第23話 刑事到着

 気づけば、捜索時間はわずか二十分足らずであった。

 しかしからだは、まるで三時間ほどぶっ続けで歩いた時くらいの疲労に見舞われている。雨に濡れて身体が冷えたのも一因だろう。

 命からがら相良家の勝手口にたどり着くと、いの一番に神那が駆け寄りタオルをかぶせてくれた。ひと足先に戻った原田と制服警官は、通り土間に面した囲炉裏の間にて暖をとっている。そのかたわらには淳実が横たえられ、春江が必死の救護中である。冬陽がバタバタと忙しなく納戸と此処を行き来しては、大量の毛布を運び入れていた。淳実を暖める用か。

 雨合羽を脱ぎ、タオルで髪をぬぐう。神那が心配そうに顔を覗き込んできた。

「森谷さん、お身体冷えたでしょう」

「もうクタクタですわ。こんだけ雨がすごいと雨合羽もあんま役に立たへんし。あ、ワイシャツは無事か。ズボンの裾がなァ……」

「崖を降りて淳実さんを救出したって聞きました。お怪我は?」

「ないない。でも革靴で崖下るんはやめた方がええわ、靴もダメんなるし靴擦れ起こりそうやしええことないっす」

「当たり前です! 警察官だからって無理なさらないでください、二次被害が出ていたらとおもうと……」

 と、なぜか森谷以上に蒼い顔でうつむく。

 女性にここまでやさしくされることに慣れていない森谷にとっては、こそばゆい経験である。照れ隠しのために大きくわらった。

「わっはっは。あんま可愛いこと言わんでくださいよ、おじさん惚れてまうわぁ」

「…………」

「…………いや、ま」

 反応がいまいちである。

 これだから関東人はやりづらい。森谷は表情を険しく戻して「冗談はこのくらいにして」と警察官の面をかぶった。

「なにか変わったことは?」

「あ……ありません。睦実さんと靖子さんは大広間に、若い子たちはご覧の通り毛布を運んでくれています。それとイッカちゃんが、森谷さんに飲んでもらうんだって、大広間でお茶を」

「さよか──そら飲まなあかん」

 それから囲炉裏を囲むふたりに近づく。

 制服警官もすでに雨合羽を脱ぎ捨て、肩にはタオルが掛けられている。森谷同様その下の制服は濡れそぼり、裸足だった。原田はもとより雨合羽もつけていなかったため、着替えたのか麻布の作務衣姿に変わっている。

 オッサン、と森谷は土間境に腰を下ろした。

「さっきはえろう助かりました。ホンマおおきに」

「ああっいやいや、こちらこそ。現場保全していただいたってんで聞きましたよ。東京警視庁のお偉いさんだで?」

「んなもんちゃいますがな! 警視庁捜査一課の刑事で、森谷警部補です」

「はァ。東京モンだのに関西弁だハァ?」

「この郷里言葉は厄介でっせ。東京デビューして久しいっちゅうのに、抜ける気配がのうて──いやそんなことよりもホンマに心強かったですわ。こない豪雨のなかひとりで?」

「本部の方は内陸の町の人ばっかですから、山につよい自分がひと足先に来たんですわい。つってもまもなく到着すると思います。でもアンタがいてよかった、あ。いやいや警部補殿でしたか。自分は遠野駅前交番勤務の唐木田巡査部長です」

「ほうですか、どうぞよろしく。淳実さんのようすは?」

 と、視線を春江に移す。

 彼女は手元の薬箱に入った、最低限の家庭医学でなんとか淳実の容態を守ろうとしている。とはいえ見たところ傷も浅く、出血も微量のようだからそこまで深刻ではないだろう。どの程度頭を打ち付けたかが心配ではあるが、こればかりは薬箱ではどうにもなるまい。

「救急車は呼びました。でも、この近くで土砂が崩れてしまったそうで──当分来られないと。出血はほとんどないですから、明朝早くに来てもらうようお願いしました。なるべく身体を冷やさぬようにと言われたので、もうしばらく囲炉裏のそばに置いておきます」

「さいですか、まったくこの雨のせいでえらい夜やな──」


「──わらし様の祟りだ」

 ふと。

 原田がつぶやいた。

 囲炉裏の火をぼうと見つめながら、紫に染まったくちびるをふるわせる。

 祟りって、と森谷は苦笑混じりに反応した。

「なにがです」

「ひ、宏美さんが亡くなられたことも、淳実さんがこうなったことも──わらし様が怒ったんだ。宏美さんはとくに、許しも得ずに奥座敷へと踏み入れたから」

「んなアホな。祟りて神様が人間にくだすもんでしょ? ご住職が仰っていましたよ、わらし様っちゅう神様なんざいてへん、て」

「嘘だッ」

 原田の怒声に、唐木田の肩が跳ねる。

 甲斐甲斐しく淳実の世話をしていた春江母子は不安げに顔を見合わせ、ゆっくりと原田を見据える。

 すみません、と原田は息荒くつぶやいた。

「でもわらし様はいらっしゃる。儂はずっとこの家にお仕えしてきた。儂には分かる。これは──祟りじゃ」

「原田さん──わらし様は」

「春江さんッ。宏美さんはなるべくしてなったんだ。当然の報いだ。気にするこたァねえんです。淳実さんもそうだ、こン人だってわらし様の存在そのものを否定したッ。ゆるされない──許されんことです」

