83.赤い帽子
(なんか緊張するわ……)
ロレンツに誘われて出掛けることになったアンナ。ふたりで乗る馬車の中でアンナは不思議と緊張していた。
(すごい太い腕……)
服の上からでも分かるロレンツの筋肉質の腕。分厚い胸板。以前はリリーから仲が良かったと聞いてはいるが、こうしてふたりっきりになると不思議と意識してしまう。
(それはそうとして、全く会話がないわ……)
寡黙なロレンツ。
それは分かってはいるが、自分から誘って置いてまったく喋らないというのはいまいち納得がいかない。それでもアンナが思う。
(まあ、でもこれで女の扱いが上手くて、甘い言葉でもささやくような人ならネガーベル一の女たらしになっているわよね……)
そう思うと何故か苛立ちを感じ始めるアンナ。黙って腕を組んで話さないロレンツを横目で見つめる。
(私、彼の記憶を失う前ってどんな関係だったのかな。仕事上の付き合い? リリーは『仲が良かった』って言うけど、こんな寡黙な人とどう接していたんだろう……)
アンナはアンナなりに彼に気を遣っていた。
そして彼を思い出せない自分が情けなく申し訳ない気持ちでいた。
「着いた。ここで降りる」
ロレンツは目の前に広がる中立都市『ルルカカ』を見て言った。アンナが馬車を降りながら言う。
「ルルカカか~、昔お忍びで『覆面バー』に来ていたっけ」
アンナが懐かしむように笑う。
ただそこで出会った銀髪の男についてはやはり記憶にない。アンナがロレンツに尋ねる。
「それでどうするの、これから?」
「少し歩きたい。付き合ってくれるか」
「ええ、いいわ」
アンナはそう言って笑顔でロレンツと歩き出す。
彼との記憶や思い出は全くないのだが、こうして一緒に歩くと安心する。頭での記憶はないが、体が覚えている記憶なのかも知れない。
たくさんの人で賑わうメイン通りを歩きながらアンナが言う。
「相変わらずすごい人ですね」
「ああ」
交易の中心となる『ルルカカ』。
自然と集まる人やモノの豊富さは、大国ネガーベルの王都にも引けを取らない。逆に流行の最先端のモノなどはこちらの方が豊富かもしれない。歩きながらアンナが尋ねる。
「それでどこへ行くんでしょうか」
「あそこだ」
ロレンツが指さしたのは通りにあった一軒の帽子屋。
(帽子? ロレンツさん、帽子なんて被るのかしら?)
そんな姿など見たことのないアンナが少し首を傾げながら、先に店に入って行くロレンツの後に続く。
「うわー、綺麗な帽子がたくさん!」
アンナは店内にある色鮮やかな帽子、流行のデザインの帽子を見て声を上げた。ネガーベルとはまた違った品揃え。お洒落に敏感な年頃でもあるアンナにはどれを見ても心が高ぶった。
「あれ? ロレンツさん??」
アンナはすぐに一緒に入ったロレンツが居なくなっていることに気付いた。
広い店内。他のお客さんが帽子を選んでいる中、探していた人物がゆっくりとこちらに歩いて来た。ロレンツが言う。
「なあ……」
気のせいかロレンツの顔が少し赤い。
そして手にしたひとつの帽子を差し出して言った。
「これを、被ってくれねえか」
「あら、素敵だわ」
渡された帽子。
それは真っ赤な可愛らしい帽子で、アンナの好みのデザインであった。すぐにそれを被り鏡で自分を見るアンナ。
「よく似合っているわ。ロレンツさんって意外とセンスがいいんですね」
無言になるロレンツ。
気に入るはずである。何故ならそれは以前彼女自身が選んだ品。アンナが冗談っぽく言う。
「こんな場所に連れて来て帽子を被れってことは、もしかして私にプレゼントしてくれるって事かしら?」
そう笑顔で言うアンナにロレンツが小さく返事をする。
「ああ、そのつもりだ……」
それを聞き驚いた顔をしてアンナが言う。
「え? そ、それはいけませんわ。『護衛職』から物を買って貰うなんて。お気持ちだけで十分ですわ」
――嘘。
アンナは建前でそう言ったものの、本当は彼にこの帽子を買って貰いたかった。でも自分はネガーベルの姫。下の者から気安く物を買って貰うことなど簡単に受けるべきことではない。ただそんな彼女の気持ちを銀髪の男のひと言が変えた。
「良く似合ってる」
(!!)
