覆面バーの飲み比べで負かした美女は隣国の姫様でした。策略に嵌められて虐げられていたので敵だけど助けます。

サイトウ純蒼

第一章「氷姫が出会った男」

1.氷姫、出会う。

 その美しい姫は城内でこう呼ばれていた。


 ――氷姫



 可憐で気品あふれる彼女だったが一部の者を除き、接する態度は氷のように冷たくまるで感情を持たぬ人形のよう。数か月前に父である国王が行方不明になったこともそれに拍車をかけていた。



(明日は公休日。じゃあ、行きましょう……)


 そんな彼女、アンナ・キャスタールが唯一楽しみにしていたのが、中立都市『ルルカカ』にある覆面バー。マスクやフードを被り、身分を明かさずにお酒を楽しむ場所である。

 最初は庶民の暮らしを学ぶために通っていたのだが、お酒を覚えたばかりのアンナはいつしかそこでの時間を楽しみにするようになっていた。



 そして今宵。

 そのバーで運命のひとに出会う。






 中立都市『ルルカカ』。

 戦時中でも決して争いが起きない場所。交易の中心でもあり、もし仮にここが戦火に見舞われるならば周辺国の物流が停止するため不可侵条約が結ばれている。

 その『ルルカカ』にある一軒のバー。夜にしか開かないそのバーは通称『覆面バー』と呼ばれ、様々な人が身分を隠し心の疲れを癒しに集まって来る。



 ネガーベル王国の姫であるアンナもそのひとりだった。

 国王が行方知らずとなってから国政を担うようになったが、まだ若く未熟な彼女への風当たりは強く、懇意にしていた貴族達も踵を返すようにその元を離れて行った。



(私じゃ、何もできない……、お父様、一体どこへ……)


 カウンターに座りひとりグラスを握るアンナの目が赤く染まる。

 長く美しい金色の髪。すらっとした彼女はマスクをつけていてもその美しさは隠しきれない。実際、これまでも何人もの男が彼女に言い寄ったが、すべて適当にあしらい相手にすらしていない。



(今日は人が多いわね。明日お休みだからかな)


 アンナはむわっとした空気漂う店内に目をやる。

 たくさんの人が酒を飲み楽しそうに会話している。男女、男だけのグループなど様々。カウンターにいたマスターが店内に新たに入ってきたひとりの男に言う。




「どうも、今日は混んでましてね。さ、そちらのカウンターへどうぞ」


 アンナの耳にバーのマスターの声が聞こえる。



(ん?)


 同時に空いていた自分の隣の席にひとりの男が座る。



「邪魔するよ、嬢ちゃん」


 その男、銀色の短髪で逞しい巨躯の男。溢れる男臭さに渋さが混じる。アンナが答える。




「え、ええ……」


 一瞬どきっとしたアンナが小さく返事をする。

 男はそんな彼女に見向きもせずに、マスターが置いた酒を黙って飲み始める。



 沈黙。

 黙々とマイペースで酒を飲む男に対し、隣に座ったアンナはなぜか緊張し、何をしていいのか分からずグラスを次から次へと空けて行く。そして程よく酔いが回った頃に、耐えきれなくなって男に言った。



「ねえ……」


「……」


 無言。男は前を向いたまま答えようとしない。



「ねえ、どうして黙ってるのよ」


 男はちらりとアンナを見ると再び前を向いてグラスを口に運ぶ。アンナがむっとして言う。



「私が話し掛けているのに、どうして何も答えないのよ!!」


 少し大きな声。

 ようやく男がアンナの方を少し向いて言った。



「俺に、話し掛けているのか……?」


 アンナは金色の美しい髪を手でかき上げながら更にむっとして言う。



「あなたしかいないじゃない!! そもそもこんなに若くて可愛い女の子が隣にいるのにぃ、どーして何も話そうとしないのよぉ!!」


 酔いと興奮でアンナ自身、一体何を言っているのかよく分からなくなってくる。男が答える。



「用がないからだ」



(むかっ!!!)


 アンナは顔を真っ赤にして怒る。手にしていたグラスの酒を一気飲みにしてから男に言う。



「あなたぁ!! 自分じゃ、カッコひぃ~とか思ってんでちょ!? バッカじゃないぃ~? うぬほれよ、うぬほれっ!!」


 既にろれつが回らなくなっているアンナ。興奮と酔いで感情のまま思ったことが口に出る。男が静かに答える。



「俺はひとりで静かに酒を飲みたい。それだけだ」


 アンナが目を赤くして言う。



「な、なひよ、それ!? あなたまで、あなたまで、わたひぃをそんな風に言うの……??」


 無言の男。前を向いたまま答えようとはしない。アンナが男の方を向いて言う。



「勝負よぉ!!!」



「勝負?」


 男が横目でアンナを見て言う。アンナが答える。



「そう、しょーふ!!! 酒の飲み比べで、勝ったほーが、何でもひうことを聞くのぉ!! いい!!??」


「なぜ俺がそんなことを……」


 そう言いかけた男を無視してアンナが新たにグラスに入れられた酒を一気に飲み干す。



「ぷはーーっ!! わたひぃ~は飲んだよぉ~!! さあ、あなたぁ、あなたぁ!!!」


 そう言ってアンナは男の前にあったグラスを持ち彼の顔に押し付ける。



(やれやれ……)


