第27話 慰労会当日
遠征の慰労会は、三日後の夜に執り行われるらしい。
私にとって、公爵家に嫁いでから始めて参加する社交の場。スミスさんとの勉強時間は全てマナーの復習に充てさせてもらった。
慰労会ではダンスはするのだろうか。念の為に一通り踊りを思い出しておこう。
そして準備に欠かせないのはドレス選び。
「流石公爵家…ものすごい数のドレスね…」
イリアム様に案内されたクローゼットは私の自室と同じぐらいの広さはありそうだった。壁一面に煌びやかなドレスが綺麗に掛けられている。歴代の公爵夫人のドレスが丁寧に管理されているのだとか。
私は思わず、ほうっと息を吐いてドレスに近付いた。
離宮では公の場に出ることはなかったので、こんなパーティドレスを身に纏った経験はない。煌びやかやドレスを前に、どうしても頬は上気してしまうし、心も弾んでしまう。
「好きなドレスを選ぶといい。少しサイズの調整もいるだろうから極力早めに決めてしまおう。落ち着いたら職人を呼んでソフィアのドレスを幾つか作らせよう」
「そ、そんな…こんなにあるのですから大丈夫ですよ?」
「いや、ダメだ。俺が作らせたいし見たいんだ」
「は、はあ…」
ブンブン両手を振ってお断りしようにも、私の遠慮はバサリと一言で切り捨てられてしまった。
イリアム様は腕組みをして低く唸りながらクローゼットを行ったり来たりし、悩ましげに頭を掻いてため息を吐いた。
「どうかされましたか?はっ!もしかしてお身体の具合でも悪くなってきましたか?」
私はイリアム様が遠征から戻って間もないことを思い出し、慌てて駆け寄ってその手を取った。触れ合うことで魔力が安定することは既に検証済みなので、そのつもりで強く握る。
「や、違う。問題ない、俺は元気だ」
イリアム様は僅かに頬を染め、ギシッと身を軋ませてしまった。本当に?と顔を覗き込もうとしたのに、フイ、と背かれてしまう。
「……その、どれもソフィアに似合いそうで、一着に決めるのが難解だなと思っていただけだ」
口元に拳をあてて答えたイリアム様の言葉に、今度は私が赤面してしまった。
結局、呆れた顔で私たちの様子を見ていたエブリンの協力によりぴったりなドレスを選ぶことができた。
――そうして、あっという間に三日が過ぎ、慰労会当日がやってきた。
◇◇◇
「……来てしまったわね」
公爵家の馬車に揺られ、イリアム様と共に王城へと到着した。イリアム様に手を引かれ、馬車から降りた私は数年ぶりとなる白亜の城を仰いだ。
真っ白で荘厳な城はどこか寒々しく、威圧感を放っているように思えて、私の意気込みなんてぺしゃりと押し潰されてしまいそうだ。
私が浅く呼吸を整えていると、繋がれたままの手が強く握られた。
「大丈夫か、震えている」
イリアム様を見上げれば、心配そうにこちらを窺っていた。私は弱く微笑むと、イリアム様の手を握り返した。
「大丈夫です。イリアム様がいてくれますから」
私は意を決して一歩足を踏み出した。
叶うことならば、過去の遺恨を全てこの場に置いて帰りたい。魔力がなくても私を必要だと言ってくれるイリアム様と、穏やかな日々を送るためにも。
そして願わくば、お互いに想い合う本当の夫婦になるためにも、未だ心の奥に巣食う昏い記憶と決別するの――
◇◇◇
慰労会の会場は、王城で一番大きなパーティフロアであった。扉を潜ると途端に賑やかな喧騒に包まれる。天井には目を眇めるほど眩いシャンデリアが所狭しと吊り下げられていて、ダンスフロアを除くあちこちには料理が山ほど盛られた円卓が並んでいる。
参加者は遠征に赴いた騎士とその家族、上位貴族や城の重役、そして王族たち。
王と王妃が座るであろう重厚な黄金の椅子が、数段階段を上がった先に置かれている。そしてその両脇に王女が座るであろう豪奢な椅子も置かれている。
玉座は空だから、王族たちはまだ会場に入っていないようね。
無人の椅子を見て、私は無意識に肺に溜まった息を吐き出していた。
耳のすぐ側に心臓があるのかと思うほど、ドクドクと心臓がうるさく脈打っている。じわりと手汗が滲み、イリアム様と手を繋いだままだとハッとする。慌てて手を解こうとするも、離すまいと強く絡め取られる。
「あっ、あの!お恥ずかしながら、手汗が酷くて…」
