第5話 国王(イリアム目線)

「はあ……」


 俺が今、重い足取りで向かっているのは王城の謁見の間。


 公爵であり、魔法騎士団を率いる者として王城に赴くことは多い。だが、いつ来てもこの場所は好きになれない。むしろ一分一秒でも早くこの場を去りたいとさえ思う。


「離宮へ行きたいな……」


 思わず口から漏れ出た言葉に、自分でも驚いた。


 不遇な王女、ソフィアが住まう離宮は、数回通っただけだがすっかり俺にとって癒やしの場所となっていた。

 離宮の主人であるソフィアや、屋敷で働く使用人たちは皆人柄がよく温厚で居心地がいい。


 だが、それだけが離宮に通う理由ではなかった。


 倒れたあの日に感じたとある推測を確かめるため、訓練場で魔法を放出する代わりに離宮に通ったが、既に俺の推測は確信に変わっていた。


 今、マルセイユ王国で大きな問題となっている魔力の暴走。死者の十人に一人は魔力の暴走によって命を落としている。魔力を持つ者は、明日は我が身と怯える日々を過ごしているのが現状だ。

 俺の父は激しく燃え盛る炎に焼かれ、母は全身が凍りついて命を落とした。いずれも強大な魔力の暴走が原因だった。俺も例外ではない。いつ魔力の闇に飲まれるか、その恐怖と隣り合わせに生きてきた。


 かつては威信の象徴とされた魔法が、今では命を脅かす畏怖の対象へと変貌していた。

 だが、過去の栄光に囚われた王族は、今の王国の状況を直視しようとはしない。そのため明確な政策も打ち出すこともしない。惰眠を貪り、税を搾り取り、民の犠牲の上に胡座をかく愚鈍な王族だ。そのせいで救えたはずの命までもが失われていく。


 王族が顧みない王国は暗澹とした雰囲気で満ちている。何とか国が回っているのは、王家に任せていては国が滅びると躍起になって働き回っている家臣達のおかげである。

 皮肉にもそのおかげでますます王族は何もしなくなり、その皺寄せが家臣達に集まっている。負の連鎖は止まることを知らない。


 一方の離宮は穏やかで平和そのものだった。

 同じ王国内とは思えないその場所は、楽園のようにも思えた。それに、あの場に居ると、驚くほどに魔力が凪いでいるのだ。離宮で働く者はみんな健康そのものに見えた。


 離宮で倒れて以来、この一年間常に付き纏っていた死の足音がすっかり遠のいていた。


 ――恐らく、その理由はソフィアの存在だろう。


 ソフィアの秘められた力は、王家はおろか、本人でさえ自覚がないようだった。俺の推測が正しければ、彼女の存在はこの国の存続に大いに関わるものだ。


 きっと俺がいかに彼女の存在の尊さを説いても、あの王族たちは聞き入れることはしないだろう。仮にその価値を理解したとして、ソフィアは道具のように扱われ、使い捨てられるに違いない。


 そうなるくらいなら、俺が側で守りたい。そう思うのも必然ではなかろう。


 キラキラ輝いた目で広い世界を見たいと語った彼女を外に連れ出すことは、公爵である俺ならば可能だ。


 なぜなら、彼女を離宮から解放する唯一の方法、それは……



◇◇◇


「おお、イリアムよ。よくぞ参った」

「国王陛下におかれましては、ご健勝なようで何よりでございます」

「ふぉふぉ、堅苦しい挨拶はよい。して、何用で参った?面を上げるがよい」

「はっ」


 ――謁見の間。

 真っ赤な絨毯が敷かれたこの場所で、俺は膝をついて深く頭を下げていた。数段高い位置に置かれた豪奢な黄金の椅子にどさりと腰をかけているのがこの国の王、ドドリア・ルイ・マルセイユその人だ。

 口髭をたっぷりたくわえ、僅かに薄くなった頭には金ピカの王冠が乗っている。ふくよかに肥え太った身体を重たそうにもたげつつ、国王はソーセージのような指をヒラヒラ振った。


 ここ数年、作物の実りが悪く、国民はひもじい思いをしているというのにこの男は――


 俺はグッと奥歯を噛み締めて冷静さを取り戻すと、ふぅと息を吐いて目的を果たすべく口を開いた。


「王女殿下に結婚を申し込みたいのです」

「おおっ!そうかそうか、ようやく腹を決めたか。ガーネットも喜ぶであろう」


 何を勘違いしてか、にやにやと嬉しそうに口髭を弄る国王。はぁ…さっさと誤解を解かねば面倒だ。を呼ばれては堪ったものではない。


「いえ、私が結婚を申し込みたいのは…ソフィア様でございます」

「………………はて、一体誰のことを言っておるのだ?」



 ………この男、正気か?



 俺は国王の言葉に愕然とした。


 わざと忘れたふりをしている様子はない。本当に見当がついていないのだ。

 うーん?と考えながら視線を宙に投げ出している。それほどまでにソフィアの存在は国王にとって小さく、些細なものでしかないのだ。


 俺の体内で魔力が怒りに燃え上がった。

 いかん、落ち着け……


「王都の外れの離宮に住まう第三王女様です。まさか、お忘れになったとでも仰るのでしょうか?」

「…………ああ、か」


 ソフィアが誰なのか理解した途端、国王の目は興味がなさそうに光を失った。


 その態度、言いようにはらわたが煮え繰り返る思いがする。


「…ええ、あなたは常より私とご息女の結婚を望んでおられました。離れて暮らしているとはいえ、ソフィア様も立派な王女でしょう?婚約者もなく、目ぼしい嫁ぎ先もないのであれば、悪い話ではないかと思いますが」

「ううむ、そうじゃな…あれに価値があるとは思えんが、ラインザック公爵家との繋がりに使えるとあらば…あれも生まれた意味があるというものよの。うむ、よいだろう。お主の申し入れを認めよう」

「……ありがとうございます」


 奥歯を噛み締めすぎて血が出そうだ。

 固く握りすぎた手には爪が食い込み、額には血管が浮かんでいることだろう。


 ――どうして自分の血を分けた娘にこのようなことが言えるのだろうか。自分の利益になるかどうかでしか物事を捉えることができないのか。


「ふむ、お主も物好きよの…どこであれの存在を知ったのか知らぬが…まあよい。直ちに婚姻の手続きをとり、神殿に受理させるのじゃ。異論は認めんし、後からこの話を無かったことにすることも許さぬ。やはり要らぬ、というのも認めんぞ」

「……はっ、かしこまりました」


 俺は再び深く頭を下げると、素早く立ち上がって謁見の間を出た。一刻も早くあの場から離れなければ、怒りのあまり魔力が爆発してしまいそうだった。


 それにしても、想像以上にソフィアの存在は王家にとってどうでもいいようだ。まるで物のように扱われ、人権も何もありはしない。

 あんな親の元を離れて育ったことが、むしろソフィアにとっては幸運だったのかもしれない。二人の姉の王女たちも両親に似て傲慢で、まるでこの世を我が物だと思っているかのように振る舞っている。


 ソフィアの屈託のない笑顔を思い返し、俺は深く深くため息をついた。


 なぜだか、無性にソフィアに会いたくなった。

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