凍った花は春の陽気に照らされて

熾水

プロローグ


「はぁ〜、やっとあの商談成功したわね」

「ああ、予定より長くかかったな」

「そう言えば、明日でしょ?ウチの課に新人の子が入ってくるの」


ライトブラウンの髪を緩く巻いた、メイクもネイルも完璧な美意識高め女の工藤絵理子が、その細くて白い指でキャスターホワイトを一本抜き出しながら、何気なく問いかける。

それを受けたのは、艶のある漆黒のさらりとしたロングヘアを無造作に流した、切れ長の鋭い目が特徴の佐伯香織だ。

香織はすでに口に咥えたピースライトに火をつけてから、ゆっくりとひと吸いし、「そうだな」と短く答えた。

素っ気ない香織の返事など気にもしていない絵理子は、そのぷっくりとした赤い唇に咥えられたタバコに火をつけ、軽く吸ってすぐに煙を吐き出してから、「可愛い女の子だったら良いんだけど」と一言。

社内に設置されたガラス張りの喫煙室で、煙を吐き出す片手間に会話をする二人は、視線すら合わさない。


「女だろうが男だろうが、仕事さえやってくれれば問題ない」

「えー、男なんて嫌よ。つまんない。胸とかお尻とか、遠慮なく見て来るあの無神経さ、どうにかならないのかしら」

「だったら着飾るのをやめればいいだろう」

「それは嫌。私自身を彩るのは私の生きがいなの。それに可愛い子に出会った時、綺麗なお姉さんでいた方が落としやすいし」


すらすらと淀みなく発された自信満々のセリフに、溜め息と同時に煙を吐き出す香織。

そんな香織の反応を受けた絵理子は、手持ち無沙汰に香織の黒髪を指で梳き、ボソッと呟く。


「あなたもちょっとくらい、おしゃれしてみればいいのに」

「……必要ない。着飾る理由もないし、面倒くさいだけだ」

「何よ。いつ運命の人に出会うかなんて分からないじゃない」

「それこそ不要な心配だ」


デフォルトの無表情を崩さずはっきりと言い切った香織に、今度は絵理子が煙混じりの溜め息を吐いた。

そしてつまらなそうにボソッと呟く。


「強情ね。髪だけ綺麗マンめ」

「何だそのダサい名前は。お前がくれたシャンプーを使ってるだけだ」

「あ、使ってくれてるのね。いい香りでしょ?」

「さあ、気にしたことない」

「なっ…!あれ高いんだからちゃんと香りまで楽しみなさいよ!」

「知らん」


絵理子の小言をバサッと切り捨てた香織は、「先に出るぞ」と言いながらタバコの火を揉み消し、そのまま喫煙所を出て行った。

一人残された絵理子は、遠ざかっていく香織の後ろ姿をガラス越しに目で追いながら、一人思った。


(どこかにいないのかしらね。あいつの凍った心を溶かしてくれる人……)


香織の背中を見つめるその目には、少なからず心配の色が見える。

が、すぐ、その考えを断ち切るように一度目を閉じた絵理子は、最後のひと吸いを長めに行うと、香織が歩いて行った方へ煙を吐き出した。


「ま、私には関係ないか」


気持ちを切り替えるようにそう言った絵理子は、かなり短くなったタバコを灰皿で揉み消すと、喫煙所から出て行くのだった。

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