43.リリーのお願い
(アンナ様……)
リリーは公務室の机でずっとぼうっとしているアンナを心配そうに見つめた。
「うっ、ううっ……」
時折、突然涙を流し嗚咽するアンナ。
ロレンツもテーブルでコーヒーを飲みながらちらりとその様子を見ているが、なんと声をかけていいのか分からずずっと黙ったままだ。リリーがロレンツの元へ行き小さな声で話す。
「ねえ、あなた。アンナ様に声をかけなさいよ」
ロレンツが顔を上げて答える。
「お前が行けばいいだろ」
「私は子供だからダメよ。あなた大人でしょ? さあ、早く行って!」
リリーは座っていたロレンツの手を引き、無理やりアンナの方へと押しやる。
「おいおい……」
慌てるロレンツだが、アンナの机の前に来て頭を掻きながら言う。
「まあ、その、なんだ。聖女になれなくっても命奪われる訳じゃねえし、あんまり考えすぎは……」
「ううっ、ロレンツぅ……」
見るとアンナはボロボロと涙を流し、机に置かれた書類は流れ落ちた涙で字が滲んで見えない程になっている。
「うえーん、うえーん!!!」
今日朝から一体何度目だろうか。アンナがロレンツに抱き着き涙する。
「おいおい、嬢ちゃん」
困り果てるロレンツ。
聖女にミセルが選ばれたことは審議会からの通達で知っていたが、『護衛職』の変更については何も触れられておらずアンナ自身も話していなかった。アンナがロレンツに抱き着いて言う。
「飲もうよ、ロレンツぅ……」
リリーがそれを聞き、ぎっとこちらを睨む。ロレンツがリリーの顔を見て『仕方ないだろう』と言った顔をして首を横に振る。リリーはため息をつきながらふたりに言った。
「公務中なんですから、ほどほどにしてくださいよ……」
アンナはロレンツに抱きかかえられるようにしてソファーへと移動する。
ドンと音を立ててテーブルに置かれる酒のボトルとグラス。ロレンツがアンナの分をグラスにどくどくと注ぎ手渡す。アンナはそれを受け取ると、グイッとグラスを傾け一気に飲み干した。
「お、おい、嬢ちゃん、大丈夫かよ……」
アンナはロレンツのグラスにまだ酒が残っているのを見て不満そうに言う。
「ねえ、早く飲んでよ……」
「ああ……」
一気飲みは趣に合わないと思いつつもロレンツが言われるがままグラスを空ける。アンナはそれを満足そうに見つめながら自分でグラスになみなみと酒を注ぐ。
「ゴクゴクゴク……、ぷはあ……」
隣で黙ってそれを見つめるロレンツ。
やがて酔いが回って来たアンナがロレンツに言う。
「ねえ……」
「なんだ?」
アンナは隣に座るロレンツの腕に頭をもたれ掛けながら言う。
「あなたはぁ、どこにいるの……?」
(??)
