3.色々と勘違い

(お料理、もっともっと上手にならなきゃ……)


 アンナはまだ二日酔いで痛む頭を押さえながら王城への馬車に揺られていた。

 あの後、朝食を食べてから簡単なお礼を言ってすぐにロレンツの家を出た。中立都市『ルルカカ』に暮らすロレンツ。二日酔いのせいもあったが詳しいことを何も聞けずに別れてしまった。



(なんか、私に話したそうにしていたな……、ま、まさか惚れられちゃったとか!?)


 アンナは彼の家を出る際に、何か言いたそうな顔をしていたロレンツを思い浮かべる。



(まあ、私ってこんなに可愛いんだからそう思われても当然よね。それより……)


 アンナは『ルルカカ』を抜けネガーベル王国に入ってしばらくして見えてきた王城見つめながら思う。



(あんなとこ、帰りたくない。本当に、イヤ……)


 笑顔だった顔が徐々に氷のように冷たくなっていく。

 それは決して意図したものではないが、彼女の心の闇がそのまま表情や振る舞いに現れていた。





「おかえりなさいませ、姫様」


 守衛や城内ですれ違った者達がアンナの顔を見て挨拶をする。



「……」


 アンナは一切表情を崩さずにそれを無言で受ける。通り過ぎて行った兵士達が小さな声で言う。



「やっぱり氷姫だよな」

「ああ、そうだそうだ」



 ――氷姫



 そう呼ばれていることは知っていた。

 別にそれでも良かった。それで面倒ごとに巻き込まれないで済むなら。

 しかし面倒ごとと言うのは向こうから歩いてやって来る。アンナは目の前に現れた赤髪で、その髪と同様に赤いドレスを着た女性を見つめた。



「あら、これはアンナ様。朝帰り、ですの?」



「ミセル、変な言い方はやめてください。民の生活を見る視察です」


 ミセルと呼ばれた女性が答える。



「『ルルカカ』で視察ですか? なぜネガーベルの民を見ないのでしょうか?」


 ミセル・ジャスター。

 アンナと同い年で、ネガーベル王国の中でも特に強い力を持つ名門貴族。国王不在の今、虎視眈々と次期国王を狙っているとの噂だ。黙り込むアンナにミセルが言う。



「それよりもアンナ様」


 無言のアンナがミセルを見つめる。



「来週、年に一度の『剣遊会けんゆうかい』ですわよ。出場するお方は見つかって?」



『剣遊会』

 それは有力貴族が年に一度集まり、自身の推薦する猛者がその剣術を競い合うイベント。無論、地位の高い貴族程強い剣士を揃え、この『剣遊会』で勝つことが一流の貴族の証にもなっている。ミセルが言う。



「姫様の剣士様は一体どなたでしょうか~?」


「……」


 アンナは無表情のまま無言を通した。

 国王である父が数か月前に行方知らずになってから、それまで昵懇にしていた貴族達が次々と王家から離れて行った。


 何かの裏工作があったのは間違いない。そして自分とは対照的にどんどん力を付けて行くミセルのジャスター家。『剣遊会』では実の兄で、ネガーベル最高軍団である聖騎士団長のエルグが出場すると噂されている。

 対照的にアンナのキャスタール家にはまだ出場剣士は決まっていない。声をかけてもすべて断られてしまうのだ。



「失礼するわ……」


 アンナは締め付けられるような雰囲気に耐えられなくなってその場を離れた。ミセルは遠くに去り行くアンナの後姿を見ながら言った。



になれない『無能姫』さん。私がその座を貰って差しあげましょう。おーほほほほっ!!!」


 ミセルは大きな声で笑いながらアンナとは別の方へと消えて行った。






 アンナは再び中立都市『ルルカカ』の覆面バーを訪れた。


 カランカラン


 ドアにつけられた鐘が低い音を立てて響く。

 アンナはマスクをしっかり付け直すといつも通り熱気に包まれる店内を見回す。



(私、を探しているのかしら……)


 いつもはひとりで飲むお酒。

 不思議とその銀色の髪の男を目で探していた。



(いた……)


 カウンターの隅。

 その男はひとり背を向けて座っている。

 アンナは目を何度かぱちぱちさせてから真っすぐにカウンターへ向かった。




「隣、いいかしら?」


 アンナは幾分緊張しながら声をかける。アンナに気付いたロレンツがちらりと見てから答える。



「ああ」


 アンナはすっと隣に座るといつもの『葡萄酒のぶどうジュース割り』を頼んだ。アンナは目線を下に向けもぞもぞしながら小さな声で言う。



「あの……」


 無言のロレンツ。



「あの、この間はありがとう。きちんとお礼を言ってなかったような気がするの」


「ああ」



「私、多分、その……、も、戻したりして……」


 アンナは帰城後、服に少しついていた嘔吐物を見て自分がやらかしたことに気付いた。



「ああ、ゲロか。気にするな」



「ゲっ!? ちょ、ちょっと、そんな言い方、止めてよ……」


 アンナは少しの怒りと、それを上回る恥ずかしさに潰されそうになる。何かを言おうとしたアンナより先に、ロレンツが口を開く。



「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだが」



(え?)


