第38話 勇者様、竜の廃墟に向かう

 朝日が東から登り始め、小鳥のさえずりが夜明けを教える。オレンとミーヤはその歌声で目を覚ました。二人は、食卓で軽い朝食をとる。ミーヤの機嫌はすこぶる良い。理由は説明するまでもないが、この六年間で一番の笑顔を見せながらしゃべり続ける。

「やっぱりさー。クレメンタイン様は女神さまなのよね。ずーっと、私たちを見守ってくれてたんだー。」

 今朝だけで何度目かの話を繰り返すミーヤ。オレンは優しくそれに付き合う。

「ハハハ。そうさー、そうだよ。」 笑いながら、話を合わせるオレン。しかしそれがミーヤに届いているかは怪しい。

「そんな女神さまから直接お言葉をいただけるなんて、ありえる? ありえないでしょ? でもありえたのよ!」

 ミーヤは興奮し、オレンは微笑みながら聞いているが、自分の妹にうなじを撫でられるようなムズムズさを感じる。

「ハハハ…。」

「カカマジ続けてホントよかった。クレメンタイン様はそんじょそこらの勇者とは格が違うのよ!」

 妹が幸せそうなのは喜ばしい事だが、放っておくと何処までも続きそうで、オレンもだんだん付き合いきれなくなる。特に今日はいつもの仕事に加えて、ルガーツホテル用のリンゴも出荷しなければいけない。そろそろ何とかこの無限ループからの脱出を試みる。

「ハハハ…。さて、じゃ、そろそろ朝の仕事始めよう、かな?」

「そうそう、私達のリンゴが育つのも絶対クレメンタイン様のお陰なのよね。」

「ハハハ…。」

 オレンの顔が引きつり、ムズムズがイライラに変わってくる。ミーヤはかなり重症で、どんな薬なら効果があるのか、コハクフクロウの人たちに相談しようか、はたまた、塩の天秤ならいい薬を持っているのか、そんな現実逃避の企てをオレンに考えさせた。そんな浅い思案をしているオレンを尻目に、

「お兄ちゃん! 何やってるの? ほらさっさと行くよ!」 と、いつの間にか準備を整えミーヤは急かす。

「んっ! ああ、ゴメン…。」 オレンは反射的に謝ったが、考えれば考えるほどそれは納得できるものではなかった。


「風の精霊よ。その実と綿毛のごとく舞い遊べ!」

 いつもの様にリンゴの木の前で、ミーヤは魔法を唱え上手にリンゴの実を操作する。オレンは空に浮かんだリンゴを手際よく回収する。ミーヤの感情が魔法に反映されて、本当に踊っているかのようにリンゴの実は空を舞った。そのリンゴとミーヤの振る舞いは、先ほど受けた理不尽を帳消しにさせるほどに、オレンを楽しい気分にさせた。そんな心地良さがオレンの口を緩ませる。

「いやー、ミーヤがそんなに喜んでくれるなら、昨日キンプーサまで行ってきたかいがあったよ。」

「え? なにそれ、どうゆうこと?」 ミーヤは聞いてない話を聞き返す。

「実はさー、昨日クレメンタイン様に直接会ってさ、その時お願いしたんだよね。カカマジにメッセージを送ってくださいってさ。まさか、その日のうちにやってくれるとは思ってなかったけどさー。」

 オレンはもはや隠す理由がなくなったクレメンタインとのやり取りを、作業を続けながら、微笑んで簡素に話す。

「はあっ?!」 それを聞いた途端、ミーヤは大声を出した。

 その大声はミーヤの魔法を強制的に止めさせた。宙で踊っていたリンゴは全てポトポトと自然落下する。オレンは咄嗟に、声を上げたミーヤを気にするよりリンゴを心配して、地面に落ちたリンゴを慌てて拾った。そんなオレンの姿を見て、ミーヤは怒鳴る。

「…お兄ちゃんは、何もわかってないっ! 馬鹿っ!! 知らないっ!」

 そう叫んだミーヤはぷいと顔を背けると、作業をそのままにして走って行ってしまった。その場に残されたオレンは、何が起こったのか、何が怒らせたのかさえもわからず、しばらくただ立ち尽くしていた。

「…何だよ、いきなり怒って…。俺の気も知らないで…。」

 オレンは不満を呟きながら作業を続ける。そのミーヤの振る舞いは、先ほどの楽しい気分を帳消しにさせるほどに、オレンを不快な気分にさせた。オレン一人で続けた仕事は、いつもの倍以上の時間と労力がかかった。