ロレンツは質問の意味が分からない。
「どこって、ここにいるだろ?」
「いるのぉ~?」
「いる」
ロレンツははらりと落ちるアンナの金色の髪を見つめながらグラスの酒を口にする。
「ちゃんとぉ、いてよ……」
一気に酒を飲み干したロレンツがアンナに答える。
「ああ、分かった」
「絶対だよぉ、ぜったひぃ、だよぉ……」
「ああ」
ロレンツの言葉にアンナは無言となる。
しばらくの沈黙の後に、アンナからすーすーと小さな寝音が聞こえて来た。
ロレンツはアンナの頭を手で支えながらゆっくりとソファーに寝かし、それを見ていたリリーがすぐにブランケットを持ってきて彼女にかけた。
リリーが小さな寝息を立てて眠るアンナを見ながら言う。
「アンナ様、あれから全然お休みなってないって言ってたわ」
リリーはアンナからほとんど夜が眠れていないという話を思い出しロレンツに話す。
「だろうな。見れば分かる」
それほどアンナは弱っていた。元々ネガーベルの人間でないロレンツにとって『聖女』とはそれほど大切なものなのかと改めて思い知らされる。リリーがツインテールを触りながら言う。
「来週だけど……」
「『聖女就任式』か?」
「ううん。その前に本当偶然なんだけど、キャスタール家主催のお茶会があって……」
「お茶会?」
椅子に座り直したロレンツがリリーに言う。
「ええ、毎年開く王家主催のお茶会で、急に『聖女就任式』が入っちゃって近くなったんだけど……」
「何か問題があるのか」
リリーが少し悲しそうな顔で答える。
「うん。元々参加は、その……、中立を保っていた貴族が数名来る予定だったんだけどさ、今日までにすべての貴族から断りの連絡が入って……」
これまで中立を保ってきた者、ジャスター家をあまり心良く思わない貴族からの参加が予定されていたが、ミセルの『聖女就任』が決まると同時に引いて行く波のように誰も来なくなってしまった。
「止めちまえばいいじゃねえか、そんなもん」
ロレンツは冷めてしまった飲みかけのコーヒーを手にしてリリーに言う。
「そう言う簡単なもんじゃありません。私は準備して来たし。中止なんてしたらキャスタール家の名が折れます!」
「面倒くせえな、貴族ってやつは」
そう言ってロレンツがコーヒーを口にする。リリーが言う。
「ねえ」
「なんだ?」
リリーは青のツインテールを触りながら小さな声で言う。
「私とあなたは、ずっとアンナ様を支える。いい?」
ロレンツがリリーの方を向く。
「正直、私は最初からあなたのことが好きじゃなくて、あ、もちろん今も好きじゃないんだけど、でもどうやらアンナ様にはあなたが必要で、だから何があってもあなたにはアンナ様の傍にいて欲しいんです」
黙って聞くロレンツにリリーが続ける。
「あなたには色々助けて貰って感謝もしているし、またお願いになっちゃうんだけど、私はアンナ様が大好きで、だから私とあなただけは何があってもアンナ様の味方でいたいんです。いいかな?」
「分かった」
それを聞いたリリーがちょっとむっとした顔で言う。
「そんな簡単に言わないでください! 大変なことなんですよ!!」
ロレンツが少し笑って答える。
「じゃあ、どんな顔して言えばいいんだ? 難しい顔でもした方が良いのかい?」
(いらっ!!)
リリーはやはりこの目の前の男を好きにはなれなかった。
「そんな必要はありません!! ただ、アンナ様を悲しませないようにして貰えればいいです!!」
「あいよ、分かったからちょっと落ち着きな」
「私は落ち着いてますっ!!!」
リリーは左右のツインテールを揺らしながら大きな声で言う。ロレンツがリリーに言う。
「ちょっと勘違いされているようだから言っておくが……」
「なによ」
「助けられているのは、俺も同じなんだぜ」
「は? どういうことですか?」
ロレンツは残っていたコーヒーを全て飲み干すとリリーに言った。
「まあ、そりゃおめえさんがあと5年ほど経てば分かるかな」
(いらっいらっ!!!)
少し前にアンナに言われたのと全く同じ言葉を聞いてリリーがむっとする。
「今分からなくて5年後に分かるってどういう意味ですか? ちゃんと分かるように説明してください!!」
「あはははっ、こりゃ参ったな」
笑い出すロレンツを見てリリーは更にイライラしたが、ふうと息を吐いてから机の引き出しに入れて置いたある物を取り出しロレンツに手渡す。
「これは何だ?」
リリーが答える。
「招待状です、お茶会の」
ロレンツが眉間に皺を寄せて言う。
「俺はこう言うのあんまり好きじゃな……」
「出てください。あなたも貴族ですから」
「仕方ねえか。苦手なんだがな……」
そう言いながらもソファーで眠るアンナを見て心を決める。リリーが言う。
「参加する貴族は私とあなたのふたりだけ。いい? 王家のお茶会に誘われたのだから光栄に思いなさい」
「あいよ」
ロレンツが首を振りながら答える。
そして『聖女就任式』開催を直前に控えたよく晴れたその日、キャスタール家主催のお茶会が開かれた。
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