12.氷姫が消える日。

「なんなのよ、これは一体なんなのよお!!」


 舞台下で試合を観戦していたミセルはその赤いドレス同様、顔を真っ赤にして怒りを露わにした。

 目の前の舞台では敗北したにもかかわらず、その相手にデレデレする副団長キャロル。その向こうではキャスタール家の勝利が決まり、アンナとリリーが抱き合って喜びを表す。割れんばかりの歓声。健闘をたたえる拍手。そのすべてがミセルにとっては不愉快でしかなかった。



「紙を、筆をっ!!」


 ミセルはすぐに書状をしたため、従者に渡し強く言う。


「すぐにお兄様へ!!」


「はっ!!」


 従者はそのまま早馬を飛ばし、兄で聖騎士団団長のエルグの元へと走って行った。



(許さないわ、絶対にこの屈辱、忘れないっ!!!)


 ミセルはアンナと舞台の上にいる謎の銀髪の男を睨みつけると、そのままぶつぶつ文句を言いながら消えて行った。





「ちょっと、ロレンツっ!!!」


 アンナは『剣遊会』の勝利をリリーと分かち合った後、舞台の上でキャロルに質問攻めにされているロレンツの元へと向かった。



「よお、嬢ちゃん。こいつが何言ってんだか分かんねえんだが、助けてくれねえか?」


 キャロルは淡いピンクの髪を手でくるくるいじりながら何やらロレンツに話しかけている。アンナが言う。


「ちょっとキャロル! あなた敵なんでしょ? 消えなさいよ!!」


 キャロルは『氷姫』と呼ばれ物静かなアンナの感情を露わにした言葉に驚きながらも、ロレンツを見て言う。



「えー、だってキャロルもとお話したいしー。ね~、いいでしょ?」


「ロレ……」


 そのちょっと許せない愛称を聞いたアンナが顔を赤くして怒る。



「なによ、その呼び方!! あなたはね……」


 ロレンツが言う。



「なあ、ロレロレってなんだ?」



「……」


 アンナは今日一番の驚いた顔でロレンツに言う。



「あなたはどうしてそんなに鈍感なの!? やっぱり馬鹿なの? 馬鹿でしょ!!」


「おいおい、嬢ちゃん。なんだいきなり?」


 ロレンツは心底困った顔でアンナに言う。



「アンナ様ぁ、そんな風に言ったらロレロレが可愛そうですぅ~」


 そう言ってキャロルはロレンツの腕に。アンナがむっとして言う。



「ちょっとあなた!! どさくさに紛れて何してるのよ!!」


「おい、ピンクの嬢ちゃん。ちょっと離れてくれねえか」


 ロレンツも困った顔で言う。キャロルが答える。



「えー、だって試合が終わったらデートしてくれるって約束でしょ?」


「な、なんですって!?」


 更に怒りのボルテージが上がるアンナ。



「そりゃ、おめえが勝手に言って……」


 アンナがロレンツに詰め寄って言う。



「あなたねえ!! そもそも私に『可愛い』とか『綺麗だ』とか、『結婚しよう』とか言って置いてどうしてそう他の女とイチャイチャできるの!!!」



 驚いた顔で聞くロレンツ。ほとんど言った覚えのない言葉ばかりである。ため息をつきながらアンナに言う。



「なあ、嬢ちゃん。ちったぁ落ち着いて話を……」


「私は落ち着いていますっ!!!」



「あ、あのぉ……」


 興奮気味に話すアンナに、舞台上にいた進行担当が声を掛ける。



「なによ!!」


「そろそろ次の試合がございまして、ご退場頂ければと……」


 その言葉でアンナは闘技場の観客の視線が皆、自分達に向けられていることに気付いた。



(やだ、恥ずかしい!!)


 ようやく落ち着きを取り戻したアンナ。ロレンツの手を引っ張って舞台から降りる。そのまま皆の視線を感じながら控室へと入って行った。




「ふう、これでいいわ。なんだか疲れた……」


 控室の椅子に座ってぐったりするアンナがひとりつぶやく。ロレンツが尋ねる。


「なあ、嬢ちゃん。これで試合は終わりなのか?」


「ええ、そうよ。もう終わり」


 椅子に座ったままアンナが答える。その椅子のすぐそばに立っていたリリーがアンナに尋ねる。



「あの、アンナ様。この方は一体……?」


 リリーは青いツインテールを揺らしながらロレンツをちらりと見て言う。これまでに見たことのない男。大柄で鋭い目つき。短髪の銀色の髪が光りを浴びて光っている。アンナが答える。