 男は内心そう感じながらも逃げられないと思い、グラスの酒を一気に飲み干す。それを見たアンナが手を叩いて喜んで言う。



「ひひじゃない~!! ひひよ、ひひよぉ~!! じゃあ、次はわたひぃ!!!」


 そう言ってアンナがグラスの酒を次々と空けて行く。男も半ば強制的に飲まされ、数杯飲んだところでアンナが先に音を上げた。



「ぐほっ、ごほっ、うごっ!!!!」


 カウンターに頭を乗せてむせるアンナ。一切顔色も態度も変えない男が彼女の背中をさすりながら言う。



「大丈夫か、嬢ちゃん。これくらいにしておかないと……」



「あなひゃの勝ちぃぃぃ!!!」


 アンナは急にがばっと上半身を起こして叫ぶ。男は困った顔をしてアンナを見ながら言う。



「そんなことどうでもいい。子供はもう家に帰んな」


 アンナは男の言葉を無視して言う。



「さー、わたひぃは何でも言うことを聞くよぉ~!! 言ってごらん、なになに?」


 男は眉間に皺を寄せてあからさまに困った表情を浮かべる。

 酒の匂いとざわざわと騒がしい店内。皆自分達の会話に夢中でアンナと男の会話は聞こえない。男がアンナに言う。



「別に何もねえ」



(むかっ!!!)


 アンナは酔いながらも怒りの感情だけはしっかりと感じていた。先ほどよりも更に大きな声で言う。



「なひ、それ~!! 言いなさいよぉ!! 言ひなしゃ……」



「じゃあ、黙っていてくれ」



「ん?」


 男はアンナの声を遮るようにしてそう言った。



「黙って座ってろ。それが望みだ」


 そう言うと男は再び前を向いて静かにグラスを口に運ぶ。




(むかっ、むかっ、むかっ、むかああああっ!!!!!!)


 アンナは悔しさの絶頂の中にいたが、自分が負けたことはしっかりと理解しており相手の言うことに従わなければならないこともちゃんと分っていた。

 それでも腹の虫がおさまらないアンナが男に言う。



「こんなに可愛ひぃ、わたひがいるって言うのに。なによぉ、それぇ。ぶつぶつ……」


 男は前を向いて黙って酒を飲む。隣のアンナは目の焦点が合わない酔った顔で独り言を言い続ける。



「わたひぃは、どうせぇ、何もできなくて……。聖女ときゃ、ううっ、もう、無理でぇ……」


 男は変わらず黙って酒を飲む。アンナが男に言う。



「あなたぁ、わたひぃなんか、どうでもいいんでしょ~、わたひぃなんか……」


 それでも何も喋らない男にアンナがむっと来て言う。



「しょーぶよ、しょーぶっ!! 飲み比べっ!!! もうひっかい、さあっ!!!!」


 そう言ってアンナは目の前にあったグラスの酒を再び一気飲みする。



「う、うえっ……、うげげげっ……、ぐほぐほっ!! さ、さあ、今度はあなたぁのバンよ……」


 男はグラスを口まで持ってくると一口も飲まず、そのままカウンターに置いた。そして言う。



「俺の負けだ。嬢ちゃん、あんたの勝ちだ」



 近くにいたマスターが小さな声で男に言う。


「いいのかい?」


「ああ、今日飲む分の金も尽きた。俺の負けさ」


 男が初めて少しだけ笑って言った。

 アンナはずっと下を向いたまま動かない。男が声をかける。



「嬢ちゃん、お前の勝ちだ。言うことを聞いてやる。何かあるか?」


 アンナは真っ赤な顔を上げて男を見つめる。



(涙……)


 男は初めて彼女が泣いていることに気付いた。アンナが涙を流しながら言う。




「……救って」



(!?)


 意味が分からない男にアンナが再度言う。


「あなたぁ、何でも言うことぉ聞くんでしょ……、救ってよぉ、わたひぃを……、救って……」



 酔ってはいるがその言葉に嘘偽りの気持ちはないと直ぐに分かった。



「……分かった」



 男は小さく答えた。アンナがちょっとだけ嬉しそうに言った。



「ありがとぉ、約束だよ……」



「ああ」



 アンナはカウンターに頭をドンと乗せ、横を向いて男に言う。


「名前ぇ、教えてよぉ。あなたぁ、の、なまへ……」



「頼み事はひとつじゃなかったのか?」


「……」


 とろんとした目のまま答えないアンナ。男が言う。



「……ロレンツ、だ」


 それを聞いたアンナが少し間を置いてからにこっと笑い言う。



「わたひぃは……、ぁん、にゃ……、だよぉ……」


 アンナはそう言うとすっと意識が遠くなった。



 まるで夢のような感覚。心地良い幸せな夢を見ているような気持ち。

 だがアンナはその男、ロレンツがこの先、自分そして国をも救ってくれる事になるとは、まさかそんな夢にも思っていなかった。

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