8.孤立無援の姫

「姫様、こんにちは」


 ネガーベル王城に戻ったアンナにすれ違う貴族令嬢が声を掛ける。アンナはそれに少しだけ相手の顔を見て無表情で通り過ぎる。



「まあ、変わったお帽子で。何かございましたでしょうか?」


 アンナが被っている赤い帽子を見た別の中年貴族が声を掛ける。



「何でもないわ」


 やはり無表情でその声に答える。



 ――何でもない


 一体どれだけその言葉を口にしたのだろうか。

 国王である父親がいなくなって数か月。目に見える形でアンナのキャスタール家の凋落は始まっていた。ネガーベル王国は実は世襲制ではない。とあるを持った女性の夫が国王となる。



『聖女』


 広大な面積を持つネガーベルで古の時代から崇められているその存在。国に安寧をもたらし人々を癒し、そして平和を未来へと紡ぐ。実際に不思議な能力を宿す聖女は国民から絶対的な信仰を集め、その聖女の夫がいわば補助役として国王に就く。

 

 アンナの母親も聖女だった。

 だが彼女がまだ幼い頃に病死し、それ以降数年聖女は現れていない。アンナの父は娘に聖女になる修行を幼い頃からさせていたが、残念ながら彼女にその才は現れなかった。

 言い返せば誰もが聖女に、国王になれる。それが例え庶民であっても。そして有力貴族であるジャスター家は一番『聖女』出現に近い存在であった。



強回復ハイキュア!!」


 聖女が最も得意とする治癒魔法をジャスター家令嬢のミセルは使うことができた。戦場で傷ついた兵士を治癒するミセル。自然と彼女こそが新たな聖女だと噂されていた。




「あら、これはアンナ様。またまた庶民視察でございますか? その庶民の衣装も良くお似合いでしてよ。おーほほほほっ」


 城を歩くアンナに正面からやって来たミセルがその姿を見て笑いながら言った。

 真っ赤なドレスに美しい赤髪。一見するとどちらが姫なのか分からない。アンナは無言で立ち去ろうとしたが、ミセルの言ったその言葉を聞き立ち止まった。



「そのお帽子も、良くお似合いでしてよ」


 アンナは全身の血が逆流するほどの怒りを感じた。『氷姫』と呼ばれた自分。くだらない権力争いに嫌気がさし、自らは関わらないよう過ごして来た。だがその言葉だけはどうしても許せなかった。



「取り消しなさい、その言葉」



(え?)


 普段は生気のない顔で城内を歩くアンナ。

 聖女争いでも全く反応がなかった彼女の意外な態度にミセルは驚いた。



「わたくし、噓は申しておりませんが。その庶民的なお帽子、よくお似合いでしてよ」



(くっ!!)


 アンナは強い怒りを覚えた。

 ロレンツと一緒に行って選んだ大切な帽子。不器用ながらも『よく似合ってる』と言ってくれた帽子。絶対にそれを侮辱されることだけは許せなかった。

 アンナのそのような初めての態度に興味を持ったミセルが続ける。



「そんなことよりも『剣遊会』の準備はいかがかしら?」


 再びアンナの顔が氷のように冷たくなる。

 剣遊会。三日後に迫ったネガーベルの有力貴族の剣士が集まって催される一大イベント。お抱えの騎士や剣士の剣の技量を争うものだが、上級貴族、特に王族となれば優秀な成績を収めるのは必須である。その結果により貴族からの支持も大きく変わる。



「失礼するわ」


 アンナは怒りを抑えてその場を去り行く。

 これ以上無駄な言い争いを続ける気はない。誰が聖女になろうがそれはそれ。アンナはもうその覚悟はできていた。



(残念ですわね、『無能姫』さん。わたくしが聖女になってこの国に安寧をもたらして差し上げますわ。このミセル・ジャスターが)


 ミセルはアンナに対して行っている裏工作が順調に進んでいることに満足の笑みを浮かべた。




「アンナ様!!」


 ミセルと別れ、私室に入ろうとしたアンナに甲高い声が掛けられた。



「リリー、なんですか?」


 リリー・ティファール。

 歴代の聖女に仕えた由緒正しき名家ティファール家。リリーはその名家の姉妹の末っ子であったが有能で、貴族学校を首席で卒業。弱冠13歳で聖女候補とされるアンナの侍女として抜擢された。リリーが言う。



「何ですかじゃないですよ!! どうしたんですか、その帽子は?」


 青いツインテールを揺らしながらリリーがアンナの頭にある帽子を見て言う。アンナが答える。



「なんで? いいでしょ」


 リリーはアンナが城内で心開ける数少ない相手。リリーとしてはネガーベルの姫であり、聖女候補のアンナが庶民っぽい帽子を被っていることが気に入らない。リリーが言う。



「アンナ様はネガーベルの姫でございます。一国の姫がそのような帽子を……」


「似合ってるでしょ?」


 アンナは赤い帽子を被り嬉しそうに言う。



(うっ……)


 似合っていた。

 実際美形のアンナはどんな衣装や帽子でも似合ってしまう。そしてでそのように話す彼女は、その帽子が持つ魅力以上に彼女を美しくさせた。



「似合ってます。でも……」



「似合ってればいいじゃない。リリーももう少し大きくなれば分かるわよ」



「な、何のことですか!?」


 意味の分からないリリーの頭をアンナが優しく撫でる。そして言う。



「そんなこともういいわ。それより何か用かしら?」


 アンナの言葉にリリーが真剣な顔になって言う。



「はい、剣遊会のことですが……」


 ふたりはアンナの私室に入って話の続きを行った。






「ネガーベルの貴族か……」


 ロレンツはイコから聞いた驚きの事実に固まっていた。

 元軍人のロレンツ。交戦こそしていないが敵国であるネガーベルとはいつ戦争が起きてもおかしくない。中立都市『ルルカカ』に住んでいるとは言え、敵国の貴族と繋がりを持つということは一般的には避けなければならないことである。



「パパ、あとね……」


 無言になって考え込むロレンツにイコが言う。



「お姉ちゃんね、とっても悩んでるの……」


「悩んでる?」


 少し難しい顔をしたロレンツにイコが続ける。



「うん今度ね、お城で剣を使った大会みたいのがあって、お姉ちゃん色んな人に頼んでいるんだけど誰も助けてくれなくて……」


「剣の、大会……?」


 ロレンツがその言葉を繰り返す。



「そうなの。剣で戦わなきゃいけないんだけど、誰も助けてくれなくってお姉ちゃん、自分で戦おうとしているの……」


 無言のロレンツ。イコが言う。



「パパ。お姉ちゃんを助けてあげて……」


 目を閉じたロレンツの頭に、初めて会った夜のアンナの言葉が蘇る。




 ――私を、救って



「イコ。朝、ひとりで起きられるか?」


 目を開いたロレンツがイコに言う。


「うん!」



「ごはんも自分で用意できるか?」


「もちろんだよ!」



「夜はヘレンに来て貰う。いいな?」


「うん、ヘレンさん大好き!!」


 ヘレンとはロレンツが泊りがけの依頼の際に家事をお願いしている家政婦のことである。イコが笑顔で言う。



「ねえ、パパ」


「なんだ?」



「イコはネガベル豚が食べたいな~」


 ネガベル豚。それはネガーベル特産の高級豚である。脂がしっかり乗った極上の豚で、口に入れると一瞬でとろけてしまうほどの絶品の品。ロレンツが笑って答える。



「ああ、分かった」


 ロレンツはイコの頭を撫でながら、いつの間にか色々な意味で成長した娘を見て目頭が熱くなった。

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