「俺だって喜ばせようと思ってやったのに、それをあんな言い方しなくてもいいだろ…。」

 時間の経過が怒らせた原因の輪郭を露にさせる。だがそれ以上に、ミーヤの振る舞いが許せなくなってそれを口にしてしまう。兄妹の間で、厚意を無下にされて怒るのは愛情の裏返しであったりするのだけれど、冷静に受け止められるだけの心と時間の余裕を、今のオレンにはとても用意できなかった。


 オレンは馬車で村の家々を回り、遅くなったことを詫びながら日課をこなす。そして、最後にリシャの家に着いた。リシャの家の前で、オレンは兄弟喧嘩したことがバレないように、深呼吸して気持ちを落ち着けてから中に入った。

「リシャおばさん。おはよう!」 いつもの様に振舞うオレン。

 リシャは、食卓で老いた父親と共に食事をしていた。オレンを一目見て、リシャは言う。

「なんだい? 今日は遅いじゃないか。ミーヤと喧嘩でもしたかい?」

 一瞬で的確に急所を突かれたオレンの表情は固まる。その表情を見てリシャは笑った。

「ハッハッハッ。まさか図星かい?」

「…。まいったな~。…んー、喧嘩っていうかさ、一方的にキレられちゃって…。」

 オレンの配慮はリシャに余計な心配をさせない為のものだったが、刹那で看破され、なんともバツが悪い。余りの見事さに誤魔化しても無駄だと悟り、取り繕うのは諦めてオレンは正直に話した。その姿はリシャを余計に笑わせる。

「ハッハッハッ! それこそ、いつもの、喧嘩じゃないか。やれやれ、お兄ちゃんは全く成長しないねぇ。」

「…。そんなに笑わなくても…。でも今日のはちょっと、俺も許せなくて…。」

「…、そうさねぇ。大方、お兄ちゃんが妹に、世話を焼き過ぎたってとこじゃないのかい?」

 リシャはオレンが何をやったのか、見ていたかのように言い当てる。しかし、その正解の精度の高さが、かえってオレンに認めさせることを妨げる。

「…。そんなことないよ…。でも、俺だって喜んでもらえると思って…。」

「…、まぁそれだけミーヤが大人になった、ってことじゃないのかい? フフフッ。」

 オレンを笑うリシャの言葉には慈しみがある。それは、両親が死んだ六年前から数年間、親子同然で過ごしたオレンとリシャの間にある、表面上の言葉を超えた信頼関係である。そしてそれは、オレンとミーヤの間にもあるものなのだが、その距離が近すぎることがかえって、オレンの視界を曇らせていた。

「…。俺、もう行くよ、時間もないし。あ、何か用事あったりする?」

「いいよ、いってらっしゃい、お兄ちゃん。」

 リシャに送られてオレンはカカミへと向かう。リシャに話したことで少しは気が楽になったが、オレンにはまだ蟠りが残る。しかしそれはもうミーヤに対してではなく、オレン自身の問題となっていた。


 カカミに着いたオレンは、いつものように市場で取引と雑用をこなす。ここでは多少時間が遅れたとしても、取引の順番が前後する程度で大した問題にはならない。オレンにとって心配なのは、ルガーツホテルへの出荷だった。仮に時間を守れなかったとしても即取引中止とはならないだろうが、その裏にカラダリンがいる事を知っている今となっては、印象を悪くするようなことは避けたい。なにより、いい仕事を紹介してくれたショーゴに迷惑をかけるようなことは、もう二度としたくなかった。

 カカミでの仕事を終え、余裕のない今日は火竜亭に寄らずにユーザへ向かう。その道中、オレンはロシナンテの遅い脚に揺られながら、今の状況をあれやこれやと思案する。塩の天秤が持つような速い高級馬車、もっと欲張れば黒竜ケルナーが使えれば便利だろうなと、想像する。元よりオレンに他の手段など用意できるわけもないが、そうでもしていないと、今朝の事を思い出してしまいそうだった。

 何の力もないオレンにできる事は小さく、取り得る選択肢も狭い、その中で選んだ行動が良い結果を生むとも限らない。オレンにはそれが当たり前で、そこに不満などないのだが、だからといって理不尽を無制限に耐えられるわけもない。まるでそんなオレンの心の内を映すかのように、空もどんよりとした灰色の雲が覆い始めていた。

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