第29話 忌むべき慣習

 ふと、背後に人の気配を感じた。

 いつの間にか恭太郎と将臣が森谷のうしろに立っている。彼らは畳を見下ろすと、おもむろにその一枚を剥がしたのである。その行為を止める間も余裕もなかった。淡々と引きはがされた畳の下から荒床が顔を覗かせた。

 その板も躊躇なく剥がしてゆく。

 慣れた手つきを前に、奥座敷前で立ち尽くす総一郎が「あァ」とうわ言のようにぼやいた。

「君たちが奥座敷から出てきた理由が分かった──さっきも、そうやって剥がしていたのか」

「今さら隠すことでもないから白状するけど、その通りだよ」

 と、恭太郎が板を一枚放る。

「和尚の事情聴取が聞こえてきたんで、気になってさ。ほんとうに床下に秘密があるものかなとこうやって剥がしてみた。幸いに僕らふたりの目にはわらし様も座敷わらしも映りやしないから」

「自由だなぁ」

「感心しとる場合ちゃうわ」

 ぼやきながらも、目は徐々に全貌をあらわす床下へと注がれた。

 薄暗くて中はよく見えない。携帯のライトを中に向ける。白熱光はいきおいよく周囲を照らし出した。一花が躊躇なく中を覗く。

 明かりに目が慣れて、ようやく床下のようすが見えてきた。

 ほかとは違い、この畳の下だけ奥深く掘られた穴がある。穴のなかにライトを向けて見えたのは、積み上がった大量の──。

 ──なんやこれ?

 ゴロゴロと床下に転がる小粒の、石だろうか。

 ライトに照らされた赤布の切れ端。

 明かりをすこしずらした先、両掌ほどの石がふたつ。

 それぞれに落ちくぼんだ穴がふたつずつ──。


「あ、頭?」


 おもわず声が漏れた。

 総一郎は神那を庇うように前に立つ。しかしあの三人組は──引くどころか森谷のそばに寄り集まってさらに床下を覗いている。

 博臣は顔をしかめておなじく覗いてから、全貌を把握せんと視線を泳がせた。

「なるほど。……臼殺した子どもたちは、この穴のなかに埋葬していたのだなぁ」

「おか、おかしいやろ。なんでやねん。墓にも入れへんのか!」

「おかしいものか。そもそも存在として無かったことにされた子達だ、居もしない者の墓がある方がおかしいだろう」

「そ、────」

 それはそうだ。

 だからこそ、この孔なのだ。

 この孔こそまさしく“墓場”──なのである。


 ──奥座敷におわしたわらし様の正体は


 おもい至った結論に、森谷はゾッとした。

 同時に先ほど聞いた博臣のことばを思い出す。相良の人間は、わらし様を信仰していたわけじゃない。あくまで世話をしていたのだ──と。童子守たちがへつらい、お守りをしてきた存在は神などではなく、童子守にとっては先祖・家族であり、悲しき迫害の犠牲者たちだったというわけである。

 その時、背後で大きな音がした。

 みなが振り返る。

 奥座敷の入口には春江と冬陽が蒼白な顔で立っていた。傍らには一ノ瀬のすがたもある。音は、冬陽が奥座敷の襖に寄りかかったものだった。

 浅利様、と春江は諦念の色を見せた。

「お仕事を──してくださっておるのですね」

「申し訳ない春江さん。貴女にご相談すべきかと悩みましたが、こうなった手前、手をこまねいている暇がなくなった」

「…………」

「この家はもはやだ。早急に解体が必要だと判断しました」

「嗚呼──」

 春江が手で顔を覆う。

 ──わらし様の巣窟?

 わらし様はいないのではないのか。いや、彼のいうわらし様とは、この床下に埋葬されていた子どもたちのことであろう。であれば、? なおさら分からぬ。

 このシナリオはいま、一花の得意とする分野に転がっているのだろうか。森谷はちらと彼女を見た。いつでもすっとぼけたような顔の一花が、いまばかりは顔を強ばらせて孔のなかへと注がれる。

 待て、と。

 睦実が、膝をふるわせてつぶやいた。

「姉さんは知っていたのか。こんな馬鹿げた、いや……非常識な慣習が相良の家にあったことを!」

「……相良の当主は代々長女の務め、貴方たちが知らずに生きているなか、私は幾度となく母からこの話を聞かされた」

「く。狂ってる──それなのに、なおも童子守を継続するつもりでいたのか! そんなもの、はやくこの畳をひっくり返して知らしめるべきだったッ。だ、だって母さんも──母さんも、自分の妹をここに棄てたんだろう!?」

「だったらなんだというのッ」

 春江は、堰を切ったように叫び返した。

「母さんの苦労も知らずに、のうのうと生きて、さっさとこの家を捨てたアンタになにが分かるっていうの。母さんは守ったのよッ。相良の家を。私たちを!」

「…………な、」

「私たち姉弟は、みな運良く逃れたわ。もうすこし昔だったらきっと宏美辺りはこの孔に棄てられていたでしょうね。私たちが、初めて、だれひとりわらし様たる使命を逃れた代だった。母が──私たちを生かす選択をしてくれたから! 私はッ」

 と、ここまで言うと胸を詰まらせ、春江はその場にくずおれた。

 みなが無言で春江を見下ろすなか、森谷はいまいちど孔のなかへと明かりを向けた。ゴロゴロところがる、石だと思っていた塊はすべて人骨だった。赤い布切れはかつてこの人骨たちが人であったころ、身に纏うた着物であろう。とはいえ、ほとんどの骨はもはや風化し、文字通り土に還ったようだ。

 住職が、つるりと剃り上がった頭をひと撫でし、哀しげに相良の者たちを一瞥。

 それからゆっくりと合掌する。

「先ほど奥座敷に入らせていただいた折に私がしたことは、この孔に棄てられた御霊たちの供養です。ミチ子さんはこの孔の秘密──相良の負の遺産を、一生涯外に漏らすつもりはなかった。自分ごと屋敷を燃やしてしまえ、と思っていたそうです。しかし死の間際に思い至った。残された春江さん母子をおもって」

「浅利様……」

 床にへたり込む春江の声がふるえる。その肩に手を置いた冬陽もまた、蒼白な顔で住職を見つめた。

 分かっていますよ、と博臣は合掌を解いて手で制すと、森谷を見た。

「墓荒らしのような真似をしてしまったが、このお骨は当寺の合祀墓に埋葬します。──戦前戦後の罪は、もはや時効でしょう?」

「あ、ああ。容疑者候補が全員ホトケさん、ちゅうか立件すら無理やわ」

「大丈夫です春江さん。ミチ子さんがもっとも望んだのはそれでした。どうかこの子たちを然るべき場所へ埋葬してくれ、と。よろしいですね」

「…………ッう、ウ……」

 泣き崩れながら、春江はどこか安堵したようすで何度も何度もうなずいた。

 睦実は放心状態。睦月はとつぜん知らされた相良の因習を目の前にただただ立ち尽くすのみ。冬陽は知っていたのだろう、ガチガチと歯をふるわせて床下の孔を遠目から見つめる。

 これで、と。

 博臣がつぶやいた。

「童子守のお役目は必要なくなりました。冬陽さん」

「!」

「忘れてしまいなさい。こんな因習はもう、この世の中には不要のものだ」

「…………」

 かっくりと、冬陽はうなだれた。

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