清潔感のある白のワンピースは診療所の制服なのだとか。
簡単に自己紹介を済ませて詳しく話を聞いたところ、ここ最近魔力の暴走による死者が急増しており、死を待つばかりの患者が多数いると言う。痛み止めや睡眠薬など、少しでも苦しみから解放する手立てしかなく、診療所の職員として胸を痛めているようだ。
「こんなこと、初めてなんです…私、患者さんに何もしてあげれなくて…それどころか私まで魔力の暴走で倒れてしまうなんて」
「アオイさん……」
じわりと目に涙を浮かべ、硬く拳を握る様子に胸が痛む。
私は意を決して立ち上がると、イリアム様に向き合った。
「イリアム様!」
「ああ、行こうか」
「えっ、まだ何も言っておりませんが…!?」
アオイさんの力になりたいとイリアム様に頼む前に、思考を先読みされたように快諾されてしまった。意表をつかれ、目を瞬いているとイリアム様は不思議そうに首を傾げている。
「どうかしたか?この人の力になりたいのだろう?違ったか?」
「い、いえっ、その通りです。ですが今日はイリアム様のお時間をいただいて、初めて二人で出かけられた日なので…申し訳なくて」
おずおずと心のうちを白状すると、イリアム様はポンっと私の頭を撫でてくれた。
「民が困っているんだ。人助けに理由はいらない。俺とはまた日を改めて出かければいい。むしろソフィアが困った人を放っておいて俺との時間を優先するような人じゃなくて誇らしいよ」
「イリアム様…」
私の気持ちの先までも見通されているようで、少し気恥ずかしいけれど、それ以上に嬉しい。私もイリアム様が当たり前のように誰かの力になるために動ける人だということが誇らしい。
「では、診療所に案内していただいてもよろしいでしょうか?」
「っ!はい!こちらです」
アオイさんに手を差し出すと、彼女はパァッと表情を明るくし、まるで神に祈るかのように両手を胸の前で組んだ。そして私の手を取り立ち上がると、少しふらつきながらも道案内をしてくれた。
私はアオイさんの腰に腕を回してなるべく彼女を支えて歩いた。イリアム様はそんな私の背中に手を添えてくれている。
寄り添い歩く私たち三人を、待ちゆく人々は不思議そうに見ていた。
◇◇◇
診療所は通りを抜けた先にあった。
王都の診療所というだけあり、思ったよりも大きな建物だった。等間隔で四角い窓が並ぶ真っ白な四角い建物で、正面入り口にはポツポツと患者と思しき人々が見える。
私たちは職員専用の裏口から建物内に入った。
長い廊下を歩きながらアオイさんの話を聞く。あちこちの病室からは苦しげに低く唸る声や「痛い」「辛い」と啜り泣く声が聞こえてくる。
「症状別に部屋が分かれています。発症間も無い人は相部屋で、その…いつ何が起きてもおかしく無い人は魔力防護壁の特殊な部屋に入院しています」
「そう……では、重症な人の部屋を周りましょう」
「えっ!?」
「案内してください」
アオイさんは何か言いたげに逡巡したけれど、ぐっと唇を噛んで頷いた。その目は決意に満ちていた。
いつ何が起きてもおかしくない患者――つまり、死が目前に迫っている人々だということ。
魔力の暴走がどういった形で現れるかが分からないため、アオイさんは私の身に危険が及ぶことを懸念しているのだろう。一方で、死の足音に怯える人々を救いたいという気持ちも強いはず。
私は大丈夫だと伝えるために力強く頷きを返した。
◇◇◇
私たちが案内されたのは、診療所の地下にある個室が並ぶ階だった。
「ここには九名の患者さんが入院しています。本当はこんな寒々しいところに一人にさせたくないのですが…他の人を巻き込まないためには仕方がないのです」
「その…そういった事例が過去に?」
「ええ……激しく身体が燃えた患者さんの側についていたご家族が大火傷を負ったことがあるのです」
アオイさんは診療所に着いてからずっと悲痛な表情をしている。看護師として非力な自分を責めているようで、どうにか彼女の力になりたい、患者さんたちを救いたいと言う想いが強まる。
「こちらへ」
緊張した面持ちのアオイさんに案内されたのは、地下奥深くの無機質な部屋だった。壁越しに苦しげな呻き声が聞こえてくる。ドアノブに手をかけた私の肩もどうしても緊張により震えてしまう。
勢いで来てしまったけれど、私に救うことができるのかしら?もし、間に合わなくてアオイさんや、イリアム様を巻き込んでしまったら――
「安心しろ。ソフィアとアオイ殿は俺が必ず守るさ」
「イリアム様…ありがとうございます」
震える肩を抱えるようにしてイリアム様が寄り添ってくれる。それだけでじんわりと胸に安堵の気持ちが広がっていき、どくどくと嫌に騒いでいた心臓も平静を取り戻していった。
「失礼します」
私は深く息を吸うと、ドアノブを回して室内に入った。
「っ!」
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