35.ロレンツの人工呼吸
【赤き悪魔】レッドドラゴンがネガーベル王城を襲撃し破壊してから約一週間、豊富な人材や物資を有するネガーベルは瞬く間にその修復をほぼ終えた。
ちょうどその頃、そのネガーベル王国の北にあるミスガリア王国にひとつの驚くべき報告がなされた。
「国王、報告します!! 赤の悪魔が、討ち取られました!!!」
「!!」
報告を聞いた国王以下、そこにいた者達全てが驚愕した。
禁術に近い闇魔法を使って召喚した魔界の魔物レッドドラゴン。人知を超えた強さを誇り、小国の首都であれば一日で滅ぼすほどの凶悪な存在。
(それを、撃退した……、だと……)
心のどこかで恐れていた事態。
ネガーベル最強の聖騎士団長エルグなら、もしかして返り討ちに遭うかもしれないと危惧はしていた。国王が尋ねる。
「エルグは生きておるのか?」
使者が答える。
「はい、全身に大怪我を負ったようですが、治療され回復したとのことです」
「そんな、ことが……」
国王が頭を抱える。使者が続けて言う。
「国王、それからですが……」
国王は頭を上げ言う。
「なんだ、言ってみろ」
「はい。赤き悪魔を討伐したのは聖騎士団長エルグではなく、途中からやって来た別の男とのことです」
「何だって!?」
再び驚く国王。
「詳しく申せ!」
「はっ。聖騎士団長エルグは長時間における戦いで敗北寸前まで追い詰められたそうですが、突如真っ黒な剣を持った銀髪の男が現れ、一方的に赤き悪魔を討ち取ったそうです」
「なっ……」
そんな事が有り得るはずがない。
聖騎士団長エルグならまだしも、そんないきなり現れたひとりの男に一方的に討ち取られることなど考えられない。国王の隣に控えていた大臣が声を大きくして言う。
「そんな馬鹿なことがあるか!! 仮にも魔界のレッドドラゴン。たったひとりの男に討ち取れるものか!!」
「し、しかし、これはネガーベル王都に潜伏させている我が国の信用筋からの情報でございますが……」
責められおどおどする兵士。国王が言う。
「やめぬか。誰かは知らぬが赤を討ち取ったのは間違いないだろう。それよりもそうなればいよいよ黒の準備をせねばならぬ」
「黒、ですか……」
そこにいた者みなの顔に緊張が走る。国王が尋ねる。
「黒魔導士は何名ほど必要だ?」
「少なく見積もって百名ほどは必要かと……」
国王は少し考えてから言った。
「決行せよ。このまま引き下げる訳にはいかぬ」
「御意」
兵士は頭を下げてその場を去った。
レッドドラゴン襲撃の日。
地方領主の娘であり、ロレンツ攻略をジャスター家から命じられているミンファは、偶然外出しており怪我をする事もなかった。下級貴族であるため部屋も城内の一番奥にあり被害なし。しかしミンファの心は落ち着きをなくしていた。
(ロレロレ様が大怪我をされて大変なことに……)
ミンファまでには正確な情報が流れて来ない。
レッドドラゴンを撃退したとの話は聞いているが、その後の経過については全く分からない。結果的には翌日には目を覚ましたロレンツであったが、ミンファの心配はより強くなっていた。
コンコン……
ミンファはその夜、たくさんの料理を作って皿に盛りロレンツの部屋を訪れた。ロレンツが部屋の中から答える。
「誰だ?」
「私です。ミンファです」
少し間を置いてロレンツが言う。
「どうした?」
ミンファは手にしたトレーに乗った熱々の料理を見つめながら答える。
「ロレロレ様が大怪我をされたって聞いて、体が早く良くなる料理を作ってきました」
ガチャ
開かれるドア。
そこには笑顔のイコが立っていた。
「わあー、ミンファさんだ!! いらっしゃーい!!」
ミンファもイコを見て笑顔で答える。
「イコちゃん、こんばんは。お料理作って来たんだけど食べてくれるかな?」
「食べるよー、一緒に食べよ!!」
(え?)
