落ちこぼれ公爵令息の真実

三木谷 夜宵

第1話

 人間とそれ以外の種族が暮らすこの世界で、数百年前から続く魔族との戦いに終止符を打ったのは、万物を統べる神である精霊王だった。

 魔族を率いる魔王と精霊王は一騎打ちを行った。その結果、互いを認め合い、良き友となった。精霊王は、魔族と多くの種族との和解の橋渡しをし、魔族は理由なく他の種族を傷つけないことを約束した。

 世界は平和になり、すべての種族は互いに支え合いながら暮らすようになったという──。



 〇



「わたくし、ジェニエット・ヴァレリアは、この場をもって公爵令息セシル・ファレンハートとの婚約を破棄いたします!」


 とある夜会でなされた宣言に、会場はしんと静まる。集まっていた貴族たちは壇上に立つ二人の人物に目を向けた。

 一人はヴァレリア王国の王女であるジェニエット。その隣に立つのはファレンハート公爵家の長男であるブレイデンだった。


「……理由をお聞かせ願えないでしょうか、王女殿下」

 壇上の二人を見上げながら、名指しで婚約破棄を言い渡されたセシルは問いかけた。


「まったく。言い逃れできない罪を犯していながら、しらを切るつもりか!」

 セシルを睨みつけながら、兄であるブレイデンは声を上げる。

「罪とは……?」

「お前は王女殿下の婚約者である立場を利用して、我が公爵家の金を横領していたというではないか!」


 声高らかにブレイデンが言い放つと、貴族たちが一斉にざわつく。

 しかし、セシルにはまるで身に覚えのないことだった。


「何かの間違いでは?」

「この期に及んで、まだしらばくれるつもりか! 証拠は挙がっている。今日のために、王女殿下がお前の身の回りについて徹底的に調べ上げたのだ」

 セシルが目を丸くしてジェニエットを見ると、彼女もまた厳しい視線をセシルに向けていた。

 いや、それはいつものことか──とセシルは思った。

 彼女との婚約が結ばれてからというもの、セシルは彼女にふさわしい婚約者であろうと努力してきたが、ジェニエットは初めて顔を合わせたときから彼のことを良く思ってはいなかった。


「このような者が、わたくしの婚約者であったとは一生の恥。この手で罪を暴き償わせることが、婚約者であったわたくしの、せめてもの務めだと思ったのですが。まさか、ここまで性根が悪かったとは……」

 ジェニエットは扇子を広げて、顔を覆い隠す。そんな彼女を気遣うようにブレイデンが肩を抱く。そんな二人の姿を見て、若い令嬢たちは溜め息を吐いた。きっと彼女たちには、とても麗しい光景に見えたのだろう。

 だが、セシルにとっては茶番にしか見えなかった。


「──婚約破棄の件は、後日両家で話し合うことにしましょう。しかしながら、横領についてはまるで覚えのないことで、司法機関による再調査を要求します」

 セシルは思いの外、冷静だった。婚約についてはセシルも見直すべきではないかと常々考えていた。どれだけ頑張ろうとも、ジェニエットが彼を認めることはなかったのだから。


 しかし、父であるファレンハート公爵はセシルの言葉に耳を傾けることはなかった。幼いころから、セシルは公爵家では浮いた存在だった。先祖が軍人だったこともあり逞しい雰囲気の顔立ちに、金髪、緑色の瞳といった特徴をもつ公爵家の中で、セシルだけが細面ほそおもてで、黒髪に青みがかった紫色の瞳を持っていた。

 家族はよそよそしく接し、使用人たちからは出来の良いブレイデンと比べられて陰口を叩かれていた。

 セシルは、ブレイデンが羨ましかった。皆から認められ、求められ、愛される兄が。


 しかし、そんなセシルの気持ちを知らないブレイデンは、きっと鋭い目を向けて声を荒げる。

「まだそんなことを言うのか、お前は! 王女殿下直々に調べたことに難癖をつけるつもりなのか!」

 言い返すことはできなかった。だが、王女と兄の言動が横暴であることも事実である。


「大体、お前のような魔力を持たない落ちこぼれがジェニエット様の婚約者であったこと自体おかしかったんだ!」

 その言葉にはセシルも同意せざるを得なかった。

 この国の貴族の多くは魔力を持って生まれてくる。しかし、セシルには生まれつき魔力がなかった。そのため公爵家の落ちこぼれとして、後ろ指差されながら育ってきた。そんな彼が、なぜ王族の婚約者なのかという疑問の声は以前からあった。