 アンナは驚いた。

 あれだけ他人に興味のなさそうなこの男が、自分に聞きたいこととは一体何か。



(ま、まさか、私に惚れちゃって、恋人の有無とか、好きな男性のタイプとか、いやいやもしかして求婚とか!!??)


 アンナは緊張に耐えきれなくなり目の前の葡萄酒を一気飲みする。ロレンツが小さな声で言う。



「嬢ちゃん、お前さ……」


「は、はい……」


 緊張の面持ちのアンナ。

 ロレンツが右手の甲を見せながら言う。



「この模様、見えるのか?」



「は?」


 アンナは愕然とした。

 期待していただけに、そのハートが崩れたような趣味の悪い模様について聞かれがっかりした。むっとして答える。



「見えるわよ。その悪趣味の模様」


「そう、か……」


 ロレンツはアンナの方を向き、その顔をまじまじと見つめる。真剣な表情のロレンツ。少しだけがっかりしていたアンナに緊張が走る。



(え、え!? な、なに!? 私、変なこと言っちゃった!? それともこのままキスとかされて……)


 ロレンツはアンナをしばらく見つめた後、何事もなかったかのように前を向いて酒を飲み始めた。



(え、え、え、ええ!? 何よっ!! 話振って置いて、それで終わり!? ふ、ふざけないでよ!!)


 黙ってグラスを傾けるロレンツを真横で凝視するアンナ。

 イライラとむかむかと、ちょっとのどきどきが混ざった不思議な気持ち。何か言ってやろうと思ったアンナだが、先にロレンツが再び尋ねた。



「なあ、あの夜のこと、覚えてるか?」



(え、ええっ!? な、なによ、夜って!? 私がゲロ吐いた夜でしょ?? 他に何かあったの?? ま、まさかやっぱり私はこの人に酔ったところを襲われて……)


 真っ赤になって震えるアンナ。

 全身から汗が吹き出し、妙な緊張で唇が渇く。



 ゴクゴクゴク……


 思わず目の前にあった葡萄酒を一気に飲み干す。少し驚いたロレンツが言う。



「あの夜、あの男達のことだが……」



(あの夜、男達、ですってぇ~!? ま、ましゃか私、たくさんの男達に襲われたとかぁ~!!??)


 少しずつアルコールが回って来たアンナ。正常な思考が徐々に崩れて行く。



「わ、私ぃ、襲われたの……??」


 ロレンツが頷いて答える。


「襲われた」


 驚くアンナ。小さな声で尋ねる。


「あ、あなたも一緒に、わたひぃを、襲ったのぉ??」


 ロレンツが困った顔で言う。



「何、訳の分からないこと言ってんだ。その前に俺が防いだ」



(ん? え? この人が防いだの?? い、一緒になって襲おうとしたんじゃないのぉ~??)



「命を狙っていたんだ。嬢ちゃん、何か心当たりはないのか?」



(ん? 命??)


 酔ったアンナでもようやくロレンツの話している意味が理解できた。同時に感じる羞恥心。



(や、やだ私って、一体何を想像していたのかしらぁ~)


 アンナは恥ずかしさと興奮で思考回路が崩壊した。




「ねえ……」



「なんだ?」


 アンナがロレンツの肩に手を回して言う。



「今きゃら、あんたのうちに行くわよぉ……」


「は? お前、何を言って……」


 アンナがロレンツの首を腕で締め付けながら言う。



「りょーりーを作るのっ!! りょうーりーなのっ!!!」



「りょ、料理!?」


 首を絞められたロレンツが苦しそうに言う。アンナが短い銀髪を撫でながら言う。



「そうよぉ~、そうだけど、違うのっ!! あんたぁの為じゃないの、イコちゃんのためなのぉー」


 アンナはそのままロレンツの腕を引っ張り店を出る。



「さぁ、さぁあ~、行くよぉ~!!」


 そう言って強引に歩き出す。



(やれやれ……)


 ロレンツはもう少し話がしたいと思っていたのと同時に、イコが喜ぶのならまあいいかと思い直した。

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