人生二週目ではない。

さくさくサンバ

人生二週目ではない。

 一目惚れした。


 びっくりしたよね。気分は出合い頭の貰い事故だ。

 いやいや。

 ハンカチを拾ってあげたの。僕がね。僕が彼女のハンカチを拾ってあげたわけ。

 入学式に向かう心地よい緊張感を持て余す朝の通学路で、少し先を歩く女子生徒から何やらひらりと零れるものがあったのさ。

 もうとっくに周囲は僕や彼女と同じ服装をした人ばかりであって、どの顔どの背中にも大なり小なりのこわばりが見て取れる中の出来事だった。

 さて、数歩の距離で僕が一番近かった。進行方向的にもそれは当然、拾い上げた。僕は紳士を名乗る気はないが紳士のようだと言われたらちょびっと嬉しいような人間だ。つまりなんともありふれた小市民なのである。

「落としましたよ」

 そういうわけでもちろんもちろん、ちょっと期待はあった。

 後ろ姿だけなら黒髪ロングの巨乳美人さん。後半は願望と僕のヘキだ。兎にも角にも制服に表れる輪郭線やスカートから伸びる脚や稀にチラ見えしていた横顔や、そういったものからの推測と願望と僕のヘキによって、目の前の女子生徒は黒髪ロング巨乳美少女であると、そういう期待があった。

 はい。もしかしてお近づきになれないかなぁって期待です。悪いか? こちとら15の少年。思春期と書いてサルと読むこともあったりなかったりする年頃なんだぜ?


 うわおっぱいでっか。




 一目惚れした。

 いや違くてね?

「あ……すみません。ありがとうございます」

 僕の手を掠めてハンカチを受け取った女子生徒の、その微笑みに一目惚れしたってこと。

 決して振り返って跳ねたぼいんだとか、ハンカチを握った手にぐにゅうと圧し潰されるたわわだとか、そんなものだけが理由じゃないのだと僕は声を大に主張させていただきたい。


 にしてもでけぇなおい。


「あの、新入生、ですよね? 私と同じの」

「はい。あなたに出会い新しい生を受けました」

 一目惚れとかおっぱいが大きいとか、そういう事態にあっても冷静を保てるのが僕の数少ない長所だ。

「新生ではないですよ? 入を勝手に捨てないでください」

 だから彼女が全く平静のままに、なんなら微笑みを深くして言葉を返してくれたことにも動揺することはない。

「いやぁ、そのおっぱいは正しく乳だと思いますよ」




 出合い頭の貰い事故。

 と言うには間違いなく、僕の過失が10だった。

 桜が一枚増えた通学路で、僕は一目惚れをしたのだ。



「あ、バカだ」

 信じられるか? これ、初対面の第一声なんだぜ?

 式の前に教室でドキワクの時間を過ごしていた僕は、隣の席から最速の罵倒を頂戴した。

 はい君の学校生活の第一歩はバカです。バカと発言したのが高校入学後に最初にしたことだと一生悔やむがいい。

「おーい、バカぁ? ねぇ聞いてるぅ?」

「なんでしょうか。なに用でしょうか。よろしくお隣の方。自分はあまり喋らないたちなのでそこんところもよろしくどうぞ。ちなみに独り言は多いんだけど席間違えてますよどうでもいいけど」

「めっちゃ喋るし……え、間違えてる? マジ?」

 そんなことあるぅ? 右隣から教室前方貼り紙前へ。そして左隣へ。バカはどっちだという話だ。

「くそぅ……にやにやすんなよぉ!」

 してないけどね。主観的にはね。僕はただ純粋にしばらくは隣人になるだろう女子生徒を観察していただけのことだよ。

 茶髪セミロングの普乳美少女です、か。

「わっ、急に真顔になんないでよっ」

 今日は入学式で、下駄箱前でクラスを確認した生徒たちはまず自分の教室に集まる。つまるところここが第一の戦場というわけ。たぶん担任だかなんだか先生が声を掛けに来るのだろうが、それまでに如何に交流の礎を築けるか。スクールなカーストの天下分け目は往々にして初戦初手で決するものだ。