「王女殿下との婚約は、王家と公爵家との間に結ばれた契約です。殿下や私の意思は関係ありません。ちなみに、このことを国王陛下や公爵様はご存じなのですか?」

 現在、国王は王妃と共に公務で隣国へ外遊に出ており、ファレンハート公爵は領地に戻っていた。

「陛下には外遊から戻り次第、報告する予定です。公爵もきっと納得するはずです」

 ジェニエットはそう言った。

 つまり、この断罪劇は二人の一存で行われているということか──とセシルは納得する。


「そもそも、お前が我が家に来てからというもの、目障りで仕方がなかったのだ」

 ブレイデンが投げ捨てるように言った。それを聞いて、セシルは目を丸くする。

 つまり、私は公爵家の人間ではないということなのか? ──と。

 それなら、姿かたちが家族の誰とも似ていないことにも、魔力を持っていないことにも説明がつく。

 しかし、それなら何故、公爵は王女の婚約相手にセシルを選んだのだろうか。王家とのつながりを持つためならば、相手はブレイデンでもよかったはず。しかし、公爵はかたくなであった。


「──私は、一体何者なんだ?」

 セシルのその呟きは、会場に響き渡るジェニエットとブレイデンによる断罪によってかき消されてしまった。



 〇



 その後、セシルは貴族の身分を剥奪され、辺境へと送られた。その一連の流れはあまりにも滞りなく行われたことからも、はじめからこうなる段取りだったのだろうとセシルは粗末な馬車で揺られながら思った。


 近年、辺境には魔物が現れるようになっていた。数百年続いていた魔族との戦争が終結して以来、森に棲む魔物たちは穏やかで、むやみに人を襲うことがなかったという。しかし、十六年ほど前から魔物たちが狂暴化し、農村を荒すようになった。さらに大地が荒れて、作物が育ちにくくなっていた。幸い、死者は出ていないが、怪我をして畑を耕すことができなかったり、飢えに苦しむ者が増えたりといった実害が出ていた。


 辺境に送られて一週間が経った。

 セシルは魔物の討伐隊の下働きとして、物資の輸送や怪我をした兵士たちの看護などを行っていた。

 王女の下した判決は、前線で魔物討伐に参加することだった。実質、死刑のようなものである。だが、辺境の守護を任されているセゴール辺境伯は、魔力も戦う技術も持たないセシルを前線で戦わせようとはしなかった。

 もともと王家とは折り合いが悪く、今回の断罪劇も王女と公爵令息の一存で行われたものだと知り、こっそりセシルに温情をかけてくれたのであった。


 とは言っても、物資の輸送も危険な仕事だった。年々、魔物の勢いが増しており、兵士だけでなく、その土地に暮らしている民も困窮していた。それにも関わらず、王都では豪華絢爛な夜会が開かれたりと貴族たちは贅沢を極めている。

 セシルは現状を知り、愕然とした。そして、情けをかけてくれた辺境伯に報いるために、骨身を惜しまなかった。


 怪我をした兵士たちが集められた野営地のテントに医療物資を運んできたセシルは、辺境伯の娘であるアリスティアを見つけた。向こうも気づいたようでセシルのもとにやって来た。

 アリスティアは銀髪に黄金きんの瞳の見目麗しい令嬢なのだが、国境を守る辺境騎士団を率いる父親に似たらしく、花を愛でたり刺繍をするよりも、馬に乗って駆け回るような勇ましい性格だった。そんな彼女も魔物の討伐に参加しており、王都から身一つでやってきたセシルのことを気にかけてくれていた。