赤い帽子を被った金色の髪のアンナ。
真面目な顔でそう言うロレンツを見て思わずどきっとしてしまった。
「あ、ありがとう……、でも、やっぱり……」
「俺からのお礼の気持ちだ。何度も助けて貰っている」
(何度も助けている??)
記憶がないアンナにはその意味が全て理解できなかった。一時的に聖女になって瀕死の彼を救ったのはリリーから聞いている。でも何度もとなると話は別だ。
アンナはカウンターへ行ってお金を支払うロレンツの背中を見ながら過去の自分がしたことについて色々と考えた。その時店の店員がやってきてアンナに言った。
「あら、またその帽子をお求めで? よくお似合いですよ」
(『また』? それって、それはつまり……)
アンナが店員に尋ねる。
「おかしなことをお伺いしますが、私はここに来たことが……」
そこまで言いかけてアンナは以前自分がここに来たことがあることを思い出した。ただ、誰と来たのかは覚えていない。ひとりなのか、それとも彼となのか。
「私は、以前ここに彼と来たことがあるのでしょうか」
そう言い直したアンナに、少し驚いた顔の店員が答える。
「はい、ございますよ。あちらの男性とお越し頂いて、今手にしているのと全く同じ帽子をお買い上げになりました。とても綺麗で上品な方でしたので今もはっきりと覚えていますよ」
アンナが思う。
――私、やっぱりここに来たんだ、彼と。
代金を支払い終わってこちらへ歩いて来るロレンツを見つめる。アンナが店員に尋ねる。
「あの、その時の私はどんな感じでしたか?」
先程からおかしな質問ばかりのアンナに戸惑いながらも店員がこっそり教える。
「最初は何かご不満そうでしたが、その帽子を被ってあちらの男性と少し会話をしてから急に機嫌が良くなったというか。私も余り覚えていなくて申し訳ありません……」
そう言って頭を下げる店員にアンナが言う。
「ごめんなさい。謝るのは私の方だわ。変なことを聞いちゃって」
店員が恐縮しながら言う。
「いいえ、それよりもあちらの男性は旦那様でしょうか?」
「え!?」
驚くアンナに店員が続ける。
「これだけ同じようなデザインや色があるのに、全く同じものを少しの迷いもなく選ばれて。さぞかし記憶力が良いのか、それとも……」
店員がアンナを見つめて言う。
「奥様のことを心から愛されているんでしょうね」
(え、ええ!? 奥様!? 愛されて!!??)
「気に入ってくれたか、その帽子?」
ロレンツがアンナのところに戻って来て言った。店員は軽く頭を下げてスマートにその場を離れる。アンナが少し顔を赤くして答える。
「ええ、とても気に入ったわ。あ、ありがとう……」
ロレンツがそれに少し笑顔になって応える。
「昼でも食べるか」
「ええ、いいわね!」
真っ赤な帽子を被ったままアンナはロレンツと一緒に店を出て街を歩く。
(なんだかとても楽しいわ)
通りを歩くアンナ。その後ろを護衛としてついて歩くロレンツ。休日とは言えアンナが外出している以上護衛が仕事となる。
(隣を歩いて欲しいな……)
仮にも王族である姫のアンナ。
基本後ろを歩くのが『護衛職』の立ち位置。本当は隣を一緒に歩いて、帽子を買ってもらったお礼に腕でも組んで歩きたいと心のどこかで思う。
(彼は私が記憶をなくす前、一体どう思っていたのかな。こんな帽子をまた買ってくれて。でも何を考えているのか全然分からないし……)
アンナは前をひとり歩きながら考える。
そして軽く昼食を食べてから街を散策。夕方になってロレンツがある場所へと彼女を連れて来た。
「ここ、覚えているか」
もちろん覚えている。
出会った記憶はないが、それはふたりが初めて会った場所。マスクをつけてお酒を飲む『覆面バー』であった。
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