 でもまぁ、僕はひとまずこの桜が散るまでは山の如く動かずにいようかと、そう思いながら頬を摩る。

「おーい、窓開けてくんねぇー」

「あいよー」

 早速の使い走りくらいはするけどね。


「ちょちょちょい、もうちょっと興味持っていこ? 美少女だよ?」

 春風を呼び込んだ戻り際のこと、上目遣いを寄越してくれる女子生徒は臆面もなく自分の顔を指差していた。



 驚くことに、おっぱいの大きいじゃなかったハンカチを落とした女子生徒も同じクラスであった。

 おかげさまで僕は気もそぞろに校長先生のお話を聞き流すことになってしまい、まったくちっとも不本意なことだがなってしまい、戻ってきた教室内に自己紹介の進行をそわそわと待ち受けている。

 担任教師が次を指名する。

「飯島洋子です。よろしくお願いします」

 うんうんよろしくよろしく。横から「うっわちょい、うわ」とか聞こえてくるけど吐くならトイレ、気分悪いなら保健室に行ってください。肩くらいは分給百円で貸すよ?

 艶やかな黒い髪を指先に絡ませる照れ隠しが可愛い飯島さんの自己紹介は今日一の静寂の中で行われた。立てば芍薬らしいが話せば鶯かな?

 しかしなんだこのクラスの男子共は。あからさまに態度を変えおってなんなんだその真剣な聞く姿勢は。先ほどまでも静かにはしていたが今は、傾聴させていただきます! 状態だ。そういう贔屓がモテない理由なんだよなぁ、やれやれ。

「趣味は……実は、その、アニメや漫画を見たりゲームしたり、そういうことがその……好きです」

「僕も好きです」

 あーあーあー、途端に男共が騒ぎ出した。質問タイムはまだだというのに「どんなアニメ見てるの!? 今期は!? 今期の推しは!?」とか言われても飯島さんも困るだろうに。あとすごくどうでもいいけど質問が六割、僕へのブーイング四割だけど後者はどうでもいいよね? 聞くに堪えないよまったくねぇ。

 呆れて座り直した僕に神殺せそうな槍みたいな視線が突き刺さった。

「どうかした? 緊張でお腹痛いなら摩るよ?」

「あんた神経ピアノ線で出来てるの?」

「それは体重がすごいことになりそうだね。わからないけど。線とは言っても鋼鉄だからたぶん重いよね?」

「知るわけないじゃん……」

 でしょうね。

 担任の先生が事態を収拾した後になぜか僕の今日の放課後に少々の拘束予定が発生し、飯島さんの自己紹介は恙あり終わった。

 あとは割愛。



 これは僕が常々思っていることなのだけれど。

 人生は捨て鉢に生きた方がいい。

 一度きりの人生であり、他人はどこまでいっても他人でしかない。ということはだ。

 余程でない限りは自分最優先が最善最良ではなかろうかと、そう思う次第なのだ。

 失敗? 繰り返していこう。

 迷惑? かけまくっていこう。

 恥? の多い人生を送ろう。

 後悔? 掃いて捨てるほどに。


 これは僕が常々思っていることなのだけれど。

 この、僕の考えというものは、大抵の場合は眉を顰められてしかるべき身勝手極まっちゃった馬鹿げた発想だ。そのはず、なんだけどなぁ。

「わかります。他人の目を気にしてやりたいことを言い出すことも出来ず、もしかしてなんてまだわかってもいない迷惑を勝手に考え込んで動けないなど……そんなものは恥をかかないだけの後悔ばかりの一生になるんです」

 ひょんなことから人生論を詳らかにするという拷問を受けた僕に飯島さんは激しく同意した。

 いや、君はとても誠実かつ真摯、品行方正に学校生活を送ってますよね?

 とある七月のある日の放課後、西日が差し込む教室の隅である。

「そうですそうです。百合っても腐ってもヤリたい子とヤッた方がいいに決まってます」

 なぜかな? なんだか僕、耳鼻科に行きたい気分なんだ。


 そういうわけでどういうわけで、僕の熱烈な迷惑行為をもってして、飯島さんとは良好な関係を築けているのであった。普段は見ることのないおっぱい豊かな訂正感情豊かな表情の数々というものも、こうして明け透けに見せてくれるほどに。

 二次元的趣味嗜好とは別に、三次元的溜まったものの発散に僕はどうやら都合のいい存在であるらしい。

 だから常々思ってるわけ、バカのように生きろってさ。

「ですので、早く遥香ちゃんと一発ヤッてしまってくださいね」

 でもやっぱ限度ってあるよね?

 僕の左隣に陣取った飯島さんが本来の主である生徒の名前を口にするとともにペンペンと机を叩く。お尻に敷いた机をだ。

 品行方正に学校生活を送っている風を装ってますよね?

