After Ending  不条理な喪失

 田村さんと別れて料亭を出て、どこをどう歩いたのか、俺は知らない公園にいた。

 美晴が死んだ。茶封筒とその中に一枚の写真を遺して手の届かない場所へと旅立った。

 俺には美晴がどうして死んだのかわからない。なんで美晴が家を出てきたのかも、どうして美晴が俺を頼りにしたのかも、わからなかった。


「……もし答えがあるとすれば、この紙」


 俺は美晴が遺した遺書を手に取る。

 中は開けられた痕跡がない。俺は茶封筒の封を切った。


「おにいへ」


 そこには懐かしい字で短い言葉が綴られていた。


 ―おにいは今幸せですか。風邪を引いていませんか。彼女さんとは上手くやれていますか。私はおにいが心配です。初めて出会った日からおにいはいつも頭よりも先に体が動いて、それで大けがをしたり面倒ごとを招いたりしてました。遠くの地でもそんな風になっていないか心配です。


 手紙の内容は俺の安否のことだった。美晴は最後まで俺の心配をしていた。

 俺はこの四年間、美晴や友人、知人、あの町にあった思い出を忘れようとしていたのに、美晴は最後まで俺を忘れてはいなかった。俺を案じてくれていた。


 ―この手紙がおにいの元へ届いたころには私はもうこの世にいません。お空でおにいのことを見守っています。


「……美晴」


 この世界はゲームをもとに構成されている。

 ただし、この世界を生きる人間は数字で構成されているわけじゃない。彼女らも考え、悩み、苦しんでいる。プログラミングされたコードで動いてるなんてことはない。


 この世界のイレギュラーは「俺」そのものだった。


「……そんなことにも気づけなかったのか。俺は」


 俺はもう遠くなってしまった過去を追想する。

 「俺」が「俺」を意識してから美晴と過ごしたのは僅か数日だった。それでもこの体を打ち破って溢れ出んばかりの気持ちは鷺谷翔也として美晴と過ごした時間の重みを確かに伝えてくれていた。


「美晴、美晴っ美晴」


 もう戻らない温もりを求めて手紙を抱きしめる。

 冬。別れの季節。四年前は町と別れた。そして―最悪の結末を変えてやろうとするバカもそこへ置いてきた。

 今の俺の手からは何もかもがすべり落ちていく気がする。


 ……そんな俺の予感は……最悪にも的中した。


 携帯電話の着信音が誰もいない雪が降る公園に鳴り響く。


「……もしもし?」

『翔也君!今どこに!?』


 電話の相手は飯田お爺さんだった。

 やけに慌てた様子で、外もうるさかった。


「今は公園です。駅の近くの」


 俺は周囲を見渡して、現在地を説明する。

 すると飯田お爺さんは切迫詰まった声で、


『大変なんだ!秋ちゃんが通り魔に刺されたんだって!今、病院に運ばれてる!』


 俺の目前に「最悪」が迫っていた。



◇◇◇



 タクシーを拾って一刻も早く俺は病院に向かった。午後九時十五分。病院に着いた俺は飯田お爺さんと合流する。

 

「秋!」


 秋は緊急手術を受けていて、俺は手術室の前までしか行けなかった。

 手術室の前には飯田お婆さんと秋翔の姿があった。飯田お婆さんは祈るように手を合わせていた。秋翔は……悲しんでもいないが、喜んでもいない。無の表情で手術室の扉を見ていた。


「翔也君……」

「秋は、大丈夫なんですか?」


 飯田お爺さんもお婆さんも曇った表情。

 赤いランプが不安を煽る。俺の脳裏には「最悪の結末」ばかりが浮かんでいた。

 

(もうあの呪縛からは逃れたはずだ)


 今の俺はそう自分に言い聞かせることしかできなかった。


「鷺谷翔也様ですね?」


 手術室から近い椅子に座っていると、現場に居合わせたという警察官がやってきて本人かどうか俺に確認する。


「はい」

「事件のことは聞いてますか?」

「いいえ」


 淡々と対応をする警察官。俺はどうしようもない怒りを滲ませて、


「犯人は誰なんですか?」

「まだ逮捕に至ってないので詳しくは不明です。住人の証言によればビニールのレインコートを着た若い女性だったと。心当たりは?」

「ありません」


 若い女性と聞いて思い当たるのは秋の大学の友人か。

 それでも秋が殺されるような事はないはずだ。学内外にまで広まった噂も秋が避けられる理由であって、殺されるような理由じゃない。


「こちらとしては快楽殺人ではなく怨恨による殺人を疑っています。本当に心当たりはございませんか?」

「ありませんよ。こっちだって、まだ脳が追いついてないんですから」


 警察の事情聴取に俺は答えていく。警察側としても俺が関与しているものじゃないと判断したのか、調査は簡単なものだった。代わりに大学のことについてよく聞かれた。学部、学科に友人の名前とか所属していたサークル。通学時間や予備校の名前なんかも聞かれた。

 

「……学内での噂についてですが」


 一通り俺の方から話せる情報を話した後、その警察官が咳ばらいをして申し訳なさそうに大学での話を掘り返した。


「本当です。秋とは高校の時に……」

 

 俺は傍にいる秋翔を見て言いずらそうなジェスチャーをする。

 警察官も察してくれたのか、それ以上の追及はなかった。

 犯人の特徴を鑑みて捜査の方向性は大学の交友関係に絞るらしい。俺にはどうでもよかった。ただ秋さえ助かってくれればそれでいい。


 一時間と十分が経って、手術中の点灯が消えた。


 中から手術服を着た医者たちが出てくる。俺は執刀医の男性に詰め寄った。

 

「秋は…!秋は、………!」

「……手は尽くしましたが……」


 その一言で俺は崩れ去った。

 医師の話によれば刃物で脇腹を深く刺されていて、それが肝臓にまで達していたとのことだった。

 病院に運ばれた時点で、助かる見込みはなかったとのこと。


「パパ」


 秋翔が心配そうに寄り添ってくれる。……俺に残った唯一の宝物だ。

 秋翔がいるから俺はかろうじて自分を保てていた。秋翔がいなかったら、俺は……


「……翔也君、今は辛いが、でもいつかは乗り越えられる」


 飯田夫妻は俺を最大限にまで気遣ってくれた。

 今にも死んでしまいそうな顔をしていたんだろう。事実、俺は死を考えている。

 美晴も。秋も死んだ。俺と関わった人間はことごとく死んでいった。


 ……次は秋翔かもしれない。


 絶対に娘だけは失いたくはない。

 

「秋翔、ごめん」


 それは何に対する謝罪だったのか。

 中途半端に産んでしまったことへの謝罪か、それとも母を失わせてしまったことへの謝罪か、それとも最悪の結末を辿る俺が家庭を築いてしまったことへの謝罪か、


 それとも、これから先、一人ぼっちにしてしまうことへの謝罪か。

 


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