「原田さん」森谷の瞳がぎらりと光る。「アンタなにか知ってはるんですか?」

「知らない……知りません。すべては、わらし様の御心のまま」

「…………」

 話にならぬ。

 切り捨てるわけではないが、彼は明らかに動揺している。おなじく春江や冬陽も、なにを恐れているのかぶるぶると手をふるわせてうつむいた。

 ただひとり、神那は一同の濡れたものをせっせと乾かす作業に集中していた。

 唐木田は緊張ゆえか、目を見開き、両の口角を思い切り下げて、鶏のように首を動かして一同を見比べる。その滑稽な動きにわずかだが癒された森谷は、空気を変えようと思い切り膝を打った。

「とりあえず唐木田さん、現場にご案内します」

「あ、ああ。ハイ」

 よっこいせと唐木田が腰をあげる。

 森谷は革靴を脱ぎ、ついでに靴下を靴のなかへ突っ込むと、タオルで乱暴に足を拭き上げ框をあがった。濡れた布の感触がなくなっただけで不快感がだいぶ減った。

 その時である。

 相良家の玄関戸がガンガンと叩かれた。


「相良さァん。警察です!」


 通報からおよそ四十分、唐木田からすこし遅れて本丸の到着である。

 この山中に豪雨のなかでは健闘した方だろう、と森谷は感心した。通報場所が町中であれば平均して七分ほどで駆けつけるものだが、悪天候に悪路に加え真っ暗な山中、もしも自分だったら嫌になるだろう──とおもう。

 あわてて唐木田が立ち上がったが、すばやく玄関に寄ったのは神那だった。

 ガラリと引き戸を開け、澄んだ瞳で警察諸氏を出迎える。ひげ面の親父に強面の角刈り頭、他には父ちゃん坊やの容貌をした私服警官もいる。森谷は、東京警視庁とはまたすこしちがった彼らの雰囲気をじっくりと観察した。

「悪路のなかをご苦労様です。お待ちしていました」

 神那が腰を折る。

 気品あふれる所作を前に、ひげ面親父はたじろいだ。

「あ、いや──アンタは?」

「藤宮神那と申します。本日、こちらの家で行われていた葬儀に参列した者です。ほかにも数名おりますけれど、いまは大広間の方に集まっています」

「どうも、遠野警察署刑事課の来巻くるまき巡査部長です。こっちは一ノ瀬巡査と、風見巡査」

 ひげ面親父が来巻。

 強面角刈りが一ノ瀬。

 父ちゃん坊やが風見、か。

「いやァ。東京の方はおキレイですねエ!」

 と、風見は瞳をキラキラと輝かせて神那を無遠慮に眺めまわす。

 すかさず森谷は、唐木田を連れて刑事たちの前へと歩み出た。とくに神那と風見のあいだに割り込むように身体を入れるのを忘れない。

「どうも!」

「お待ちしておりましたッ」

「──アンタらは」

「こっちが遠野駅前交番の唐木田巡査部長。オレは東京警視庁刑事部捜査一課所属の森谷警部補です。つっても本日は葬式参列のための休暇中なもんで、完全ボランティアやったわけですが」

 と、言いながら先ほど脱ぎ捨てたジャケットから警察手帳を取り出してみせる。

 彼らはほう、と警察手帳をまじまじ見てからうなずいた。

「そいつァご苦労なことで。お若いのに警部補さんとは、お偉いですなァ。花の警視庁の刑事様は」

「なにをおっしゃいます。ボクなんか全然ですわ。お勉強させてもらいます」

 場がわずかにピリつく。

 来巻のような年齢の人間は、年齢と階級、配属先、キャリアやノンキャリといった区別にはひどく敏感になる。うしろに控える一ノ瀬や風見はそれほど気にしていないようだが、内心ではどう思っていることやら。森谷は内心でため息をつく。

 とはいえ今は一刻も無駄にはしていられない。

 事件発生から現在までの流れを、無駄なく説明する。たった今まで敵対心を燃していた来巻も、事件の話になるや真剣な顔になり、一言一句聞き漏らすまいと集中した。どうやら仕事はできる男らしい。

「なるほど。それでそこに怪我人が」

「ええ、面目ない。自分が抑えとったらよかったんですが」

「不可抗力でしょや。出血がほとんどねえのは幸いしましたな」

「そうなんです。脳みそに傷がなけりゃええんやけども──」

「この雨で、かえって落ち葉がクッションになったかもしれん。明朝までご辛抱いただきやしょう」

 と、無骨な物言いでつぶやくと、みな通り土間に入って雨合羽を脱いだ。

 どうやら一連の流れの説明を聞き、多少なり森谷に信頼を寄せたらしい。来巻は初めのとっつきにくい印象を取っ払い、積極的にコミュニケーションをとるようになった。

 そこからはスムーズだった。

 とにかく関係者を一か所に集めるべく、動ける者はみな大広間へ。

 淳実のことは唐木田が面倒を見るということで落ち着いた。森谷としても、先ほどの豪雨のなかでの手助けをおもえば、彼が信頼に足る人間であることは揺るがない。

 その期待に応えるように、彼は得意げに「お任せください」と胸を張った。

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