「友達は大切にしようよ。間違ってもクズとの仲を取り持っちゃいけないよ」

 飯島さんと佐伯さんは大層仲が良く、僕はその友情が欠ける未来を想像したくない。

 制服を脱いだ姿というものが予想外の奔放さに彩られていた飯島さんと違って、佐伯さんは球体な活発快活の良い子なんだから。つまり裏表がないってことね。

「クズでもゲスでも、好きな男の子に抱かれたいものですよ、女の子なんていうのは。男の子が下半身で生きているように女の子は情で生きるんです」

「素晴らしい解釈をありがとう。色んなことが腑に落ちたよ」

 憧れみたいなものを棚上げして双子の霊峰の誘惑に抗えなかった僕、そして罪悪感やら達観やら希求を抑えられなかった飯島さん。

 なるほどなるほどだ。

 嘘か真か飯島さんは。


 人生二週目であるという。



 その秘密だか妄想だかを僕が聞かされたのは一か月ほど前のことであり、下手くそなピロートークをなんとか持たせるジョークの類であったのかもしれない。どんな経験豊富も最初ははじめてスタートなんだから仕方ないじゃないか、僕の口が倦怠感と眠気に勝てなくってもさ。

 二人分沈み込んだベッドの上で飯島さんはしずしずと語ったのだ。

「私は、いわゆる人生二週目の、やり直し転生の、強くてニューゲーム人間なんです。前の人生はなんの起伏もないもので、恋人もなくそれどころかセックスの経験もないままいよいよ三十路を迎えようとしていて……しこたま酔い潰れた帰り際に何がどうなったのか気が付いたら十三歳の自分に戻っていました」

 夢かと思ったけれどあまりに鮮明な記憶が、しかも正夢の百倍は的中するし、一週間もしたら受け入れたとのことだった。自分が一度目の人生で恐らくはしょうもない死に方をして二週目にコンティニューしたと。

 はっはっは。


 バカじゃねぇの?


 いやいや。

 僕はおっ立っていたものも萎れるくらいに白けたよ。そりゃ当然でしょ?