ミンファは差し入れのつもりで持ってきた。しかしイコは嬉しそうにミンファの手を取り部屋の中へと連れて行く。
「おいおい、イコ……」
ちょっと慌てたロレンツが言う。
「な~に、パパ?」
「なにじゃない。そんな勝手なことをするんじゃ……」
「私なら、あの、構いませんが……」
ミンファは長い銀髪に半分顔を隠しながら小さく答える。イコが言う。
「でしょ~、さ、食べよ!! お腹空いたよ~!!」
「はい、イコちゃん。食べましょう!!」
ミンファは嬉しそうにそれに応えてキッチンの方へと一緒に行く。
「やれやれ……」
ロレンツは頭を掻きながらドアを閉めた。
「いただきまーす!!!」
ミンファはロレンツの為に自分の郷土料理を作って来た。
「このスープにはたくさん薬草が入っていて体の回復に効きます。こっちのお肉は怪我に効くお酒に漬けたもので食べると怪我が早く治ります。あ、熱でアルコールは飛ばしてあるのでイコちゃんも大丈夫ですよ。そしてこの黒い飲み物は蛇の生き血を葡萄ジュースで割ったもので……」
ミンファは嬉しそうに料理の説明をふたりにしながら料理をよそった。ロレンツはそれを聞きながらミンファに尋ねた。
「なあ、これも必要ってことなんだな?」
『これ』、つまりミンファが受けている指令のことを意味する。
ミンファは少し驚いた顔をしてからロレンツに向かって頷いて応えた。
「おいしー!!! すっごく美味しいよ!!!」
イコは既にモリモリ料理を食べている。ロレンツは倒れたのは怪我とかが原因じゃなく、『呪剣』の呪いのせいだと思いながらも頷きミンファの料理を口にする。
「美味いじゃねえか。こりゃ、体も良くなりそうだ」
(え?)
思っても見なかったロレンツからの誉め言葉。ミンファは心の奥底で叫びたくなるような嬉しさが自分を包むような感覚になった。
「あ、ありがとうございます。嬉しいです……」
ミンファは自分の顔が真っ赤になっていることに気付いていなかった。
そしてそれは起こった。
カラン
「!?」
テーブルに座って食事をしていたミンファの手から、持っていたスプーンが音を立てて落ちた。
「ん? どうした、嬢ちゃ……!!」
そして急に首を押さえて苦しみ始めるミンファ。そのままテーブルの上に倒れるように頭を落とす。ロレンツが飛び上がりミンファの傍へ行く。
「おい、どうした!! どうした、返事をしろ!!!」
ロレンツはミンファを抱きかかえ、頬を何度か叩く。
「あ、ああ、あががが……」
ミンファの目は虚ろで口からは泡が流れる。全身を襲う強力な圧迫感。呼吸すらできなくなる状態の中でミンファは理解した。
――私、この人を愛しちゃったんだ。
エルグから渡された『誓いの首飾り』。真珠のような球の付いた美しいものだが、誰かを愛すと死に至る恐ろしい品。
ロレンツを愛さぬよう近寄ったミンファだったが、自分の置かれた状況を察して気を遣ってくれる不器用な男にいつの間にか心を奪われてしまっていた。
(息をしてねえ……)
ロレンツはミンファが呼吸もできない状態になっていることに気付き、唇に口を当て人工呼吸を始めた。
「ふーふー、はーはー、ふーふー、はーはー」
気道を確保し、無理やり空気を流し込む。
やがて白くなっていたミンファの顔に赤色が戻って来た。頷くロレンツを見て隣で青い顔をしていたイコも安心する。
ロレンツが最後の息を吹き込もうとミンファの唇に口をつけた時、ドアの入り口で立ち尽くしているひとりの女性の姿が目に映った。
(嬢ちゃん……)
それは金色の髪が美しいアンナ。
手には夕飯の為だろか、食材が入った袋を持っている。アンナが涙目になりながら言う。
「何してるのよ……、ねえ、なにしてるの……」
ロレンツはミンファを抱きかかえたまま答える。
「何って、人工呼吸だ。見りゃ分かるだろ?」
アンナは食材の袋を床に落として言う。
「うそ、うそ、やだ、やだよ。嫌だよおおお!!!!」
そのまま部屋を出て走り去るアンナ。
「おい、嬢ちゃん!!!」
ロレンツはそう叫ぶも、未だ意識朦朧とするミンファを放っては置けない。
(やだやだやだ、イヤだよおおお!!!)
アンナはひとり駆け足で自室に戻ると、ベッドの上で声をあげて泣いた。
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