おずおずとイリアム様を見上げて訴えるも、イリアム様の手は緩む気配がない。
「そんなもの気にならない」
「うう…」
申し訳なさと恥ずかしさで俯くと、濃い藍色のイアリングが揺れた。イリアム様は空いた手を私の耳元に添えて、嬉しそうにイアリングに触れた。長く骨ばった手が耳を掠めて思わず身震いする。
「ソフィア、そのドレスもアクセサリーも全部とても似合っている。綺麗だ」
「あ、ありがとうございます。ですがお褒めの言葉はもう何度も聞きましたよ?イリアム様の正装も素敵です」
「何度だって言いたくなるほど綺麗なのだから仕方があるまい。それにその言葉はそっくりそのまま返すよ」
「うぅ」
楽しそうに、そして愛おしそうにイリアム様がイアリングを揺らす。屋敷でドレスに着替えてからもう何度も何度も褒め言葉を贈られていて、その度に気恥ずかしくて頬が熱くなってしまう。
確かに、エブリンが腕によりをかけて磨き上げてくれた肌は艶やかで、大人っぽく仕上げてくれた化粧に髪型は思わず見惚れるほど素敵な仕上がりになっている。
ハーフアップに編み込まれた髪は後ろに流し、ところどころに真珠をあしらっている。ドレスは淡いマリンブルーで、露出は控えめで上品なデザイン。胸元と耳にはイリアム様の瞳の色と同じ藍色の宝石をつけている。
イリアム様はイリアム様で、騎士団の正装に身を包んでいて本当に素敵だ。ぴちりと髪を後ろに整えて、端正なお顔立ちが全面に出ていて、先ほどからご令嬢たちの視線を一身に集めている。
私はパタパタと熱くなった顔を空いた手で仰いでいて、はたと気がついた。いつの間にか不安に脈打っていた鼓動が、イリアム様へのときめきに上書きされていることに。
「団長!」
その時、太く大きな声がして、私たちは反射的に声がした方へと視線を向けた。
「マリクか」
その人は片手を振りながら大柄な身体でドスドスと私たちの元へやってきた。間近に来ると見上げるほど大きい。二の腕なんて私の何倍あるんだろう。
余りの逞しさに圧倒されていると、その人は腰を屈めて私の視線に合わせてくれた。深緑の髪に深い翠緑色の瞳が興味深げにギラめいている。
「もしかして、あなたが…?」
「そ、ソフィア・ラインザックと申します。以後お見知り置きください」
私は我に返って一生懸命練習した淑女の礼をした。お辞儀のために解かれた手が急速に熱を失って寂しさを感じたのも束の間、お辞儀を終えた私の手はすぐさまイリアム様に捉えられてしまった。慌てて見上げるも、イリアム様は涼しい顔をしている。
「ソフィア、こいつは騎士団の副団長マリクだ。ゴツくてガサツな奴だが信頼のおける男だ」
「がはは、自己紹介が遅れた。副団長のマリクだ」
「マリクさん…よろしくお願いします!」
イリアム様以外の騎士様に会うのは初めてだけれど、私の知らないイリアム様を知る人として色々お話を聞いてみたい。
マリクさんは姿勢を戻すと、私とイリアム様の顔、そして固く繋がれた手に視線を流してニンマリと口角を上げた。
「ははーん、なるほど。あなたが堅物イリアムのハートを射止めた女神様だったか。よろしくな、ソフィアちゃん」
「は、はーと?めがみ?」
突然の謎な言葉に思わず目を瞬いた。
ハートと言えば心臓のことかしら?イリアム様の魔力を整えているという意味では解釈は合ってる…?それよりも女神とはどういうことなのかしら。
「おい、マリク。余計なことを口にするな。それに今は騎士団員としてこの場にいるのだろう?敬語を使え、敬語を」
私が一人うんうん唸っている間、イリアム様はほんのり赤くなった顔でマリクさんに苦言を呈していた。
「悪い悪い。慰労会なんだし無礼講でいいじゃねえか。それに遠征に行った団員たちはみんな噂してたんだぜ?団長が結婚して随分丸くなったってな。それに筆無精なお前が毎週コソコソ手紙を送ってるんだ、そのお相手のことが気になるのも仕方ねえだろう」
「全く、お前はオンオフの差が激しすぎる…ちっ、手紙のことがバレていたとは…俺としたことが油断した」
イリアム様が頭を抱えたその時、けたたましい金管楽器の音が空気をはり裂いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます