37.責任は取ってね。

「アンナ様、アンナ様っ!!」


「ん、なに? リリー」


 リリーはぼうっとしたまま動かないアンナを心配して声をかけた。



「二日酔いって言うのは分かりますが、仕事は仕事。しっかり働いてください」


「え、ええ。分かってるわ」


 アンナはそう返すと公務室の机にある山になった書類に目を通した。



(夢、じゃないわよね。嘔吐した痕も部屋にちゃんとあったし……)


 アンナは部屋のテーブルで、コーヒーを飲みながら雑誌に目を通すロレンツを見つめる。



(私、間違いなく彼とキスをして……)


 夢を見ていたのかも知れないが、夢の中で嘔吐したことが現実に起こっていた。つまりロレンツとキスをしたことも現実に違いない。


 かああ……


 そう思うと急に顔が真っ赤に染まるアンナ。



(あんまり覚えていないけど、なんか固かったような……、って言うか、あいつはどうしてあんなに平然としているのよ!!!)


 真っ赤な顔をしながらアンナはいつもと変わらいロレンツの姿を見ていらっとする。



(私のを奪っておいて責任……、そうだわ。あいつにはちゃんと責任を取って貰わなきゃ!!!)


 とは言え、確定ではないキスの話はできないし、そもそも恥ずかしくてそんな話題すらできない。アンナがむっとして思う。



(男っていつもそうだわ!! 被害者はいつも女。そ、そう言えばあいつ、あのミンファとか言う女とも『ぶちゅー』ってやってたっけ!!!)


 ほぼ自分から強引にさせたことなど綺麗さっぱり忘れ、そして『人工呼吸』と言う言葉が抜けたミンファとの口づけを思い出し、アンナが怒る。



「ねえ、ちょっと、あな……」


「お仕事中です。集中してください」


 立ち上がってロレンツを怒鳴ろうとしたアンナの前にリリーが立ち、厳しい顔で言った。自分よりずっと幼いリリー。揺れる青髪のツインテールを見ていると年齢的には妹ぐらいなのだが、感覚的には『姑』に近く感じる。アンナが言う。



「違うのよ、あいつが私に……」



「仕事してください。いいですか、来週には『聖女任命審議会』が開かれるんですよ。お酒ばかり飲んで国王代理としての仕事を果さずに……、ぶつぶつ……」


 アンナは本当にリリーが姑のように見えて来た。二日酔いの頭が更に痛くなる。



「分かってるわよ。でもね、聖女はミセルで決まりでしょ? 『強回復ハイヒール』使えるし、残念だけど私には才能がなかったの」


 アンナはもうそれでいいと思っていた。

 母の死去以降現れていない聖女。何年も聖女不在の状態はネガーベルとして決して良いことではない。民の心の支えである聖女はやはり必要なのだ。例えそれで王族の地位を失おうとも。



「分かりました。でも今日もきちんと聖女の訓練はしてくださいね。最後の最後まで諦めないよう頑張りましょう」


 アンナはやはり目の前の女の子が姑に見えて来た。コーヒーを飲んでいたロレンツが立ち上がって尋ねる。



「なあ、『聖女任命審議会』って何だ?」


 マサルト出身のロレンツ。もちろんそんなもの知らない。リリーが言う。



「来週、聖女を任命するかどうかの話し合いをするんです。有力貴族20名で審議して、8割以上の賛成で新しい聖女が誕生します」


「ほう……」


「その後、『聖女就任式』って言う儀式を盛大に行って、正式な聖女が誕生するんだけど……」


 声が小さくなるリリー。ロレンツが言う。



「その聖女に赤髪の嬢ちゃんが選ばれそうって訳か」


「そうなの」


 リリーが悲しそうな顔で答える。アンナが立ち上がって言う。



「誰が聖女でもいいじゃない。国に安寧をもたらすことができれば私は誰だっていいと思っているわ」


 心からの言葉だった。少し寂しい気持ちはあるがそこに嘘はなかった。



「!!」


 急に真剣な顔をしたロレンツが窓の方へと歩き出す。



 バン!!!


 そして窓を勢い良く開け辺りを見回す。驚いたアンナが尋ねる。



「ど、どうしたの? 一体……」


 急なロレンツの変貌に驚くふたり。窓を閉めて首をかしげるロレンツが答える。



「いや、ちょっと変な気配を感じたんだがな……、誰もいなかった」


「誰もいなかったって、当たり前でしょ!? ここ一体何階だと思ってるのですか?」


 リリーが溜息をつきながら言う。



(いや、確実にいた。一瞬だが強い殺気が放たれた……)


 ロレンツは誰もいない窓の外を見つめた。




(ほう、中々の切れ者。この私に気付くとは……)


 ジャスター卿からの指令を受けた暗殺者ヴァンは、気配を殺し窓から少し離れた柱の陰に身を潜めていた。アンナの観察、そして『護衛職』であるロレンツの確認。思った以上に手強そうな相手にヴァンの暗殺者魂に火がつく。



(必ずって差し上げますよ。姫様……)


 ヴァンは気配を消し、音を立てずにその場から立ち去った。





「なあ……」


 椅子に座ったアンナに、ロレンツが近付き声をかける。


「な、なに……?」


 アンナの心臓は音が聞こえるんじゃないかと思うほど大きく鼓動していた。初めてのキス。思い出すだけで恥ずかしくてどこかに隠れたくなる。ロレンツが言う。



「今日からここにしばらくしたいんだが、いいか?」



「は?」


 それを聞いたアンナが固まる。



(え、ええーーーーっ!!?? キ、キスの次は、もう!? ちょ、ちょっとそれはあまりも早すぎるんじゃ……、ああ、でも大人の男の人なら、そ、それぐらいは普通なのかも……、で、でも、まだ心の準備が……)


 アンナの頭の中ではすでにベッドの上でロレンツに強く抱きしめられる自分がいる。



(ど、どどどど、どうしよう!? あ、そうだわ……)


「ねえ、イコちゃんはどうするの?」


「ちょっと、アンナ様!! そんなのは認めないですわよ!! それにあなた!! 一体何を考えて……」


 アンナ同様、驚いていたリリーが大声で怒鳴る。ロレンツが言う。



「無論、イコも一緒だ」



(ええっ? イコちゃんも一緒ですって!? ま、まあ、そりゃそうだけど……、だったら、お、を立てずにしなきゃいけないわね……)


 アンナの頭の中では既に色々な妄想がシミュレートされている。ロレンツが言う。



「いいんだな?」


 アンナは真っ赤な顔になって答える。



「あ、あなたがそう望むなら、わ、私は、別にいいんだけど……」


 最後は消え入りそうな声で恥ずかしそうに答える。



「分かった。ならば今夜からここで寝泊まりする」


 アンナは両手を顔に当てながら真っ赤になって尋ねる。



「ちゃ、ちゃんと責任は取ってくれるよね……」



(責任?)


 ロレンツは先程感じた強い殺気を思い出して言う。



「無論だ。責任はすべて俺が取る。お前は安心して俺に身を預けていればいい」



「ふわわぁぁ……」


 アンナは予想もしていなかった積極的な言葉を聞き、嬉しさのあまりその場にへなへなと座り込む。

 その後、勘違いが判明するまでアンナは初めてであろう幸せな時間に酔いしれることとなった。

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