「ありがとうございます。ここまで来るのは大変だったでしょう」

 物資を受け取りながら、アリスティアはセシルに微笑む。

「いえ、私は当然のことをしているまでです」

 セシルは頭を下げる。今の彼は平民と同じ身分であった。横領に関しては冤罪だが、それを証明する手立てはなく、セシルは今でも罪人のままである。

 けれども、アリスティアは彼を一人の部下として受け入れてくれていた。


「貴方の仕事は目立たないけれど、とても重要なものです。それを進んでやってくれるのですから、こちらはとても感謝しているのですよ」

「そんな、勿体ないお言葉を……」

「貴方の働きぶりを見て、兵士たちも王都での断罪は何かの間違いではないかと言っているのですよ。もちろん、私もセシルの無実を信じています」

 テントで身体を休めている兵士たちも、アリスティアの言葉に賛同する。


「そうだぞ。お前がいなかったら、処置が間に合わなくて、利き手がなくなってたかもしれないんだ」

「水や食料を届けてくれて、農村の人たちも感謝してるぞ」

 そんな声が聞こえてくる。セシルの目にじわりと涙が浮かぶ。

「おいおい。これくらいで泣くなよ!」

「すみません。こんな風に受け入れられたことなんて、今までなかったから……」

 目尻に溜まった涙を拭いながら、セシルは恥ずかしそうにはにかむ。


「大変だったのですね」

 アリスティアがセシルの手を取る。

「ここにいるのは、同じ敵に立ち向かい平穏を手に入れるために戦う仲間です。お互いに頼り、支え合いましょう」

「魔力がなくて、戦い方もろくに知らない私ですが、これからも皆さんの助けになれるよう頑張ります」

 セシルがそう誓った、そのときだった。


 耳をつんざくような咆哮と、激しい地鳴りがした。

 慌ててテントの外に出ると、魔物の群れが向かってくるのが見えた。


「くそっ! このあたりにはまだ魔物が立ち入ってなかったはずなのに!」

「退避だ! 動ける者は怪我人に手を貸すんだ!」

 兵士たちは迅速に行動する。しかし、魔物の数が多かった。

 アリスティアは馬に乗り、剣を構えた。セシルは怪我人に肩を貸し、その場を離れようとした。


「うわっ!」

 怪我人が躓くと、セシルも一緒に地面に倒れる。

 顔を上げると、テントがなぎ倒され、逃げ遅れた兵士たちが踏みつけられていくのが目に入った。

「ヒッ──!」

 足が震えて立ち上がることができなかった。

 いつ魔物に襲われるか判らない状況で物資を運んできたが、直接魔物と戦う場面に出くわしたことのなかったセシルは、これが戦場なのかと理解した。

 やはり自分は役に立たないのではないか。そう思った。


「や、やめろ!」

 すぐそばで倒れている兵士が声を上げる。

 魔物が今にも襲い掛かろうとしていた。


 駄目だ……。

 セシルは地面を掴む。震える足を叱咤し、這いずりながらも兵士のもとに行く。

 駄目だ──!

 大きく口を広げた魔物の前に立ち、大きく両腕を広げる。


「セシル!」

 アリスティアの叫ぶ声がする。

 セシルはぎゅっと目を瞑った。




 ……あれ?

 何の衝撃も感じられなかった。

 おかしいな、と思ったセシルが目を開けると、魔物はそこにいた。開いていた口を閉じ、大人しく座っていた。


「え?」

 何がなんだか判らないセシルは、ぽかんと口を開けたまま魔物を見ていた。

 ふいに、魔物が空に向かって咆哮を放った。すると、それまで暴れていた他の魔物たちもぴたりと動きを止め、森のほうへと去っていた。


 なんだったんだ? とセシルは魔物が消えていった森を眺めた。

「セシル! 大丈夫?」

 アリスティアは駆け付けるや否や、セシルの身体に傷がないか確かめる。

「私は大丈夫です。けど……」

 周りを見ると、血まみれになった兵士たちが倒れていた。セシルが庇った兵士も、治りかけていた足の傷が開いてしまって、大量の血が流れていた。

 セシルは慌てて傷口を押さえる。


「怪我人の手当てを……早く……!」

 あまりの惨状に、アリスティアも動揺を隠せなかった。

 セシルは傷を押さえながら、どうしよう、と呟く。物資は魔物たちがめちゃくちゃにしてしまい、増援が来たとしてもきっと間に合わない。


 やっぱり、自分にはどうすることもできないのだろうか──。

 セシルは真っ赤に染まる両手を見ながら思った。


 ああ、どうか……精霊王様。彼らを、お救いください……!

 万物の神であり、この国が信仰する精霊王に祈る。


 どうか──。


 次の瞬間、セシルは手元に何やら温かなものを感じた。

「え……?」

 セシルは驚きのあまり目を見開く。柔らかい光が集まってきたかと思うと、みるみるうちに傷が塞がっていくのである。


「い、痛くないぞ……」

 兵士もきょとんとしながら言った。

「今のは……神聖力?」

 アリスティアも目を丸くしている。


「神聖力……? 私が……?」

 混乱しながら、セシルは自分の両手を見る。血まみれだったはずの手は、すっかり綺麗になっていた。

 神聖力とは、命ある者を癒す神の御業。精霊王からの加護であると言われている。魔力よりも稀な力で、それを持つものは聖人や聖女と呼ばれ、敬われる存在だった。


「この国の貴族は魔力を持つ者が多いから、きっと貴方のなかにあった神聖力に気づかなかったのでしょう」

 目を輝かせながらアリスティアは言うが、セシルは夢でも見ているのではないかと、まだ自分を疑っていた。

「そんなに信じられないのなら、他の人たちを治療してみれば判ることだわ」


 そう言って、アリスティアはセシルのもとに怪我人を運んでくるように指示した。次々に運ばれてくる怪我人たちに、セシルは手をかざして強く念じた。

 そうして、辺りは柔らかな光に包まれ、一夜のうちに何人もの兵が命を救われたのであった。



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