「うーん、説明すると難しんだけど。簡単に言うと、『酔って朝気付いたら彼のベッドで寝ていた』ってこと」



「は?」


 リリーが固まる。

 ただでさえ姫の単独での外出に常々反対していたリリー。それがまさか最悪の結果を招いていたとは。考えるだけで体が震えるリリー。首を何度も振りながら頭を抱え始める。ロレンツがリリーに言う。



「おい、そこの小さいの。おめえ、なんかすげえ勘違いしているようだけど、俺は何もしてねえぜ。誓って言う」


 それを聞いたリリーは一瞬寂しそうな表情をしたアンナを見てからロレンツに言う。



「それはそれで失礼ではありませんか!!!」


「何を言っているんだか、意味が分からねえ……」


 ロレンツが首を傾げる。

 リリーはため息をついてから少し難しい顔になってアンナに近付き、何やら小声で話す。頷くアンナ。そしてアンナがロレンツの前に来て言った。



「あの、ロレンツ……」


 いつになく真剣な顔で話すアンナ。ロレンツが黙って聞く。



「あのね、この『剣遊会』って剣の技量を競い合う大会なんだけど、実はもうひとつ別の意味があって……」


「別の意味?」


 ロレンツが繰り返す。アンナが言う。



「ええ、その家の代表として戦った剣士はね、その家に仕える『護衛職ごえいしょく』に就かなきゃいけないの」


「護衛職?」


 ロレンツが驚いた顔をする。



「うん。つまり、私は一応姫なんだけど……」



「なに? 嬢ちゃん、姫さんだったのか!?」


 貴族の令嬢とは分かっていたけど、まさかネガーベルの姫君だとは夢にも思っていなかった。イコの読心術でも『自分が姫』と思わない限り読み取ることはできない。



(え? 知らなかったの??)


 アンナは酔って一体どこまで話したのか想像もつかない。ロレンツが尋ねる。



「それで、その『護衛職』ってのは一体なんなんだ?」


 尋ねるロレンツにアンナが答える。



「つまり私を守る仕事。一緒に王城に暮らして、常に私と行動を共にして……、私を守って……、その……」


 自分で話していてその姿を想像し恥ずかしくなってくるアンナ。ロレンツが驚いた顔で言う。



「ってことは俺はお城に住むって事なのか?」


 それに黙って頷くアンナ。


「イコは? イコはどうすれば?」


 アンナが答える。



「イコちゃんも一緒に住めばいいわ。部屋はたくさんあるし、転校は必要だけど学校にも通えるから……」


 アンナは無理は承知で話をしていた。

『ルルカカ』に生活基盤のあるロレンツ。突然王城に来て私を守ってくれと言って『はい分かりました』とは言えないはず。



「分かった」



「うん、だから急な話だしそんなに簡単に返事は……、え?」


 アンナは話をやめ、ロレンツを見つめる。



「え? 今なんて言ったの?」


「分かった、と言ったんだ」


「分かったって、あなたその意味を分かっているの?」


「分かったから分かったって言ったんだ。他になんて言えばいいんだ?」


「いえ、本当に分かったのならいいんだけど……」


 不思議そうな顔をするアンナにロレンツが言う。



「そうだ、豚をくれ。ネガベル豚」



「は? 豚?」


 驚くアンナにロレンツが言う。


「そうだ、豚だ。それですべて丸く収まる」


「意味が分からないわ……」


 腕を組み首を傾げるアンナ。ロレンツが尋ねる。



「それでいつ引っ越せばいいんだ?」


「いつって、そ、それはまあ、あなたがすぐにでも来たいというのならば、別に私は……」


「アンナ様、本当によろしいのでしょうか??」


 アンナの侍女であるリリーが心配そうな顔で言う。



「ええ、彼は大丈夫よ。こう見てても一応信用できる人だから。それに護衛職に就く訳だからやはり早く来て貰った方がいいし。また命を狙われても大変だし……」



「え? 命を狙われた!!??」


 その言葉に反応し、驚くリリー。アンナがしまったという顔でロレンツに言う。



「さあ、行きましょう。ロレンツ、お城を案内するわ!」


「ちょっとお待ちください、アンナ様!! これからおひとりでの外出は禁止致します!!」


「ち、違うわよ、リリー!! そんなじゃないって!!」


「ダメです!! もう決めました!!」


 アンナはロレンツの腕を引っ張ってドアの方へと向かう。



「さあ、ロレンツ。行きましょう!!」


「お、おい、引っ張るなって!!」


 アンナは笑顔でロレンツを連れ出し歩き出した。

 これよりアンナを『救う』ため、ロレンツの王城での生活が始まる。そしてこの日を境にアンナの『氷姫』という別称も少しずつ消えていくことになる。

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