 荒唐無稽の与太話を聞かされちゃおっぱいの柔らかさも感じやしない。

「人が話している間ずっと胸を揉み続けるのはどうかと思います」

 とか常識人ぶっても、こっちはもう飯島さんを頭のおかしな人カテゴリにぶち込んでいるし聞き流した。あぁやわらけぇ。

「へぇ、すごいね」

 その時には、僕はとりあえず二回戦目の後に考えることにしたのだ。

 それはそれ、これはこれ。実に素敵な言葉だよね。



 とまぁ、そんなことがあってからというもの、僕と飯島さんは時たま同じ布団を被ってトンチキな会話をしたりしている。

 やれ宝くじがどうの。本当にありがとう飯島さん。僕の将来の夢がヒモになったことだけは恨むよ。

 やれ本来の自分はどうの。そんなもの考えるだけ無駄だろう。意識、魂、人格。そんな風に呼ばれているものの正体も所在は誰も知らないのだから。

 そういった話の中には僕のこともあった。

「結婚、していましたよ。お子さんもいて……幸せそうにしていました」

「へぇ、すごいね」

 実感ゼロ。当たり前だよねぇ。未来の僕って今同じ時間を生きてるアフリカの部族の人くらい他人だもの。でもなんとなく満更じゃない気分ではあった。

「結婚かぁ……それって、相手って誰? もう出会ってる人? 例えば同じクラスの誰かとか」

 飯島さんは答えなかった。

 僕も追及はしなかった。

 たぶんきっと、それを聞くことに意味はなく。

 たぶんきっと、それを聞いてしまえばすべてが終わるから。

 すべて、というものの正体と所在を誰か教えてくれないだろうか。



 しかして僕には一つの予想があったりもする。

 秋が深まって久しく、女子の薄着が恋しくなってきた季節に、体育座りで物思う。

 もしかしてもしかすると僕の結婚相手というのは佐伯さんだったりするのだろうか。

 バスケに勤しむおかげでそれなりの揺動を見せる胸部を眺めながら考える。

 かれこれ四か月以上も続いている不純異性交遊だが、裏に表に飯島さんは世話を焼こうとしているのだ。

 僕と佐伯さんの関係の。

 うん、くっそ厄介。正直うんざりしてはいる。さすがに自称精神年齢で僕の倍を生きる人だ。飯島さんはおばさんってこんな感じだよねって感じのウザさを時折発揮している。

 ぼーっとしつつ思い浮かべるのは、ごめんなさいを繰り返しながら僕の背中を傷だらけにする顔であり、仲良くしないといけませんよと僕と佐伯さんを口では窘める顔だ。

 さて、僕はどうすればいいのだろうか。

 どうすれば飯島さんを笑顔に出来るだろうか。

 だってもう随分と温もりを交わしてしまった。飯島さんに言わせれば情に生きるのは女性だけれど、男だって情は湧くし惜しくもなるし絆される。

 知らんけど。とにかく僕はそうなのだってこと。

「見てた見てた!? すごかったでしょ私ってば! ほれほれ褒めろぉ、我を褒めよぉ」

 だから、飯島さんにはこのウザ絡み少女くらいには笑ってもらいたい所存。


 伸びる鼻の下をどうにかこうにか収縮させつつ、距離感というものがバグっている佐伯さんを押しのける。

 ちなこれ、ポーズね。そういうポーズ、振り。実際には押しのけるつもりはないてかなんなら抱き寄せたい。

 僕はクズでゲスなんだ。

「見てたよ。バスケやってたんだっけ?」

「やってないよ?」

 いまいち伝わっていなさそうなので補足する。

「元バスケ部かと思った。そのくらい上手かった、上手いと思ったってことだけど。にしてもほんとなんでも出来て羨ましいよ」

「あはは、お互い様じゃーん」

 とは言ってくれるけど、僕は佐伯さんや飯島さんほどには器用万能ではない。いいとこ予備品基準はクリアしている程度のものである。いわんや現役バスケ部をすら圧倒するなんてとてもとても。



 そうこうしているうちに一年が経ちましたとさ。

 あの、言い訳いいっすか?

 下半身の活動状況に大きな不満がない時って何かする気力湧かなくない? そうでもない? 知らね、僕はそうなんだよ黙っとれ。

 というわけで、表向き佐伯さんと特別に親しくしつつ裏では飯島さんと文字通りに繋がる生活が続き、続くほど、僕はどうにも動けなくなってしまった。

 たしかにね。たしかに飯島さんは時には泣く。たぶん自己嫌悪みたいなものが涙として溢れる夜もある。けれど、そういうタイミングにも快楽は全部押し流せてしまえるのだ。それを僕は、飯島さんは、知ってしまった。

 となるともう、底なし沼だ。ずぶずぶ深みに陥っている自覚はあるのに抜け出せない。とっくに半身以上も嵌ってしまったから抜け出す努力自体が億劫だ。

 で、それはそれとして、学校では飯島さん監修のもとに佐伯さんと楽しい日々を送らせてもらっている。あ、僕はクズのゲスなので罪悪感とかないっす。感じたらイコール精神崩壊待ったなしだし。

 情が湧くって言っただろ? 自分だけに懐く猫って可愛いでしょ?

 目線、表情、仕草、ボディタッチだったり笑い方だったり話す内容だったり。

 あぁ自分に対してだけ特別なんだなぁ、と思わせてくる美少女とかちょっと勝てない。

 そういうわけで、クズでゲスな僕は覚悟を決めた。

 そうだ、飯島さんとセフレしながら佐伯さんと付き合おう。

 待て待て。そう石を投げるな僕を責めるな。

 考えてみて欲しい。

 黒髪ロング巨乳美少女が体の関係だけでいいと言ってくれてちゃんと秘密にしますと言ってくれていて、明らか自分に好意を持つ茶髪セミロング美少女と付き合わずにいられるか?

 いられるか。というか、いるべきだと、そのくらいはわかってんだよ。

 まぁ倫理的とか誠実さ的には至極当然、僕が悪いな、うん。

 でも仕方ないじゃないか。他にどうしろというのだ。

 僕は聖人でもなければ人生二週目でもない。

 手に入れられそうな幸せに手を伸ばさずにいられるわけがない。



 場所は学校にした。ベタに校舎裏に呼び出して、察せられるくらいが丁度いいだろうという打算である。

 びっくりしてパニくって何かの拍子にうっかり断られたりしたら目も当てられないからね。

 これから告白されますよ、という覚悟を決めてもらう猶予を取った方がいいはずだ。

 ではいこう。僕の一世一代の晴れ舞台だ。


「好きです。付き合ってください」

 まどろっこしいのはなしにして、単刀直入に伝えた。

「ありがとう。嬉しいです。やっと私を選んでくれて本当に、嬉しい」

 佐伯さんは涙を流して喜んだ。

 僕は何も考えられない。

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